第28話 ギルド長の昔話には、秘密があります。
倉庫の奥は、予想の三倍くらい埃っぽかった。
「けほっ。ギルド長、最後にこの箱を開けたのはいつですか」
「さあ……私がギルド長になったときに運び込んで、それっきりかなあ」
「十年前じゃないですか」
「十年前だねえ」
木箱は全部で六つあった。どれも蓋に「旧依頼書」とだけ書かれた紙が貼ってある。字が掠れていて、かろうじて読める程度だ。
私は手ぬぐいで口を覆って、一つ目の箱を開けた。
中には、黄ばんだ依頼書がぎっしり詰まっていた。紙の質も、書式も、今のものとは少し違う。日付を見ると、一番古いもので三十年近く前だった。
「すごい。こんなに残ってたんですね」
「前のギルド長がね、几帳面な人だったんだ。全部取っておけって」
「前のギルド長」
「私が若いころ、冒険者だったときのギルド長だよ。厳しい人でねえ。よく怒られたもんだ」
ベルナードさんが懐かしそうに目を細めた。
ギルド長にも冒険者時代があったのか。考えてみれば当たり前なのだけど、お茶を淹れてクッキーを出している姿しか知らないので、うまく想像できない。
「ギルド長も、魔物と戦ってたんですか」
「戦ってたよ。弱かったけどね。Cランク止まりだった」
「意外です」
「どっちの意味でかな?」
両方の意味です、とは言わなかった。
◇ ◇ ◇
安全講習の資料にするつもりで、私は古い依頼書を一枚ずつ見ていった。
そして、三枚目でもう手が止まった。
「……ギルド長。これ」
「うん?」
「依頼書に、撤退条件の欄があります」
今の依頼書にはない欄だった。依頼内容、場所、報酬。その下に、もう一つ枠があって、こう書かれている。
撤退条件。魔物の数が三を超えた場合、または日没の一刻前に達した場合は、依頼を中断して帰還すること。この場合、違約金は発生しない。
「違約金なし……」
包帯の剣士さんの顔が浮かんだ。違約金が怖くて引き返せなかった、と言っていた。
「昔はね、依頼書に必ず書いてたんだよ。ここまで来たら帰ってこい、って」
「いつからなくなったんですか」
「いつからだったかなあ……」
私は次々と依頼書をめくった。撤退条件の欄は、どの依頼書にもあった。危険度の高い依頼ほど、条件が細かく書かれている。
古い依頼書はそのまま、ガーランドさんの十か条を制度にしたようなものだった。
「これ、講習にそのまま使えます」
「おお、よかったねえ」
「でも、それより」
私は依頼書の束をいくつか並べた。古いものから、新しいものへ。
撤退条件の欄は、ある時期を境にぷつりと消えていた。
◇ ◇ ◇
気になったのは、撤退条件だけではなかった。
古い依頼書を報酬の欄で見比べていくと、今とはまるで違う傾向が見えてきたのだ。
「ギルド長。昔は、どんな依頼の報酬が高かったですか」
「どんなって……危ない依頼じゃないかな」
「それはそうなんですけど。見てください」
私は二枚の依頼書を並べた。どちらも三十年近く前のものだ。
一枚は、北の森の狼討伐。報酬は今と大差ない。
もう一枚は、北の森の見回り。魔物の動きを観察し、異常があれば報告すること。討伐は不要。
報酬は、狼討伐の二倍近かった。
「見回りのほうが、討伐より高いんです」
「ああ……そういえば、昔はそうだったね」
「どうしてですか?」
ベルナードさんは少し考えて、思い出すように言った。
「前のギルド長がよく言ってたんだ。魔物を倒すのは二流の仕事だ。魔物が増えないように見張るのが、一流の仕事だって」
「見張る」
「森の奥で魔物が増えはじめていないか。どこかで変な動きをしていないか。そういうのを早く見つけて、大きくなる前に手を打つ。それが冒険者ギルドの本当の仕事だって」
私は黙って依頼書を見つめた。
見回り、観測、異常の報告。古い依頼書には、そういう種類の依頼がたくさんあった。今の掲示板にはほとんどない。今あるのは、討伐、討伐、討伐だ。
「ギルド長。それ、いつから変わったんですか」
「うーん……」
ベルナードさんは眉間にしわを寄せた。
「たしか、本部から通達が来たんだよ。報酬の基準を変えるって。私がまだ冒険者だったころだから……二十年以上前かなあ」
「通達の中身は」
「よく覚えてないんだ。でも、それからだね。見回りの依頼が減って、討伐の依頼ばかりになったのは。前のギルド長、あのときはずいぶん怒ってたなあ」
私は箱の底をさらった。
あった。依頼書の束の一番下に、一枚だけ色の違う紙が挟まっていた。中央冒険者ギルド本部の紋章入りの通達書だ。
報酬基準および補助金算定方式の改定について。
日付は、二十三年前。
中身を読もうとして、私は目を細めた。半分以上が擦り切れて、文字が判読できない。かろうじて読めるのは、ほんの数行だけだ。
討伐実績に基づく。危険地域維持補助金。各支部の。
それ以上は、紙の繊維と一緒に消えていた。
◇ ◇ ◇
「アリサちゃん、何かわかったのかい?」
「……まだ、わかりません」
正直に答えた。
二十三年前に、報酬と補助金の決め方が変わった。それを境に、撤退条件が消え、見回りの依頼が減り、討伐の依頼ばかりになった。
それが何を意味するのかは、まだわからない。でも、前世の経理の勘が、また小さく警報を鳴らしていた。制度が変わるとき、必ず誰かが得をして、誰かが損をする。
「ギルド長。この箱、しばらくお借りしてもいいですか」
「いいけど、講習の資料にするんだよね?」
「それもあります」
それも、と言ったことに、ベルナードさんは気づかなかったようだった。
「前のギルド長はね、最後まで言ってたよ。この依頼書は捨てるなって。いつか誰かが読む日が来るからって」
ベルナードさんは箱の蓋をそっと撫でた。
「まさか、それがアリサちゃんになるとは思わなかったなあ」
私は擦り切れた通達書を、丁寧に帳面に挟んだ。
いつか誰かが読む日が来る。その誰かが、今日の私なのかどうかはわからない。でも少なくとも、この紙を読める人間がここにいることは確かだった。
まずは講習だ。撤退条件の欄を、次の講習でそのまま使う。
通達書のことは、それから考えればいい。今はまだ、この紙が何を語ろうとしているのか、私には半分も読めないのだから。




