もう一度
それから数日後。
サイトは無事に公開された。
最後の確認メールを送り、智樹はパソコンを閉じた。
ひとつの仕事が終わった。
それだけのことだった。
智樹は椅子の背にもたれ、ゆっくり息を吐いた。
これで、もう亮と会うことはない。
そう思った。
仕事が終われば、仕事相手とのやり取りも終わる。
それは当たり前のことだ。
高校時代の友人だったとはいえ、十年以上も会っていなかった。
今回だって、たまたま仕事がつながっただけだ。
だから、これでいい。
そう思うと、胸の奥に張りつめていたものが少しずつほどけていくのがわかった。
もう、あの声を聞かなくていい。
向かいに座った亮を意識することもない。
名前を呼ばれるたびに、心臓が一度だけ強く鳴ることもない。
あの夜のことを思い出す必要もない。
――これで、元の日常に戻れる。
智樹はそう思った。
なのに。
その日の帰り道、駅へ向かいながら、ふと気づいた。
今日は、あの黒いケースを一度も開けなかった。
いつもなら、帰宅したらその日のラフを整理する。
使った鉛筆を戻して、紙をまとめる。
それだけの習慣だった。
けれど今日は、なぜかそんな気になれなかった。
代わりに頭に浮かんだのは、数日前の亮だった。
仕事の合間に見せた、あの困ったような笑い方。
「昔のこと」と言ったときの声。
そして、最後に自分を誘ったときの、
――もしよかったら。
という言葉。
智樹は歩きながら、わずかに眉を寄せた。
自分から断ったくせに。
今さら、何を考えているんだ。
そう思った。
そのときだった。
ポケットの中で、スマートフォンが震えた。
智樹は足を止めた。
何気なく取り出す。
メールの通知だった。
画面に表示された名前を見た瞬間。
心臓が、どくん、と大きく鳴った。
――篠原亮。
指が止まる。
開く前から、胸の奥が妙に騒がしかった。
嫌な予感がした。
けれど、その「嫌な」が何を意味しているのか、智樹自身にもわからなかった。
メールを開く。
『伊藤さん
先日のサイト制作では、ありがとうございました。
実は、別件でご相談したい案件があります。
もしスケジュールが合うようでしたら、一度お話しできないでしょうか。
篠原』
短いメールだった。
仕事の依頼。
ただ、それだけ。
なのに、智樹はすぐに返信できなかった。
これで終わったと思っていた。
もう会わないと思っていた。
そのはずだった。
なのに。
胸の奥に浮かんだのは、戸惑いだけではなかった。
ほんのわずかに。
――また会うのか。
そんな思いが、先に浮かんでしまった。
智樹は自分で自分に驚いた。
「……何で」
小さく呟く。
会いたいわけじゃない。
そう思った。
少なくとも、自分ではそう思っている。
ただ、メールを閉じようとした指が止まった。
亮からの文章を、もう一度読む。
そして、また最初から読む。
たった数行のメールを、どうして二度も読む必要があるのか。
智樹にはわからなかった。
ただ。
胸の奥に、あの頃と同じ感覚が少しだけ蘇っていた。
放課後、校門を出るとき。
隣から、
「今日、一緒に帰る?」
と声を掛けられるのを待っていた、あの頃の感覚。
期待してはいけないと思いながら。
それでも、どこかで待っていた。
智樹はスマートフォンを握り直した。
そして、画面を閉じる。
すぐには返信しなかった。
けれど。
その夜、智樹は何度もスマートフォンを手に取った。
メールを開くたび、同じ名前が目に入る。
篠原亮。
もう終わったはずの関係。
そう思っていた。
それなのに。
終わったと思った瞬間から、次の約束が始まろうとしていた。
智樹はベッドに横になり、暗い天井を見つめた。
そして、誰にも聞こえない声で呟く。
「……また、会うのか」
その言葉に、嫌悪はなかった。
だからこそ。
智樹は、なかなか眠れなかった。




