第19話 元Sランクさん、協力してください!
夕方の鐘が鳴った。
弓使いの二人組は、戻ってこなかった。
「……アリサちゃん」
「まだ鳴り終わったばかりです。少し遅れているだけかもしれません」
自分に言い聞かせるように答えた。カウンターの上の分布図に視線を落とす。今日二人が入ったのは北の森の奥、レオンハルトさんが狼の群れを片づけた場所のさらに先だ。
戦闘は禁止。危ないと思ったらすぐ戻る。その約束を、あの二人が破るとは思えなかった。
だとしたら、戻りたくても戻れない理由がある。
ギルドの扉が乱暴に開いたのは、鐘が鳴り終わってから少し経ったときだった。
「受付さん!」
弓使いの片方、目のいいほうの子が転がり込んできた。髪には葉っぱが絡まり、膝は泥だらけで、肩で息をしている。
一人だった。
「相方さんは!?」
「森の奥。木の上にいる。足をひねって、降りられなくて」
「魔物ですか」
「狼。それから、見たことない大きいのも。いっぱい」
彼女は息を整えながら、震える声で続けた。
「おかしいんだよ。あそこ、昨日はなんにもいなかったのに。今日行ったら、いろんな魔物が一か所に集まってて。まるで何かに呼ばれてるみたいに」
ベルナードさんの顔から、血の気が引いた。
◇ ◇ ◇
「すぐに捜索の人を集めましょう」
「でもアリサちゃん、この時間に森の奥へ行ける人なんて」
ベルナードさんの言う通りだった。日が沈みかけた森に、得体の知れない魔物の群れ。並の冒険者さんでは、助けに行った側が遭難する。
頭に浮かんだのは、一人だけだった。
「ギルド長、ここをお願いします」
「え、アリサちゃんどこに」
「レオンハルトさんの宿です!」
レオンハルトさんが泊まっている宿は、ギルドから二本先の通りにあった。前に受注手続きのとき、住所欄に書いてもらっていたのだ。書類は人を救う。前世では、残業の言い訳にしかならなかった言葉だけど。
宿の主人に頼み込んで二階の部屋を叩くと、扉はすぐに開いた。
「……受付か」
「レオンハルトさん、協力してください!」
「何があった」
説明はできるだけ短くした。北の森の奥。弓使いの片方が足をひねって木の上に。周囲には狼と見慣れない大型の魔物が集まっている。昨日まではいなかった。
レオンハルトさんの目が、わずかに細くなった。
「戦闘禁止の調査だと言っていたな」
「はい。二人とも約束を守って、戦わずに逃げようとしたんです」
「それで、俺に迎えに行けと」
「お願いします」
返事はなかった。三秒。五秒。
「俺は誰かの命を預かるつもりはないと言ったはずだ」
「預けません」
「……何?」
「預けるんじゃなくて、迎えに行ってほしいんです。あの子は、自分の足で生きて帰る準備をしてます。木の上で、ちゃんと待ってるんです」
我ながら屁理屈だと思った。でも、それ以外の言葉が見つからなかった。
レオンハルトさんは私の顔をじっと見下ろして、それから小さく息を吐いた。
壁に立てかけてあった長剣を、手に取る。
「場所は」
「これです!」
私は握りしめてきた分布図を広げた。弓使いの二人が三日かけて描いた、北の森の地図。狼の巣、大蛙の沢、安全な道、そして今日二人が向かう予定だった調査地点に、私が小さく丸をつけてある。
レオンハルトさんの眉が、ほんの少しだけ動いた。
「……誰が描いた」
「あの二人です。試験運用の調査で」
「いい地図だ」
それだけ言うと、彼は外套を羽織って部屋を出た。
◇ ◇ ◇
私は森の入口までついていった。
本当はギルドで待つべきだったのかもしれない。でも、木の上にいる子の相方が「場所なら私が一番わかる」と言ってきかなかったし、その子を一人で行かせるわけにもいかなかった。そして私は、受付として最後まで見届けたかった。
「お前たちはここから先に入るな」
「はい」
「夜明けまでに戻らなければ、ギルドに戻れ」
「……戻ってきてくださいね」
「当たり前だ」
レオンハルトさんは分布図を懐にしまうと、迷いのない足取りで森の暗がりへ消えていった。
それから先は、時間が止まったようだった。
街道沿いの森の入口で、私と弓使いの子は肩を寄せ合って座っていた。魔導灯の明かりがやけに頼りない。遠くで、獣の吠える声が何度か聞こえた。そのたびに隣の子の肩がびくりと震えた。
「受付さん。あたしたち、約束守ったよね」
「守りました。だから生きて戻れたんです」
「あの子も、ちゃんと帰ってこれるよね」
「帰ってきます。あの地図を見たレオンハルトさんが、いい地図だって言ったんですから」
根拠になっているのかいないのか、自分でもわからなかった。
◇ ◇ ◇
森の奥から足音が聞こえてきたのは、月がだいぶ高くなってからだった。
暗がりから現れたレオンハルトさんの背中に、もう一人の弓使いさんが背負われていた。外套のあちこちが裂けていたけれど、足取りはしっかりしている。
「戻ったぞ」
「……っ!」
隣の子が飛び出していった。背中から下ろされた相方さんに抱きついて、二人して泣き出す。
「ごめん、足ひねって、ごめん」
「いいの、帰ってきたからいいの」
私はレオンハルトさんに駆け寄った。
「怪我は!」
「ない」
「本当に?」
「ない。……地図の通りの場所にいた。迷わずに済んだ」
それは、あの二人がこの三日間でつかんだものだった。私の試験運用が、たった一枚の地図を通して、誰かの命につながった。
お礼を言おうとして、口を開きかけた。
そのときだった。
森の奥から、ひやりとした風が吹いてきた。
レオンハルトさんの体が、ぴたりと止まった。
振り返る。森の北のほう、さっきまで彼がいたはずの闇の奥を、じっと見つめている。その顔は、私が今まで一度も見たことのないものだった。
無表情ではない。怒りとも違う。もっと深いところから湧いてくる何かを、噛み殺しているような顔。
まるで、二度と嗅ぎたくなかった匂いを嗅いだみたいに。
「……レオンハルトさん?」
呼びかけると、彼はゆっくりと視線を戻した。もういつもの無表情だった。
「なんでもない。戻るぞ」
「でも今」
「なんでもないと言った」
それ以上は、聞けなかった。
私は弓使いの二人に肩を貸しながら、ちらりと森を振り返った。そこにはただ暗い木々が並んでいるだけで、私には何も感じ取れなかった。
魔物が一か所に集まっていた場所。何かに呼ばれているみたいだった、と弓使いの子は言った。そしてその方角に向けて、あの人は見たことのない顔をした。
偶然だろうか。
前世で学んだ真理その八。二つのおかしなことが同じ場所で起きたら、それはたぶん、一つのおかしなことだ。




