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本当の思い

散々迷った末、智樹はその仕事を請け負うことにした。


返信を書いているあいだも、何度も手を止めた。


仕事として考えれば、断る理由はなかった。

案件の内容も、自分の得意分野に近い。納期にも無理はない。報酬についても問題はない。


ただ、依頼主の名前が、篠原亮だった。


それだけが、引っかかっていた。


「お引き受けします」


最後にそう打ち込んでから、送信する。


送信ボタンを押した瞬間、胸の奥が小さく鳴った。


また会う。


それが決まっただけなのに、どうしてこんなに意識してしまうのか。


智樹は、自分でもそれがわからなかった。


一方、亮もまた、メールを送ったあと、しばらく画面を見つめていた。


今回の案件を智樹に頼むことについて、社内でも少し迷いがあった。


前回の仕事で、智樹の仕事ぶりは高く評価されていた。


デザインの意図をきちんと言葉にできる。

クライアントの曖昧な要望を汲み取りながら、必要以上に迎合しない。

修正にも冷静に対応する。

そして何より、仕上がったものに無駄がない。


「伊藤さん、またお願いできないかな」


そう言ったのは、今回の案件を担当するプロデューサーだった。


「前回、すごくやりやすかったんですよね」


亮は、すぐには答えなかった。


頼みたい。


そう思う一方で、また智樹を傷つけることになったらどうするのか、という怖さもあった。


自分が近づくことで、あの頃の記憶を思い出させてしまうかもしれない。


高校生だった自分には、智樹の気持ちにどう向き合えばいいのかわからなかった。


だから逃げた。


そして、その結果として智樹を傷つけた。


今度は同じことをしたくない。


それでも――。


「……一度、本人に聞いてみます」


そう答えたのは、仕事上の理由だけではなかった。


数日後。


二度目の打ち合わせの日。


智樹は会社の受付前で、深く息を吐いた。


前回ほど緊張していない。


そう思っていた。


けれど、エレベーターの扉が開き、亮の姿を見つけた瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。


「伊藤さん。来てくれてありがとう」


「いえ。仕事ですから」


いつものように、少し距離のある返事をする。


亮は、それ以上何も言わなかった。


それが、以前とは違うような気がした。


打ち合わせは、思っていたよりもずっと自然に進んだ。


亮は仕事の話しかしなかった。


必要なことだけを伝え、智樹の意見を聞き、無理に会話を広げようとはしない。


以前なら、それが物足りなく感じたかもしれない。


けれど今は、少しだけありがたかった。


自分のペースを守らせてくれている。


そんなふうに思った。


打ち合わせが終わったあと、二人で資料を片づけていた。


亮が何気なく言った。


「前の案件、社内でも評判よかったんだ」


「そうなんですか」


「うん。クライアントもかなり満足してた」


「それならよかったです」


それだけの会話だった。


なのに智樹は、なぜか少し嬉しかった。


自分の仕事を認めてもらえたこと。


それを亮が伝えてくれたこと。


高校時代、あれほど近かった相手なのに、今は仕事を通してしか繋がっていない。


そのことが寂しいのか、気楽なのか、自分でもよくわからなかった。


その日から、二人はまた何度か顔を合わせるようになった。


仕事の話をして、資料を確認して、修正点を伝え合う。


ときにはくだらないことで笑うこともあった。


そのたびに智樹は、少しだけ戸惑った。


亮は、昔と変わっていないところがあった。


人の話を聞くとき、少しだけ首を傾ける癖。


考え込むと、右手で顎を触る癖。


笑うと、目尻がわずかに下がるところ。


そんな些細なものが、記憶の中の高校生の亮と重なった。


けれど同時に、昔とは違うところもあった。


智樹が距離を取れば、亮もそれ以上は近づいてこない。


話したくないことには踏み込まない。


何かを聞きたそうにしても、智樹が黙っていれば、それ以上は聞かない。


その態度が、少しずつ智樹の中にある警戒心をほどいていった。


ある日の打ち合わせが終わったあとだった。


資料を鞄にしまいながら、智樹はふと口を開いた。


「……篠原さん」


「ん?」


「高校のときのことなんですけど」


亮の手が止まった。


智樹自身も、自分がその話を切り出したことに驚いていた。


今までなら、避けていた。


思い出したくない。


聞きたくない。


そう思っていたはずだった。


けれど今は、少し違う。


「あのとき……」


そこまで言って、言葉が止まる。


亮は急かさなかった。


ただ、智樹を見ていた。


「……俺が絵を描いてたこと、前に話しましたよね」


「うん」


「そのとき、篠原さんは……」


久しぶりに、その名前を口にした。


「……どう思ってたんですか」


亮はすぐには答えなかった。


けれど、逃げることもしなかった。


「話しても、いい?」


智樹は一瞬だけ迷った。


そして、小さく頷いた。


「……はい」


その返事を聞いた亮は、ゆっくり息を吐いた。


「じゃあ、ちゃんと話す」


その声には、あの頃にはなかった落ち着きがあった。


智樹は初めて、自分から亮の過去の話を聞こうとしていた。


許したわけではない。


昔の傷が消えたわけでもない。


それでも――。


ずっと自分の中だけで決めつけていた「あの日の答え」を、本人の口から聞いてみたいと思った。


そしてその気持ちは、もう「仕事だから」という言葉だけでは説明できなくなっていた。


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