第5話 出せる時間と約束する時間
「先輩。全部、一回で通ったら何時に終わりますか」
シラが差し出した予定表へ、トウカは手袋を脱いだ指を置いた。
「それを船長たちに送る前に、ここを見て」
午後の整備区画は、午前より狭くなっていた。月面から届く交換部品のために台が空けられ、外された機械は壁へ寄せてある。シラとラビは、通路の白線の内側で、台車が抜けるのを待った。
トウカが指していたのは、終わりの時刻ではなかった。
検査と検査の間に、小さく書いた「冷却」だった。
「ここを短くするのは、だめですか。何もしていない時間なので」
「触ると熱い」
先輩が台の上を示した。
外されているのは、〇一の部品ではない。船外通信器を動かす、小さな駆動部だった。カバーの内側に、細い黒い擦れ跡がある。
「通信器も壊れた?」
「今は動く。温まると引っかかるかを確かめるところ」
昨日、光の向きを合わせた装置だった。
あれが向かなければ、迎えに行った船へ、右も左も伝わらない。
シラは予定表の細い余白を見た。検査で不具合が出れば、交換して、同じ温度まで上げて、また冷まさなければならない。何もしていないように見える時間は、一回分しかなかった。
「〇一の方が長くかかるから、その間に終わると思ってました」
「長い仕事が二つあると、短い方が必ず先に終わるわけじゃないの」
トウカは笑いもしなかったが、端末を突き返しもしなかった。
「私の見積もりも直す。擦れ跡は、朝の予定を出したあとで見つかった。そこを先に伝えなきゃね」
シラは顔を上げた。
先輩の予定を守らせるために来たつもりだった。先輩も、予定を変えてもらう必要があったのだ。
「じゃあ、出発時刻は未確定に戻します」
「うん。まずそれをお願い」
ラビは別の台を見ていた。
「冷めるまで、受信側をこっちで調べられます? 同じ班がやるから、後ろへ並べたんですよね」
「分解だけなら別の人に頼める。場所があれば」
シラは区画の使用予定を開いた。
空いて見える台にも、補給品を仕分ける予定が入っている。端末の上で枠を動かしても、現物はどこかへ置かなければならない。
「場所、聞いてきます」
「じゃ、私は受信の記録を出す。冷たいときしか試してなかったかも」
ラビが言った。
二人で別の方向を向いたところへ、トウカが呼びかけた。
「あと一つ。返事の窓、どこに行った?」
先輩の端末は、開いた図面でいっぱいだった。
ラビは戻り、積み重なった窓を二枚閉じる。
「ここ。図面を大きくしすぎです」
「現物は拡大できないから、せめてこっちは」
「返事まで隠しちゃだめです」
端末を返すラビの声が、先ほどの先輩と同じになった。シラは笑いをこらえながら、荷役班を探しに行った。
*
荷役の担当は、首をすぐには縦に振らなかった。
「置くだけなら譲れる。けど、分解したものにこの箱をぶつけたら困るぞ」
入ってくる荷物は、〇一の修理部品だけではない。食料も、医療用品もあった。担当者が一枚の荷札をめくるたびに、予定表にはなかった事情が出てくる。
シラは最初、全部を別区画へ移す案を出した。
「遠い。往復する人数は増えないよ」
言われて、消した。
しばらく台車の動きを見ていると、空箱が重ねられる場所だけは、荷物を降ろしたあとなら使えると分かった。
「開梱した部品はそのまま整備へ渡して、空箱をこっちへ寄せられますか。受信器の点検は、補給艇の荷下ろしが一段落してからにします」
「それならいける。こっちが空いたって連絡するまで、持ち込まないでくれ」
シラは返事をして、表へ書き込んだ。
時刻ではなく、荷役班の連絡待ち、と。
それだけで少し落ち着かなかったが、まだ空かない台を空いたことにするよりは、確かな予定だった。
補給艇が接続されると、区画に人が増えた。
シラは受け渡しの受付へ入り、入ってくる部品の番号を確かめた。必要な箱が届くたび、離れた台で待つ整備員が一人ずつ動き出す。
トウカは小さな包みを抱えてやってきた。
「これも、忘れられる前に」
「忘れてません。帰り便の受付はこっちです」
ラビが胸を張った。
包みの中身は、港の食堂へ送るオーブンの部品だった。出航前に頼まれ、登録だけ済ませたまま、今まで艦に置いてあったものだ。
「こっちの船が迎えに行くのより、先に着くんですね」
シラが送り先を照合する。
「向こうは荷物を降ろしたら月へ帰るから。私たちは反対」
トウカは受領票へ印がつくのを待っていた。
手から離せば終わりにしないところが、先輩らしかった。
「これ、食堂宛てでいいんですか。修理するのは別の班では」
受付の乗員が尋ねた。
シラは連絡欄を開いた。食堂は受け取り、取り付けは港の整備班。引き渡す相手を一行足すだけなのに、書かなければ、明日どこかの棚で待つことになる。
「今、追加します。取り付け担当へ到着通知もお願いします」
トウカがのぞき込んだ。
「そこ、抜けてた。助かる」
シラは、思いがけず褒められた気がして、入力を一度間違えた。
ラビが黙って訂正したので、ますます顔を上げにくかった。
「焼くものの注文は、付け足せます?」
「受領票で注文しないで」
トウカが即答した。
ラビは残念そうに、包みから手を離した。
部品の箱が艇へ運ばれていく。月へ帰る荷物は少なく、すぐ見えなくなった。
出向した朝、四十二人を下ろした港。まだ数日前なのに、シラには、自分の時間だけ長くなったように感じられた。
*
午後の終わり、通信器の検査結果が来た。
温度を上げると、回る速さが途中で鈍った。駆動部を交換し、二度目の検査をする。
シラは机の上の予定をたどった。次の班の欄には、何も重なっていなかった。
『場所、空けられた。受信器、今なら入るよ』
荷役班から呼ばれ、すぐラビへ伝える。予定表の作業順が、今度は実際の荷物の移動や、台の空く順番と合っていた。
そのあいだに、集積所から問い合わせが入った。
『こちらの出発時刻は、決まったでしょうか』
シラは、一回で検査が通る場合の欄へ目をやった。
まだ、その数字は消していない。今それを送れば、向こうの心配が少し減る気がした。
「出発の確定は、最終検査のあとになります。先に、各船の積み込み状況を確認してもいいですか」
相手は少し黙った。
『決まらないと、船員を休ませる順番も組めなくて』
シラは、未定です、を繰り返しかけた。ラビが横から予定表の一か所を指した。そこだけは動かない。
「少なくとも、この時刻より前に、そちらを出発させることはありません。次の連絡はこちらから、それより前に入れます」
休める時間なら、約束できた。
相手はその時刻を復唱し、船長たちへ伝えると言ってくれた。
通信を閉じたあと、シラは椅子へ深く座った。
「分からないって言うのも、難しいね」
「全部分からないことにすると、向こうも何もできない」
ラビが、次に連絡する時刻を二人の端末へ入れた。
「これは私も覚えとく」
*
〇一の四枚の板が閉じた。
窓越しに見ていたシラは、最後の一枚が収まってからも、しばらく固定台を見つめていた。
「開閉異常なし。熱をかけた状態の確認も、ここまで正常」
トウカが報告した。
エナは飛行試験の申請をガルドへ送る。修理で性能が上がったわけではないと、試験担当が運用上限を読み直した。シラはその数字を、守る船団の予定へ重ねた。
ずっと働かせる一機ではない。休ませるまでに、五隻を渡す必要がある。
艦橋へ戻った二人が席に着くと、短い飛行試験が始まった。
ラビが母艦に沿う経路を送り、シラは帰りの入口を開けた。機体が一度止まり、向きを変え、月の明かりを受けて戻ってくる。
兵装班の射撃確認は、船のいない向きで別に行われた。
回収の報告に、シラは肩を下げた。
昨日よりゆっくり見えた。それでも、最後の固定が終わるまでは緊張した。
「一機、使用可能」
ラビが配備表を書き換えた。
シラはその一行を、集積所への次の連絡に載せた。約束した時刻より前だった。
待機軌道を離れる許可は、その夜に下りた。
帰りの補給艇は先に月へ向かっていた。小包も、もうあちら側だ。
ルクスレインの進路の先には、倉庫と荷役設備をつないだ集積所がある。そこで五隻が待っている。
『ハコベ船長です。うちは一番後ろでいい』
最初の聞き取りに、丸眼鏡の犬が答えた。
「一番速い船と聞いていますが」
『だからだよ。遅れても追いつける。隣の重いのを先に出してやってくれ』
シラは船の印を動かす前に、相手の顔を見た。
「詳しい記録をお願いします。隣の船長にも、お話を聞けますか」
『もう聞いてるぞ。重いのって、うちのことだな』
別の声が割り込んだ。
ラビが受信の窓をもう一つ開き、こちらへ寄せる。
『積み荷は減らせないからな』
「そのまま運ぶために、順番を相談させてください」
シラは答えた。
空欄だった予定表へ、相手の声が一つずつ入ってきた。




