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第20話 潰れかけギルドの、最初の一歩。

噂というのは、魔物より足が速い。


翌朝ギルドの扉を開けると、カウンターの前にはいつもの倍の人だかりができていた。


「おい受付、昨日の夜の話は本当か!」

「弓の嬢ちゃんたちが、北の森の奥から生きて帰ったって」

「元Sランクが一人で迎えに行ったってのも本当か!」

「あと、地図がどうとかって」


質問が多すぎて、どれから答えればいいのかわからない。


私は手元の番号札の束を掲げた。


「順番にお答えします。番号札をどうぞ」

「こんなときまで番号札かよ!」

「こんなときだからです」


怒鳴り声が、なぜか笑い声に変わった。


   ◇ ◇ ◇


昼前、弓使いの二人組が顔を出した。足をひねった子は杖をついているけれど、顔色はすっかりよくなっている。


「受付さん、昨日はほんとにありがとう」

「お礼はレオンハルトさんに言ってください。私は宿の扉を叩いただけです」

「あの人には言ったよ。そしたら、礼なら地図を描いた自分たちに言えって」

「……あの人らしいですね」


二人は調査の記録を差し出した。昨日のことで途中までしか描けなかった、北の森の奥の分布図だ。


「ここ。魔物が集まってた場所」


目のいいほうの子が、地図の一点を指さした。森の北側、沢と岩場に挟まれたあたり。


「狼も大蛙も、ほかの見たことない魔物も、全部ここを向いてたんだよ。縄張りとか餌とか、そういう感じじゃなかった」

「何かに呼ばれてるみたいだった、って言ってましたよね」

「うん。うまく言えないけど」


私は分布図の写しを取り、その一点に赤い印をつけた。昨夜、レオンハルトさんがじっと見つめていた方角とも重なる。


「この場所、しばらく立ち入りを控えるよう掲示します。危険情報として」

「それがいいと思う」


理由はわからない。でも、わからないことを記録しておくのも受付の仕事だ。


   ◇ ◇ ◇


それから二週間。試験運用は最後まで続いた。


北の森の騒ぎのあと、参加したいと言ってくる人が少しずつ増えた。最初の五人に加えて、新人さんが三人、中堅さんが二人。


そして、意外な人がもう一人。


「姉ちゃん。追跡の依頼、ねえか」


元猟師さんだった。照れくさそうに頭をかいている。


「北の森のあれで、魔物の痕跡を調べてほしいって依頼が近くの村からいくつか来てるだろ。ああいうのは、俺の得意分野だ」


その通りだった。北の森の異変の噂が広まって、周辺の村から「魔物の足跡を調べてほしい」という依頼が立て続けに届いていたのだ。追跡の依頼は月に数件しかない、と彼が反対したあの日から、状況が変わっていた。


「お願いします。追跡五の方にしかお任せできない依頼です」

「五、ってなんだ」

「こちらの話です」


元猟師さんは痕跡調査を四件こなし、どれも依頼主から感謝の手紙が届いた。薬草採りより、ずっと稼ぎがよかったらしい。


   ◇ ◇ ◇


二週間目の最後の日。閉館後のギルドに、冒険者さんたちを集めた。


試験運用の結果を発表するためだ。


私は大きな紙に書いた数字を掲げた。


「試験に参加した方は、最終的に十一人。この二週間で受けた依頼は六十二件です」


ざわめきが起きる。


「そのうち、失敗した依頼はゼロ。怪我人は、北の森で足をひねった一人だけです。その一人も、生きて帰ってきました」


杖をついた弓使いの子が、ぺこりと頭を下げた。拍手が起きた。


「そして、参加者全員の稼ぎが、試験前より増えています。一番増えた方は、一・八倍です」

「誰だ、それ」

「採集五の剣士さんです」


剣士さんが真っ赤になった。周りの冒険者さんたちに背中を叩かれている。


私は紙を下ろして、集まった人たちを見渡した。


「これが、新しい制度の結果です。まだ二週間、まだ十一人です。でも、少なくとも机の上の空論ではないことは証明できたと思います」


前列の大柄な冒険者さんが、腕を組んだまま口を開いた。


「……ふん。たまたまうまくいっただけかもしれねえだろ」

「かもしれません。だから、これからも結果を出し続けます」

「元Sランクがいなきゃ、北の森の嬢ちゃんは死んでたぞ」

「はい。だからレオンハルトさんみたいな人の知識も、ちゃんと仕組みに組み込みたいんです」


大柄な冒険者さんは何か言いかけて、やめた。ふい、と顔をそむける。


「俺はまだ認めたわけじゃねえからな」

「はい」

「……けど、まあ、次の説明くらいは聞いてやる」


それだけ言って、彼はどかどかと出ていった。


その後ろで、何人もの冒険者さんがカウンターに寄ってきた。


「受付さん、俺も試験に入れてくれ」

「あたしも。得意なこと、ちゃんと聞いてほしい」

「その表ってやつ、俺の分も作ってくれよ」


番号札が、足りなくなった。


   ◇ ◇ ◇


最後の一人を見送ったあと、ギルドの隅で壁にもたれている人影に気づいた。


黒い外套。腕組み。いつの間に来ていたのか。


「レオンハルトさん。見ていてくださったんですか」

「通りかかっただけだ」

「閉館後のギルドを?」

「……」


私は彼の前に立って、深く頭を下げた。


「北の森の件、本当にありがとうございました。あの二人が生きて帰れたのは、レオンハルトさんのおかげです」

「何度も言わせるな。地図がよかっただけだ」

「その地図を信じて動いてくれたのは、レオンハルトさんです」


レオンハルトさんは少しだけ黙った。


「お前のやり方が全部正しいとは思わない」

「はい」

「ただ、あの地図は役に立った。それだけだ」


そう言って、彼はいつものように扉へ向かった。今度は振り返らなかったけれど、扉を閉める音が、いつもより少しだけ静かだった気がした。


   ◇ ◇ ◇


その夜。私は冒険者適性管理表を広げて、ある行を探した。


レオンハルト。救護、保留。


ペンを取って、空欄に数字を書き込む。


五。


仲間と動いたところを見たことがない、と保留にした欄だった。でも昨日の夜、あの人は木の上で動けなくなった子を背負って、暗い森から生きて連れ帰ってきた。それが救護でなくて何だというのだろう。


その右隣、協調性の欄は、まだ一のままだ。こちらはさすがに、まだ書き換えられない。


「アリサちゃん、楽しそうだね」


ベルナードさんがお茶を置いてくれた。


「ギルド長。今日、冒険者さんたちから初めて言われたんです。試験に入れてくれって」

「見てたよ。番号札が足りなくなってたね」

「足りなくなりました」


赤字はまだ毎月百八十万ゴルド近い。素材買取の謎も、本部経由の四件も、北の森の赤い印も、何ひとつ解決していない。閉鎖の期限まで、残りは一か月半ほど。


それでも。


「最初の一歩、ですね」

「うん。潰れかけギルドの、最初の一歩だ」


カップの湯気の向こうで、掲示板の「受付中」の欄に、新しい依頼書が整然と並んでいた。

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