光芒の杖
それは、闇そのものが、形を持ったような怪物だった。
ぬらりと光る八本の腕が、吹き抜けの天井から、ぞろりと垂れ下がってくる。顔は、なかった。ただ、虚ろな闇の塊が、八本の腕をうねらせて、四人を見下ろしている。
『……オマエ、タチ、モ』
声が、頭のなかに、直接、響いた。
ぞわり、とアリスの背筋が凍る。けれどそれは、怒りでも、敵意でもなかった。ただ、底なしに悲しい声だった。
『ワスレ、ラレル……ココデ、ヒトリ……ダレニモ、オボエテ……モラエ、ナク、ナル……』
「……かわいそうに」
アリスは、思わず、そう呟いていた。
リオンが、はっとアリスを見る。
「この子も……忘れられたんだ。ずっと、ここで、ひとりで。だから、こんなに悲しい形に、なっちゃったんだ」
『ウルサイ……ウルサイ、ウルサイッ!』
八本の腕が、いっせいに、振り下ろされた。
ゴゴウッ——!
凄まじい衝撃が、青い石の床を砕く。四人は、散り散りに跳んでかわした。
「来るぞ、固まるな!」ガルドが吠える。
剛剣が、迫る腕の一本を斬り飛ばす。けれど、斬られた腕は、ぬるりと闇から再生し、すぐにまた襲いかかってきた。
アリスの泡も、リオンの導きも、げんすけの光弾も。決定打には、ならなかった。
八本の腕は、無尽蔵だった。まるで、尽きることのない悲しみのように、それは、何度でも再生した。
じりじりと追い詰められ、四人は、吹き抜けの最奥——塔の心臓部へと追い込まれていった。
そこに、それは、あった。
部屋の中央の祭壇に、一本の、水晶でできた杖が突き立てられている。内側から、淡く虹色の光を放つ、美しい杖だった。
「あれは……」
リオンが、息を呑んだ。
「光芒の杖〈プリズマ〉。かつて、この世界に光を満たしていたっていう、伝説の遺物だ」
そして、その杖の傍らに。
古ぼけた、一張りの太鼓が、ぽつんと置かれていた。
なぜだろう。アリスは、その太鼓から、目を離せなかった。胸の奥が、懐かしさに、きゅっと疼く。
その、ときだった。
「……あれ?」
げんすけの身体が、ふいに、淡く光りはじめた。
最初は、ほんのりと。けれど、その白い光は、みるみる強くなり、彼の輪郭を、内側から照らし出していく。
「げんすけ!? どうしたの!」
「わ、わかんねえ……からだが、あったかくて……」
げんすけ自身も、戸惑っていた。
その白い光は、傷ついた光ではなかった。むしろ、ひどく優しくて、温かくて——どこか遠くから、誰かが彼を必死に呼んでいるような、そんな光だった。
そして、ふいに、げんすけの耳に、それが聞こえた。
『げんすけ……げんすけ……っ』
「……かあちゃん」
涙が、ぽろりとこぼれた。
「かあちゃんの、声だ。……すげえ、近い。すぐ、そこに、いるみたいに」
ふらり、と。
光に包まれたげんすけが、祭壇の太鼓の前へ歩み寄った。
そして、導かれるように、その表面に、そっと手を置く。
とん。
慣れた、あの手癖で。
とん、とん。
その瞬間。
太鼓の音に呼応するように、傍らの光芒の杖が、かっと眩く輝きはじめた。げんすけを包む白い光と、杖の虹色の光が、混じり合い、共鳴し、部屋いっぱいにあふれ出していく。
『グ……ガアアアッ!?』
忘却の怪物が、その光を浴びて、たまらず仰け反った。八本の腕が、苦しげに身をよじる。
「……今のは」
ガルドが、目を見開いた。
「効いている……あの闇に、初めて、光が届いた」
けれど。
アリスは、気づいてしまった。
太鼓を叩くげんすけの、その小さな身体が——白い光のなかで、少しずつ、透けはじめていることに。
「げんすけ……? ねえ、げんすけ、あなた……」
げんすけは、太鼓を叩きながら、困ったように笑った。
「……なあ、ねえちゃん。オラ、なんだか……帰らなきゃ、いけねえ気が、するんだ」
とん、とん。
その音が、だんだんと遠く、聞こえはじめた。




