殺した者の声
その夜、五人は広間を出て、城の裏手の岩陰で火を焚いた。
城のなかで眠る気には、誰もなれなかった。
枯れ枝は、街のはずれで拾ってきたものだった。湿っていて、なかなか火がつかず、バウルが業を煮やして小さな泡をひとつ放り込んだ。ぱちんと爆ぜて、ようやく赤い炎が立った。
荒野の風は、乾いて冷たかった。
誰も、口をきかなかった。
だいすけが、膝を抱えて、火を見ていた。指が、いつもの癖で膝を叩いている。とん、とん、と。乾いた夜に、その音だけが響いた。
「……なあ」
しばらくして、バウルが言った。
「あいつ、なんなんだよ」
誰も答えなかった。
「言ってることは、わかるんだよ。わかるけどよ。じゃあ、あの箱のなかの連中は、どうすんだよ。あいつが答え見つけるまで、ずっとああしてろってのか。何百年も待たせといて、まだ足りねえって——」
「バウル」
アムルが、低く言った。
「なんだよ」
「もう、やめとけ」
バウルが、兄を見た。
「……兄貴」
「なんだ」
「兄貴、あいつの味方なのか」
火が、ぱちんと爆ぜた。
アムルは、答えなかった。膝に肘をついて、両手を組んで、じっと炎を見ている。
「兄貴」
「……わからん」
アムルは、そう言った。
「わからんのだ」
「なんでだよ」
「おれもな」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「竜だったころ、街をひとつ焼いた」
だいすけの指が、止まった。
「敵に取られた街だ。取り返せなんだ。そこに何人残っとったか、わからん。焼くしかないと言われて、焼いた。おれは竜だ。それしかできんかったからな」
アムルの声は、平坦だった。
「あとで、生き残った奴が言った。あんたのおかげで国が助かった、とな。礼を言われた。……嬢ちゃん、聞くがな」
彼は、アリスを見た。
「おれは、感謝された。だが、焼かれた連中は、何も言わん。言えん」
アリスの喉が、詰まった。
「あいつの言ったことは、正しい」
アムルは、また火に目を戻した。
「生き残った奴の声だけが集まる。おれも、そうだ。おれは、人間に戻れた。名を呼ばれて、あったかいと言われて、戻れちまった。焼いた連中の声は、どこにもない」
「……兄貴」
「だから、寝覚めが悪いと言った」
彼は、ふっと息を吐いた。
「あいつを助けたいのはな、嬢ちゃん。半分は、おれのためだ。あいつが救われりゃ、おれも救われる気がしとった。……卑しい話だ」
しんとした。
風が、岩のあいだを抜けていった。
アリスは、灯籠を膝に置いていた。
火は、まだ灯っている。けれど、広間で掲げたときのような、あの明るさはもうない。ひとつひとつが、小さく、頼りなく揺れているだけだった。
「……ねえ」
アリスは、口を開いた。
「あの人、なんて言ったっけ」
「あ?」
「そこに、私が斬った者の声は、いくつあるって」
誰も、答えなかった。
「ないよ」
アリスは、自分で言った。
「ひとつも、ないもん」
「アリス」リオンが、静かに言った。「それは、君のせいじゃない」
「うん。わかってる」
アリスは、灯籠の火を見つめた。
「わかってるけど、あの人が言ってることも、わかっちゃったの」
「……」
「私が持ってきたの、都合のいい声ばっかりだった。助かった人の声。生きてる人の声。そりゃ、嬉しいに決まってる。でも、あの人が本当に怖いのは、そっちじゃないんだ」
だいすけが、顔を上げた。
「ねえちゃん」
「ん」
「あのさ」
だいすけは、少し言いにくそうに、鼻の頭をかいた。
「オラ、あの箱のとこ、こわかった」
「うん」
「でも、いちばんこわかったの、箱じゃねえんだ」
「え?」
「あのおっちゃん」
だいすけは、火の向こうを見た。
「あのおっちゃん、ぜんぜん、こわい顔してなかったろ。怒鳴られても、こわくねえの。なんでだろって思ってたんだけど、わかった」
「なに」
「あれ、川んとこの顔だ」
アリスの背中が、ぞわりとした。
「川?」
「オラが、歩いてったとこ。冷たくて、静かで、ぜんぜん疲れねえの。あそこ歩いてるとさ、だんだん、なんも思わなくなんの。悲しいのも、こわいのも、うすくなってくの」
だいすけは、自分の膝を、とん、と叩いた。
「あのおっちゃん、あそこにいるんだ。ずっと。何百年も」
火が、揺れた。
「オラは、太鼓の音が聞こえたから、戻れた。あれがなかったら、たぶん、そのまま川わたってた。……でもよ」
だいすけは、アリスを見た。
「あのおっちゃんには、誰も叩いてやんなかったんだ」
*
アリスは、しばらく、その言葉を胸のなかで転がしていた。
火が、小さくなっていく。バウルが、新しい枝をくべた。
「……ねえ、リオン」
「うん」
「あの人が、いちばん怖がってるのって、なんだと思う」
リオンは、ラッパを膝に載せたまま、少し考えた。
「……忘れることじゃないかな」
「忘れる?」
「うん」
彼は、火を見ながら言った。
「あの人、数えてないって言ったよね。斬った相手を、数えてないって。あれ、僕、嘘だと思う」
アリスは、リオンを見た。
「数えてないんじゃなくて、数えられないんだ。多すぎて。名前も、顔も、もう思い出せないくらい斬った。……たぶん、いちばんの罪は、そっちなんだよ」
火が、ぱちんと鳴った。
「殺したことじゃなくて、忘れちゃったこと」
アリスの胸のなかで、何かが、かちりと音を立てた。
「……あ」
「アリス?」
「そうだ」
アリスは、灯籠を握りしめた。
「そうだよ。だから、あの人は、あの箱を開けられないんだ」
「どういうこと」
「開けたら、名前を呼ばなきゃいけないから」
言葉が、次から次へと出てきた。
「あの箱の人たち、あの人はぜんぶ『あの者たち』って呼ぶの。アムルさんが言ってた。名前で呼んだこと、ないんだって。だって、名前で呼んだら、一人ずつになっちゃうから。一人ずつになったら、その一人ずつに、自分が何したか、認めなきゃいけないから」
アリスは、立ち上がっていた。
「そんで、それができたら、次は——」
言いかけて、止まった。
自分で言っておいて、恐ろしくなった。
「次は、斬った人たちのことも、一人ずつ思い出さなきゃいけなくなる」
火のまわりが、しんとした。
「……そりゃ」
バウルが、ぽつりと言った。
「そりゃ、無理だろ」
「うん」
アリスも、そう思った。
「無理だと思う」
「じゃあ、どうすんだよ」
アリスは、答えられなかった。
そのまま、火のそばに座り込んだ。灯籠を、両手で抱えるようにして。
*
夜が、深くなった。
みんなが、順番に眠りに落ちていった。だいすけは、アリスの肩にもたれて寝息を立てている。バウルは、火の反対側で丸くなった。アムルは、岩に背を預けて腕を組んだまま、目を閉じている。
リオンだけが、まだ起きていた。
「……眠らないの」
「うん」
アリスは、灯籠を見つめていた。
「考えてる」
「なにを」
「あの人に、届かないもののこと」
火が、じりじりと燃えていた。
「灯籠の火って、生きてる人の声でしょ。だから、あの人には届かなかった。斬られた人の声がないから」
「うん」
「でも、私、思ったの」
アリスは、顔を上げた。
「斬られた人の声って、ほんとに、どこにもないのかな」
リオンが、こちらを見た。
「え」
「だって」
アリスは、言った。
「私たち、前に、それをやったじゃない」
リオンの目が、大きくなった。
「雲の上で。忘却の筆が、世界をぜんぶ消したでしょ。もう何にも残ってなくて、真っ白になってて。でも、私たちが名前を呼んだら、また灯ったじゃない」
「……アリス」
「消えたものは、消えてない」
アリスは、自分の胸に手を当てた。
「誰かが覚えてれば、消えてないの。それが、あのとき私たちが証明したことでしょ」
リオンは、しばらく、言葉を探しているようだった。
やがて、彼は言った。
「……じゃあ、誰が覚えてるの」
アリスは、答えた。
「あの人が」
火が、揺れた。
「あの人しか、覚えてないんだよ。斬った人のこと。だから、この世界のどこにも声がないの。あの人のなかにしか、ないの」
リオンが、息を呑んだ。
「じゃあ、それを——」
「うん」
アリスは、うなずいた。
「あの人に、呼んでもらうしかない」
夜の荒野に、風が渡った。
灯籠のなかで、小さな火が、いっせいに揺れた。
「……できると思う?」
リオンが聞いた。
アリスは、少し黙った。
それから、正直に言った。
「わかんない」
「うん」
「たぶん、私が言っても、無理だと思う」
「うん」
「でも」
アリスは、膝の上の太鼓に、そっと手を置いた。
「一個だけ、私が言わなくていい方法がある」
「なに」
アリスは、太鼓を、そっと持ち上げた。
そして、言った。
「あの箱、ぜんぶ、叩いてもらう」
*
翌朝。
といっても、この世界の空は、いつまでも夕闇のままだったけれど。
アリスは、太鼓と灯籠を抱えて、もう一度、城の門をくぐった。
後ろから、四人がついてきた。
誰も、止めなかった。




