第37話 冒険者の収入が、増え始めました。
依頼紹介制度を本格導入してから、三週間が経った。
その日の閉館後、私はギルド長室の机いっぱいに紙を広げていた。三週間分の依頼の記録。受注者、成否、報酬、怪我の有無。全部、一件ずつ書き出したものだ。
「アリサちゃん、今日はまた一段と紙が多いねえ」
「三週間分の成績表です」
「成績表?」
「改革の、です」
ベルナードさんが紅茶を二つ置いて、向かいの椅子に座った。
「どうだったんだい」
「今から計算します。一緒に見てください」
私はペンを取って、数字を拾いはじめた。
◇ ◇ ◇
「まず、依頼の達成率です」
紙の上に、二つの数字を並べて書く。
「改革前の三か月の平均が、六割二分。この三週間が、八割七分です」
「おお……!」
「失敗した依頼の中身も変わりました。前は、無理に続けて怪我をして失敗、が一番多かったんです。今は、撤退条件で引き返して失敗、が一番多いです」
「それは、いいことなのかい?」
「いいことです。引き返した人は、次の日もちゃんと依頼を受けられますから」
ベルナードさんがうんうんと頷く。
「次に、怪我人の数です」
もう一度、二つの数字。
「改革前は、三週間あたり平均で七人。この三週間は、二人です。それも、一人は手を擦りむいただけでした」
「七人が二人……」
ベルナードさんが眼鏡を外して、目元を拭った。
「ギルド長、まだ泣くところじゃありません」
「いや、だってねえ。七人が二人だよ。五人も、怪我をしないで済んだんだよ」
「はい」
五人。
前世の私が毎日見ていたのは、数字の上の赤と黒だけだった。でも今、この「五」の向こうには顔がある。包帯を巻かずに済んだ誰か。宿代の心配をせずに眠れた誰か。
「そして、一番大事な数字です」
私は最後の紙を引き寄せた。
「冒険者さんの、実際の収入です」
◇ ◇ ◇
報酬の額面だけを見れば、安全な依頼の報酬は少しずつ下げている。だから単純に足し算すると、冒険者さんの稼ぎは減っているように見える。
でも実際は、違った。
「依頼の失敗が減ると、もらえる報酬が増えます。怪我が減ると、休む日が減ります。適性に合った依頼を受けると、一日にこなせる件数が増えます」
「うんうん」
「その全部を足すと、参加している冒険者さんの実収入は、平均で一割四分増えています」
ベルナードさんが目を丸くした。
「報酬は下げてるのに、収入は増えてるのかい?」
「下げているのは、安全な依頼の割増し分だけです。危険な依頼の報酬は上げましたし、何より、失敗と怪我で消えていたお金が戻ってきてるんです」
前世の言葉で言うなら、損失の削減だ。新しく何かを稼いだわけじゃない。今まで穴から漏れていたものを、塞いだだけ。
「一番増えたのは誰だと思います?」
「剣士くんかな。月光草の」
「二番目です。一番は、トビアスさんでした」
「トビアスくん? 馬の?」
「はい。荷馬車の護衛の依頼が、彼のところに集中してるんです。馬が暴れない護衛だって、商人さんたちの間で評判になってるらしくて」
ベルナードさんが、とうとう声を出して笑った。
「Eランクの子が、一番稼いでるのかい」
「Eランクの子が、です」
◇ ◇ ◇
数字だけではなかった。
その週、ギルドのあちこちで、小さな変化が起きていた。
「受付さん、見てくださいっす! 新しい靴っす!」
朝一番、トビアスさんがカウンターの前でくるりと回ってみせた。真新しい革の長靴だった。
「似合ってます。前の靴、穴が開いてましたもんね」
「三年履いてたっす。やっと買い替えられたっす!」
昼過ぎには、剣士さんが郵便屋さんへ向かう途中で寄っていった。
「村に仕送りしてきます。今月は、今までで一番多く送れそうです」
「ご家族、喜びますね」
「はい。母さんに、薬草の見分けで稼いでるって書いたら、驚くと思います」
夕方には、リリアンさんが護衛の依頼から帰ってきた。
「受付さん! 今月の仕送り、岩場の依頼一回分を超えました!」
「本当ですか!」
「はい! 弟と妹たちに、冬用の毛布を買ってあげられます!」
リリアンさんは、あの日押し戻した岩場の依頼書のことを覚えていたのだ。一回で一か月分の仕送りができる、と彼女が言った依頼。その金額を、怪我ひとつせずに超えた。
カウンターの隅で、ガーランドさんが腕を組んでその様子を眺めていた。
「……ふん。浮かれやがって」
「ガーランドさんは、どうでした? 今月」
「俺か」
ガーランドさんは少しだけ視線を泳がせた。
「……まあ、悪くはねえ。新人の引率の依頼が、妙に回ってくるようになったからな」
「ガーランドさんの採集は二ですけど、引率は五なので」
「勝手に数字をつけるな」
それでも、否定はしなかった。
◇ ◇ ◇
「アリサちゃん。この数字、本部に送ってみないかい」
その夜、ベルナードさんが言った。
「本部に?」
「閉鎖の期限まで、三週間を切っただろう。何もしなければ、このまま閉鎖だ。でも、これだけ良くなってるって数字を送れば、考え直してもらえるかもしれない」
それは、私も考えていたことだった。
ゼロでなければ、交渉の余地はある。前に自分で言った言葉だ。
「ただ、ギルド全体の赤字は、まだ消えていません」
「そうなのかい?」
「報酬の持ち出しは、だいぶ減りました。でも素材買取と、本部経由の四件は手つかずです。月末の収支を締めてみないと、正確な数字は出ませんけど」
「それでも、良くなってるのは確かだろう?」
「確かです」
私は少し考えてから、頷いた。
「送りましょう。ただし、良い数字だけじゃなく、まだ解決していないことも正直に書きます」
「正直に?」
「良いことだけ書いた報告書は、信用されませんから」
数字を盛った資料は、一度ばれたら二度と信用されない。前世で学んだ真理その十一。
その夜、私はギルド長名義の改善報告書を書き上げた。依頼の達成率。怪我人の数。冒険者さんの実収入。そして最後に、素材買取の損失と、本部経由の精算について確認をお願いしたい旨を、できるだけ丁寧な言葉で一行だけ。
ベルナードさんがギルド長印を押した。
翌朝、報告書は本部行きの定期便に乗って、王都へ旅立っていった。
「届くといいねえ」
「届きます。届いた後に、ちゃんと読んでもらえるといいんですけど」
窓の外で、トビアスさんが新しい長靴で水たまりを飛び越えていくのが見えた。
数字が人を守るために使われている。少なくとも、このギルドの中では。
そう思えたのは、転生してから初めてのことだった。




