第30話 安全講習なんて、金にならねえよ。
二回目の講習が終わった翌日、私は掲示板に新しい貼り紙を出した。
第三回・安全講習、参加者募集。対象は全冒険者。新人に限らず。
「全員かい、アリサちゃん」
「全員です。新人さんだけじゃなく、中堅の方にも来てほしいんです」
「どうして?」
「事故の記録を見直したら、怪我をした人の四割は中堅の方でした」
新人さんの事故は、無理な依頼を受けることが原因だ。中堅さんの事故は、慣れた依頼で油断することが原因だった。原因は違っても、行き着く先は同じ。引き返すのが遅れた、だ。
貼り紙の前に、何人かの冒険者さんが足を止めた。
そして、予想通りの反応が返ってきた。
「安全講習ぅ? 新人のお遊びだろ、それ」
「半日も潰れるんだろ? その間に依頼一件こなせるぜ」
「安全講習なんて、金にならねえよ」
◇ ◇ ◇
最後の一言を言ったのは、中堅の冒険者さんだった。名前はフーゴさん。Cランクの剣士で、このギルドに来て六年になる。
「フーゴさん。少しだけお時間いいですか」
「なんだよ。俺は講習なんか出ねえぞ」
「出なくていいので、話だけ聞いてください。三分で終わります」
「……三分な」
私はカウンターの下から、一枚の紙を取り出した。昨夜のうちに作っておいたものだ。
「フーゴさん、去年の秋に怪我をしてますよね。東の沼で」
「なんで知ってんだ」
「報告書に書いてありました。大蛙の毒で、二週間寝込んでいます」
「……ああ。あれは運が悪かった」
「その二週間、依頼は受けられましたか」
「受けられるわけねえだろ。立ってるのもやっとだったんだぞ」
私は紙の上の数字を指さした。
「フーゴさんの去年の稼ぎを日割りにすると、一日あたり約五千ゴルドです。二週間で七万ゴルド。それに、解毒薬と治療院の代金が二万ゴルド。合わせて九万ゴルドです」
「……そんなにかよ」
「そんなにです」
フーゴさんの顔が少し引きつった。
「講習は半日です。半日分の稼ぎは、二千五百ゴルド」
「おう」
「講習で教えているのは、沼の大蛙の毒持ちの見分け方と、気配を感じたときの引き返し方です。去年のフーゴさんの事故は、報告書によると『毒持ちに気づかず接近』でした」
フーゴさんが黙った。
「二千五百ゴルドで、九万ゴルドの怪我を避けられるかもしれません。避けられなかったとしても、確率は下がります」
「……下がるって、どのくらいだよ」
「正直に言うと、まだわかりません。講習を始めてから日が浅いので」
ここで嘘をついたら、全部が台無しになる。前世で学んだ真理その十一。数字を盛った資料は、一度ばれたら二度と信用されない。
「でも、これは言えます」
私は事故の記録をもう一枚並べた。
「このギルドで、去年怪我をして二週間以上休んだ人は十四人。そのうち、昔の依頼書にあった撤退条件を守っていれば避けられた可能性が高いのは、九人です」
「九人……」
「九人分の休業損失を足すと、八十万ゴルドを超えます」
貼り紙の前に集まっていた冒険者さんたちが、ざわめいた。
「安全講習は、お金になりません。でも、お金を失わずに済む講習です」
◇ ◇ ◇
「おいおい、数字で丸め込もうってのか」
人垣の後ろから、別の中堅さんが声を上げた。
「怪我なんて運だろ。どんなに気をつけたって、やられるときはやられる」
「はい。運もあります」
「なら講習なんか意味ねえじゃねえか」
「運が悪かったときに、生きて帰れるかどうかが違います」
そう答えたとき、人垣の端から小さな手が挙がった。
「あの……ちょっといいっすか」
トビアスさんだった。昨日の講習で、百回死んだ人だ。
「俺、昨日の講習で、レオンハルトさんに何回も死んだって言われたっす。正直、めちゃくちゃ怖かったっす」
「おう、聞いたぜ。元Sランクの拷問講習だろ」
「拷問っす。でも」
トビアスさんは、少し照れくさそうに頭をかいた。
「今朝、荷馬車の護衛で街道を通ったら、茂みの中で何か動いたんすよ。前だったら気にしなかったっす。でも、なんか体が勝手に止まって、馬を下がらせたんす。そしたら、毒蛇がいたっす」
人垣が静かになった。
「馬が噛まれてたら、荷馬車ごと止まって、依頼は失敗だったっす。商人さんにすごく感謝されて、報酬もちょっと上乗せしてもらえたっす」
リリアンさんも、隣でこくこくと頷いていた。
「私も昨日、逃げ方を教わりました。おかげで、今日の護衛は全員無事でした」
フーゴさんが、紙の上の数字と、トビアスさんの顔を交互に見た。
「……二千五百ゴルドか」
「はい」
「九万ゴルドよりは、安いな」
彼はがりがりと頭をかいて、ぶっきらぼうに言った。
「一回だけだぞ。つまんなかったら二度と出ねえからな」
「ありがとうございます!」
それをきっかけに、何人かが参加の名簿に名前を書きはじめた。中堅さんが三人。新人さんが四人。
前回の倍以上だった。
◇ ◇ ◇
人垣が散ったあと、カウンターの隅で一部始終を見ていたガーランドさんが、のそりと近づいてきた。
「お前、本当に数字が好きだな」
「好きというか、それしか武器がないので」
「……ふん」
ガーランドさんは名簿をちらりと見た。
「フーゴのやつが出るなら、俺も顔くらいは出してやる。あいつは昔から、人の話を聞かねえで沼に突っ込むからな」
「ガーランドさんも、講師をしてくださるんですか?」
「講師はやらねえって言ってんだろ。見てるだけだ」
それでも、十分だった。十か条の本人が、その場にいてくれるのだから。
その夜、私は名簿を見ながら、次のことを考えていた。
講習で教えられるのは、一人ひとりの身の守り方だ。でも現場では、一人で動くとは限らない。
トビアスさんは馬を落ち着かせるのが得意で、リリアンさんは逃げ道を探すのが得意。フーゴさんは剣の腕があって、弓使いの子は目がいい。
一人ひとりの得意を、組み合わせたら。
前にベルナードさんが練習問題で出した答えを思い出す。一人でできない依頼は、組み合わせればいい。
「ギルド長。合同依頼って、やったことありますか」
「合同? 何人かで一つの依頼をやるってことかい?」
「はい。適性の違う人を組み合わせて」
ベルナードさんは紅茶を一口すすって、にっこり笑った。
「アリサちゃん、また面白いことを考えてる顔だね」




