青い竜と砂漠の城
その「気配」は、見る間に近づいてきた。
朝焼けの空の彼方に、青い影が現れる。それは雲を裂き、ぐんぐんと大きくなって——やがて、巨大な一頭の竜となって、二人の頭上に舞い降りてきた。
三つの首を持つ、青い鱗の竜だった。
竜は、長い首を三本ともぐるりと巡らせ、リオンの腰のラッパを、じろじろと不躾に眺めた。
「おい坊主。さっきの、けったいな音を出したのは、お前か」
「け、けったいって……」
リオンが、むっと頬を膨らませる。
竜は、三つの口で、ガハハと豪快に笑った。
「あんな腑抜けたラッパの音、何百年ぶりに聞いたかわからん。あんまり下手くそだったんで、つい、目が覚めちまったぜ」
「だから、けったいって言うな!」
アリスは思わず噴き出してしまった。
竜は、ぎょろりとした目で、今度はアリスを見下ろした。
「で、お前ら、こんな朝っぱらから、どこへ行く気だ?」
「えっと……それが、まだ、わからなくて」
「ふん」
竜は、つまらなそうに鼻を鳴らした。それから、何かを見透かすように、ふっと目を細める。
「……まあいい。乗りな。お前らの行き先は、たぶん、この上じゃねえ。ずっと向こうの、果てだ」
言われるがまま、アリスとリオンは、おそるおそる竜の広い背に乗った。
竜が大きく翼を広げる。
ひと打ち、ふた打ち。
身体がぐん、と持ち上げられ、音楽の国が、みるみる足元へ遠ざかっていった。金色に輝く朝の街並みが、おもちゃみたいに小さくなっていく。
竜は、高く、高く昇っていく。やがて、空の一番上で、世界と世界を隔てる薄い膜のようなものを、ばさりと突き抜けた。
その瞬間、景色が、まるごと塗り替わった。
暖かな朝の光は消え失せ、あたりは一面、凍えるような夜になる。
眼下を、骨の海が流れていく。月明かりに白く光る、太古の巨獣の骸。肋骨の檻、砕けた牙、天を指したまま化石になった翼。
その骨の隙間から、ぬっと、黒いものが噴き上がった。
竜巻だ。
一つ、二つ、十、百。数えるのをやめるしかないほどの竜巻が、砂を巻き上げ、夜空を埋めながら、こちらへ突進してくる。
「しっかり捕まってな!」
竜が吠えた。三つの首が、同時に。
「掴まるって、どこに——きゃあっ!?」
アリスの問いは、最後まで言葉にならなかった。竜が、最初の竜巻へ真っ向から突っ込んだからだ。
世界が、傾いた。
右。急に左。胃が浮く。砂が頬を叩く。アリスは竜の鱗にしがみつき、目をつぶった。怖い。落ちる。死ぬ。
「目を開けろ、嬢ちゃん!」
「無理!」
「開けねえと、もっと怖えぞ!」
恐る恐る、薄目を開ける。
竜は、躍っていた。
竜巻の壁すれすれを、滑るように抜けていく。一つを潜り、ひねって次をかわし、立ち上る砂の柱の隙間を、糸を通すように縫っていく。
——あ。
その瞬間、何かが噛み合った。
竜の身体の揺れと、自分の呼吸が、ひとつになった。怖さが、すっと退いていく。
右へ。左へ。潜って、抜けて、また潜る。竜巻が来る。かわす。来る。かわす。流れるように、踊るように、夜の砂漠が後ろへ流れていく。アリスの口から、知らないうちに笑いがこぼれた。
「すごい……!」
「だろ?」竜が、得意げに喉を鳴らした。
——けれど、噛み合った歯車は、唐突に砕けた。
下の骨の海。巨大な頭蓋の、ぽっかり空いた口が、かっと光る。
次の瞬間、その喉の奥から、無数の光の玉が雨みたいに噴き上がってきた。
「下からも来るのか!」リオンが叫ぶ。
「ちっ——伏せてろ!」
竜が身をひねって弾幕をかわす。一発。二発。けれど避けきれなかった一発が、左の首の付け根を、ばちんと撃ち抜いた。
「ええっ!?」
アリスが見た。さっきまで三つあった首が、二つになっている。撃たれた首は、闇のなかへ吹き飛んでいった。
「だ、大丈夫なの!? 首が……!」
「問題ねぇ。そのうち生えてくる」
「生えてくる!?」
「そういうもんだ」
あんまり平気そうに言うので、アリスは怖がっていいのか悪いのか、わからなくなった。
だが、竜の声が、ふっと低くなった。
「……上だ」
アリスは見上げた。
星空の一点に、緑の光が灯っていた。きれいだ、と思ったのは一瞬だけだった。
光は、見る間に脚を伸ばす。八本の、細く長い脚。糸を引きながら、それは巨大な蜘蛛のかたちになって、音もなく夜空から舞い降りてくる。
「あれだけは、まともにやり合うな」竜が唸った。「捕まったら、糸ごと地面に縫いつけられる」
「じゃあ、どうするの!?」
「決まってる」
二つ首の竜が、にやりと笑った。失った首の断面から、もう青い光の粒が漏れ、新しい首が芽吹きはじめている。
「逃げ切るのさ。——もう一回、合わせろよ、嬢ちゃん」
アリスは、ぎゅっと鱗を握った。さっきの感覚を、もう一度。竜の揺れと、自分の呼吸を、ひとつに。
息を、吸う。
竜が、翼を畳んで急降下した。
落ちる。ぐん、と。緑の蜘蛛が、空を切って追ってくる。糸が、頬のすぐ横をかすめた。けれど、もう怖くなかった。竜が右へ流れれば、アリスも右へ。左へ沈めば、左へ。ひとつの生き物みたいに。
骨の谷を、低く、低く翔ける。蜘蛛の糸が、巨大な肋骨に絡んで、ぐん、と止まった。
抜けた。
竜巻の海の、いちばん奥。
砂の底からそのまま生えてきたような、禍々しい黒い城が、月を背にそびえていた。
二つ首の竜は、ゆっくりと翼をすぼめ、その門の前へ舞い降りる。
「着いたぜ」
アリスは竜の背に突っ伏したまま、しばらく動けなかった。心臓が、まだ竜巻のなかを飛んでいる。
でも、頬は、笑っていた。




