第8話 届いたもの
タルカだけが、まだ港に着いていなかった。
戦闘から数時間。ルクスレインは月の周回軌道に戻り、次の命令を待っていた。シラたちは交代の班へ席を渡し、休憩室へ来ている。
窓代わりの画面では、灰色の月面がゆっくり流れていた。あの下へ自分たちも下りられたら、タルカの荷下ろしを直接見られるのに、とシラは思った。
「最後まで、いちばん遅い」
端末を見ていると、ラビが向かいの椅子へ腰を下ろした。
「荷物も、最後までいちばん重いからね」
両手で抱えてきた食事の容器を、一つずつ机へ置く。ふたが少し浮き、野菜を煮た匂いがした。
シラは受け取りながら、もう一度画面を更新した。
「あと少しだと思う」
「その少しで、こっちが冷める」
「食べるよ」
答えてから、匙ではなく端末を持ち直した。
ラビは何も言わず、ふたをシラの手の上へ載せた。
「これも持ってて」
「置くところ、あるでしょう」
「端末を置くところもあるよ」
シラは口を結び、負けを認めて机へ置いた。
煮込みの汁が米へ染みている。最初の一口を飲み込んでから、自分が空腹だったと気づいた。
通知が鳴ったのは、三口目だった。
タルカ、接岸完了。荷受け開始。
「来た」
シラが言うと、ラビも匙を止めた。
二人で画面を見た。
さっきまで敵に追われていた船が、今は荷役待ちの列にいる。見慣れた港の印が、その横に並んでいた。
「よかった。今度は、遅くても怒られない場所だ」
ラビが言った。
シラは笑い、通知を受け取ったという返事だけ送った。
*
ハコベからは、フィルターを運び出す写真が来ていた。
箱の向こうで、作業員が二人、同じ方を向いている。重いのかと思ったら、船長の音声に理由が入っていた。
『受け取りを急かした人が、自分でも降ろしに来たよ。今度は、台車が足りないと怒ってる』
背後で「怒ってません」という声がした。
船長は笑って、録音を終えていた。
医療資材船の報告は、もっと短かった。
貨物室の温度、規定の範囲内。破損なし。受け渡し中。
その下に、灰色猫の船長からの一文があった。
『横を空けてもらえて助かりました』
シラは返事の欄を開いた。
怖かったでしょう、と書きかけてやめた。相手の気持ちを、自分の言葉で片づけたくなかった。
『無事に接岸できてよかったです。受け渡しまで、よろしくお願いします』
送ると、すぐに受信の印がついた。
返事は来なかった。向こうも今、自分の仕事をしているのだろう。
「私、前はこの報告、数字しか見てなかった」
ラビが温度の欄を指した。
「いくつならいいとか、何分なら間に合うとか」
「今は?」
「船長がずっと見てた数字なんだなって。こっちからの返事を待ちながら」
シラは相手の船内映像を思い出した。船長の肩の後ろから、若い乗員がのぞいていた。あの人たちにも、もう港の地面がある。
回収した〇一の四枚の板より、今はそのことを長く考えていたかった。
次に届いた動画は、船ではなかった。
港の食堂のオーブンだった。
扉が開き、閉まる。
もう一度、開き、閉まる。
三度目が始まったところで、ラビが首をかしげた。
「私たち、何を見せられてるの」
「ちゃんと閉まるところ」
「すごく分かった」
昨日、帰りの補給艇へ預けた部品が着いたのだ。五隻の積み荷とは別の、あの小さな包みだった。
動画の後半には、庫内の温度を確かめる手元が映っていた。
『熱をかけてからも閉まったよ。トウカさんにも伝えて。昼の焼き物、少しずつ戻します』
シラが転送しようとすると、後ろから声がした。
「もう来てる。音、大きいよ」
トウカが自分の食事を持って立っていた。
*
先輩は椅子を引き、工具袋を足元へ置いた。
それから袋を置き直し、通路へ出ていた持ち手を中へ押し込む。
シラは空いている端へ少し寄った。三人で座ると、ちょうどいい机だった。
「〇一は、どうでした?」
「取り替えないと動かない部品は、今のところなし。細かい傷は処置する。博士の確認もこれから」
先に言っておく、とトウカは続けた。
「使えるって最終報告は、食事が終わってから。今ここで予定を決めないで」
シラは開きかけた予定表を閉じた。
ラビが見ていた。
「見込みだけ、って言うところだった?」
「言わない」
「えらい」
「ラビも、通信の記録開いてる」
ラビは自分の画面を見た。
シラたちが送った図を、各船がどう受け取ったかという確認だった。
「これだけ」
「私も、いつもそう思ってる」
ラビは少し口を尖らせ、端末を伏せた。
トウカが二人を見比べて笑う。
「じゃあ、いま決めていいのは食べ物だけ」
先輩自身が、オーブンの報告に添えられた献立を開いた。
煮込みを包んだ焼きパンと、平たい生地に野菜を載せたものが写真に並んでいる。艦の食堂にはない焼き色だった。
「先輩、検査の記録は?」
ラビが聞く。
「見終わった」
「こっちは、まだ見終わってない顔ですね」
トウカは真剣に、写真を二枚並べ直した。
「最初のがいいけど、食べにくそう」
「中身、こぼれますね」
「でも熱いうちの方がおいしいと思う」
「両方にすれば?」
ラビの提案に、トウカは首を振った。
「昼休みが終わる」
「食べるの、遅いんだ」
「よく噛むの」
シラは自分たちの容器を見た。
先輩の食事はまだほとんど減っていない。選ぶ相談に夢中になると、その前の食事が止まるらしい。
ラビが先輩の匙を持ち上げ、手元へ戻してやった。
「今の分、先に。食堂まで行けないのに冷めるの、損です」
トウカは素直に匙を受け取った。
シラはおかしくなって、口へ運びかけた煮込みを一度戻した。
さっきまで自分が言われていたことだ。
しばらく、食器の音だけが続いた。
誰も急な連絡を待っていない。廊下を行く乗員の話し声は聞こえるが、この机に急ぐ用事は来なかった。
トウカが工具袋の外ポケットから、本を一冊出した。
「あ、私の」
ラビが両手を伸ばした。
出航前に貸していた本だった。見覚えのある表紙の間に、白い紙が挟まっている。
「まだ途中ですか」
「読み終わった。ここ、何度も戻ったから」
先輩が開いたページを見て、ラビが眉を上げた。
「ここで犯人が分かったんですか?」
「違う。誰がどこの部屋にいるのか、分からなくなった」
シラは噴き出しかけた。
船の図面をあれだけ読める人が、物語の家の中で迷っていた。
「部屋の図、前にありましたよ」
「それを見つけたのが、後ろの方だった」
「先に聞いてくれれば」
「分かったつもりで進んでたのよ」
ラビは紙を引き抜き、笑いながら本を閉じた。
「次は地図のないのにします?」
「いや。次は最初に見る」
トウカは空の食器を重ねた。
*
午後の振り返りは、長くならなかった。
五隻とも港に着き、護衛側の喪失はなし。その報告が最初に読み上げられた。
シラは医療資材船の船長の音声を、会議の資料には入れなかった。事情を皆の前で再生しなくても、変えた配置を説明できる。
「最初から、横へ離れられる幅を伝えておきたいです。列から動くな、と聞こえる説明になっていました」
ラビは、船ごとに表示の向きが違っていたことを付け加えた。
航海長が次の聞き取り項目へ入れる。
「ただし、同じ配置を写せるとは限らん」
ガルドは敵の経路を示した。
〇一が前へ移ったあと、敵は進み方を変えていた。今日の図を、次の答えにはできない。
シラはうなずいた。
今日できたことを誇ってはいけない、と言われたわけではなかった。
「でも、今回は届きました」
少し強すぎる声になった。
ガルドは図を閉じ、五隻の到着報告へ戻した。
「そうだ。それを最初に、報告へ書いてくれ」
シラはうなずき直した。
今回は届いた。それが一行目でよかった。
会議室の外へ出ると、タルカから写真が届いた。
赤い帯の脇で、大きな運搬車が最後の箱を受け取っている。港の作業員が腕を上げ、運転席へ合図を送っていた。
『全部降ろした。これで少しは軽い船になった』
ラビが肩越しにのぞく。
「次は、ハコベを抜くかもね」
「荷物がなくても、無理だと思う」
シラは写真を保存した。
受領票は別にある。これは、報告のためではなかった。
それから端末を閉じ、休憩室に置いてきた自分の上着を取りに戻った。
窓の外へ続いていた五隻の仕事を、今日はここで、ちゃんと手から離せた。




