第24話 私にできる冒険
「受付に、冒険の何がわかる」
大柄な冒険者さんの声は、大きくはなかった。
でも、ギルドにいた全員の手が止まるくらいには、よく通った。
「ガーランド・ベンジャミン。Bランクだ。このギルドに来て十五年になる」
彼はカウンターに肘をついたまま、名乗った。そういえば、あれだけ反対されたのに名前を聞いたのは初めてだ。
「アリサ・ミルフォードです。受付をしています」
「知ってる。毎日見てるからな」
ガーランドさんは、さっきリリアンさんが押し戻した岩場の依頼書を指でとんとんと叩いた。
「あの新人を止めたのは、まあいい。Fランクに岩トカゲは無理だ。そこは俺も同じ意見だ」
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはねえ。問題はその次だ」
彼の太い指が、今度はリリアンさんに渡した控えの写しを叩く。南の丘の薬草採り護衛。危険度一。
「南の丘の北側、沢沿いの道を通るだろ」
「はい。採集地点までの一番近い道です」
「おととい雨が降った」
「……はい」
「あの沢沿いは、雨のあと三日は足場が崩れやすい。去年も荷運びの新人が足を滑らせて、沢に落ちて腕を折った」
私は言葉を失った。
「依頼書に書いてあったか?」
「……書いてありません」
「お前の表に書いてあったか?」
「書いてありません」
「危険度一だと? 雨のあとの沢沿いを、見習い五人連れて歩かせるのが危険度一か」
ギルドの空気が、しんと冷えた。
◇ ◇ ◇
私は慌ててカウンターを飛び出しかけた。今からでも追いかけて、道を変えるように伝えなければ。
「待て」
ガーランドさんの声に足が止まる。
「もう伝えてある」
「え?」
「さっきあいつが出ていくときに、すれ違いざまに言っといた。沢沿いはやめて、丘の東を回れってな」
私はぽかんと口を開けた。
「……ありがとう、ございます」
「だから礼はいらねえって言ってんだろ」
ガーランドさんはふんと鼻を鳴らした。
「俺が言いてえのはそこじゃねえ。お前のその表と数字は、たしかに大したもんだ。二週間の試験で結果も出した。そこは認める」
「はい」
「けどな。現場ってのは、紙に書けねえことの集まりなんだよ。昨日の雨。今朝の風向き。獣の機嫌。足場の湿り具合。そういうもんで、危険度一が一瞬で四になる」
彼の目は、怒っているというより、真剣だった。
「お前は数字を出して、冒険者を表に並べて、向いてる仕事を割り振る。それで救われるやつもいるだろう。けど、お前が一度も見たことのねえ場所の危険度を、お前が決めてる。それが俺は怖えんだ」
言い返せなかった。
その通りだったからだ。
私が決めた危険度は、依頼書と報告書と、レオンハルトさんから聞いた話と、弓使いの二人が描いた地図から作ったものだ。どれも大事な情報だ。でも、どれも誰かの目を通した二次情報でしかない。
前世でもあった。現場を一度も見ないまま、会議室で作られた業務マニュアル。書いてあることは全部正しいのに、現場では誰も使わなかった。使えなかったのだ。
「……ガーランドさん」
「なんだ」
「おっしゃる通りです」
ガーランドさんの眉が、ぴくりと上がった。
「私は現場を知りません。知らないまま、危険度を決めていました」
「わかってんなら」
「だから、見に行きます」
◇ ◇ ◇
「は?」
ガーランドさんだけでなく、奥の机のベルナードさんまで、同じ顔で固まった。
「見に行くって、どこにだい、アリサちゃん」
「現場です。私が危険度を決めた依頼の、実際の場所に」
「受付が!?」
「受付がです」
ガーランドさんが呆れたように頭をかいた。
「おいおい、何もそこまでしろとは言ってねえぞ」
「でも、ガーランドさんの言う通りなんです。自分の目で見たことのない場所の危険度を、紙の上だけで決めるのは怖いことです。だったら、見ればいいんです」
「お前、剣も使えねえだろ」
「使えません」
「魔法は」
「生活魔法で湯を沸かすくらいです」
「死ぬぞ」
「なので、護衛をお願いします」
私はくるりと振り返った。
ちょうどギルドの扉が開いて、黒い外套の人が入ってくるところだった。報告書を出しに来たらしい。
タイミングがいいのか悪いのか。
「レオンハルトさん!」
「……なんだ。嫌な予感がする」
「依頼があります」
「断る」
「まだ何も言ってません」
「お前がその顔をするときは、だいたい面倒な話だ」
覚えられている。光栄なような、そうでもないような。
「私を現場に連れていってください。採集依頼の現場を見たいんです。自分が決めた危険度が正しいのかどうか、この目で確かめたいんです」
レオンハルトさんは報告書をカウンターに置いて、私の顔をじっと見た。それから、ガーランドさんのほうをちらりと見た。
「お前が焚きつけたのか」
「焚きつけちゃいねえよ。受付が勝手に燃えてるだけだ」
二人の間に、なんとも言えない空気が流れた。どうやら顔見知りではあるらしい。
「受付。現場は遊び場じゃない」
「わかってます」
「お前を守る分だけ、俺の判断が遅れる。前にそう言ったはずだ」
「言いました。なので、私は絶対にレオンハルトさんの指示に従います。走れと言われたら走ります。伏せろと言われたら伏せます。帰れと言われたら、その場で帰ります」
前世の新人研修で、上司の指示には即答で従えと叩き込まれた。あの経験が役に立つ日が来るとは思わなかった。
レオンハルトさんは長いこと黙っていた。
「……報酬は」
「え」
「依頼なんだろう。報酬は」
私は一瞬考えて、それから胸を張った。
「危険度一の採集依頼の護衛なので、規定の報酬です」
「安いな」
「新しい基準で決めた、適正価格です」
ガーランドさんが、たまらずといった感じで吹き出した。
レオンハルトさんは小さく、本当に小さく息を吐いた。
「一度だけだ」
「ありがとうございます!」
「明日の朝、日の出に門の前。遅れたら置いていく」
「遅れません!」
レオンハルトさんが出ていったあと、ガーランドさんは腕を組んで私を見下ろした。
「お前、本当に行く気か」
「行きます」
「……変な受付だな」
「よく言われます」
ガーランドさんは何か言いたげに口を動かして、結局「怪我すんじゃねえぞ」とだけ言って去っていった。
その日の夕方、リリアンさんが護衛の依頼から帰ってきた。丘の東を回ったおかげで、見習いさんたちは全員無事に薬草を採れたらしい。
「ガーランドさんに教えてもらったんです。すれ違ったときに、ぶっきらぼうに」
「そうですか」
「怖い人だと思ってたけど、いい人ですね」
「……そうかもしれませんね」
私は危険度表を開いて、南の丘の欄に小さく書き足した。
雨のあと三日、沢沿い不可。
紙に書けないことの集まりを、少しずつ紙に書いていく。それが、私にできる冒険なのかもしれない。




