骨の野の夜
城の奥は、外の砂漠よりも、なお底冷えがした。
小さな焚き火の輪の外側には、青白くわだかまる闇と、そのなかにぼうっと浮かび上がる、古い骨たち。天を突く肋骨。崩れた頭蓋。誰のものとも知れない、途方もなく大きな翼の化石。砂漠で見たあの骨の海が、そっくりそのまま、この城の底にも堆積しているようだった。
「ねえ」
アリスは膝を抱えたまま、ぽつりと言った。
「この骨って、なんの生き物だったのかな」
リオンは火に小枝をくべながら、少しだけ考えた。
「さあ。でも、たぶん——もう、誰も覚えてないんだと思う」
「覚えてない?」
「うん」
リオンの声は、いつもの軽やかさが、少しだけ薄かった。
「ここはね、誰かが思い出すのをやめたものが、流れ着く場所なんだ。忘れられた獣も、忘れられた城も、忘れられた……まあ、いろんなものがさ。だから、こんなふうに骨になって転がってる」
アリスは、その言葉の意味をうまく呑み込めないまま、なんだか胸の奥がひやりとした。
焚き火の向こうで、げんすけが下駄を脱いで、足をぶらぶらさせていた。さっきから、誰に言うでもなく、膝を指でとんとんと叩いている。とん、とん、とん。乾いた夜に、その音だけが、妙に優しく響いた。
「げんすけ。さっきから、それ何やってんの」
「ん?」
げんすけは、自分の指を不思議そうに見た。
「わかんね。気づいたら、いっつもやってんだ」
それから、ふっと火を見つめて、ぽつりと言った。
「オラさ。たぶん、ここに来ちゃいけなかったんだ」
「え?」
「ほんとは、もっと遠いとこに歩いてくはずだったんだよ。川のほうへ。冷たくて、静かな川のほうへさ」
火が、ぱちん、と小さく爆ぜた。
「でも、ずーっと後ろから、聞こえてくるんだ。オラの名前、呼んで泣いてる声が。かあちゃんの声」
アリスは、息を止めて聞いていた。
「すっげえ悲しくて、胸がぎゅうってなって。そんで、気づいたら、この砂漠に落ちてた。オラがあの光の玉を出すときさ、その泣いてる声が、背中をぐっと押してくれんだ。だから、まだ消えちゃいけねえんだって、わかる」
そう言って、げんすけは、アリスのほうを見た。少し照れくさそうに、けれど、まっすぐに。
「ねえちゃんに初めて会ったとき、おんなじ匂いがしたんだ。あったかくて、こっち側の——生きてるほうの匂い。かあちゃんの気配と、おんなじやつ」
アリスは、何も言えなかった。かけてあげたい言葉が、喉の奥でつかえてしまう。
すると、リオンが膝を抱えて、ふっと笑った。
「……ずるいなあ、げんすけは」
「なんでだよ」
「ちゃんと、自分の怖いところを、言えるんだもん」
リオンは、火を見たまま、帽子のつばを少し下げた。
「僕はね、案内人なんて立派なものじゃないんだ。ほんとは」
「リオン……?」
「君を導くために選ばれた、って顔してきたけどさ。このラッパだって、一度もまともに鳴らせたことがない。音楽の国に生まれたのに、僕だけ、誰とも話せないんだ」
声が、少しずつ、小さくなっていく。
「僕の前にも、案内人はいたんだよ。みんな、僕よりずっと上手で、ちゃんとしてた。でも——途中で、消えちゃった。この世界に忘れられて、塗りつぶされて。だから僕、怖くてたまらないんだ。アリスを、あの人たちみたいに消させたくなくて。怖いのを隠して、平気なふりして、案内人のふりをしてた」
リオンは、ようやくアリスを見て、いつもの笑い方をしようとして、少しだけ失敗した。
「ごめんね。ずっと、強がってて」
焚き火が、三人の顔を赤く照らしている。
アリスは、膝に額をうずめた。
「……私も」
声が、震えていた。
「私も、ずっと忘れたくないものがあるの。小さいころから、ずっと一緒にいた犬。シロ、っていう名前の。私が赤ちゃんのときから、ずっと隣で寝てくれてた。夜になると、脇にぴったりくっついて、とん、とん、って嬉しそうに尻尾で床を叩くの。その音を聞きながら寝るのが、当たり前だった」
とん、とん。
げんすけの指が、まだ膝を叩いている。アリスは、その音にしがみつくように、続けた。
「でも、いなくなっちゃった。最期、私、ちゃんとそばにいてあげられなかった。それだけでも、すごく悲しいのに……もっと、怖いことがあるの」
顔を上げたアリスの頬を、涙が、ひとすじ伝った。
「最近ね、思い出せないの。シロの顔。鳴き声。脇にくっついてた、あの重さ。だんだん、薄くなっていくの。私が、忘れていってるの。……忘れたくないのに。忘れるのが、もう一回あの子を失うみたいで、怖くて。だから、眠れなくて。あの夜も、月明かりをずっと見てて——気づいたら、この世界に落ちてた」
しん、と静まった。
風が、骨の隙間を抜けて、ひゅう、と細く鳴った。
リオンは、しばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「……だから、君はここに来たのかもしれないね」
「え?」
「忘れられたものが、流れ着く場所。忘れるのが怖い子のところに、忘れられそうなものたちが、助けを呼んだのかも」
アリスは、その言葉を、うまく信じられなかった。でも、不思議と、胸の冷たさが、少しだけ和らいだ気がした。
とん、とん、とん。
げんすけの指が、優しく夜を叩いている。
アリスは、その音を聞いていた。脇にくっついていた、あの温もりを、思い出すように。
不思議だった。悲しいはずなのに、その音が響くたびに、胸の奥が、少しずつあたたかくなっていく。
「ねえ、げんすけ」
「ん?」
「その音、もう少しだけ、聞かせて」
げんすけは、きょとんとしてから、にっと笑った。
「いいぜ。よくわかんねえけど」
とん、とん。
だん、とん。
小さな焚き火を囲んで、三人はしばらく、誰も眠らなかった。
高い闇の天井のどこかで、青白い燐光が、まるで耳を澄ますように、ほのかに明滅していた。




