第4話 一機しかいない
翌朝の〇一は、片翼をなくしたように見えた。
ルクスレインは月の待機軌道を回っている。眠る前には白く光っていた月面が、格納区画の外部映像では暗い側に変わっていた。シラには、夜を越した実感より先に、その違いが目についた。
眠れたのかと聞かれれば、眠れた。目が覚めたとき、自分が港にいないことを思い出すまで、少しかかった。
「線の向こうへは入らないでね」
トウカが床を指した。赤と黄色、二本の線がある。
「どっちからですか」
「手前。黄色は整備、赤は兵装の範囲」
「じゃあ赤まで行けると思った私、もう失格だ」
ラビは揃えた靴を半歩戻した。
シラも隣で止まる。遠くで敵弾を砕いていた機体は、作業台に載ると大きな機械だった。畳めなくなった板が外され、その付け根へ照明が当てられている。周囲に立つ整備員の頭より、板の先の方が高い。
「昨日、どこで当たったんですか」
シラが指した細い傷を、トウカはのぞき込んだ。
「それは調べてる。でも、板が戻らなかった原因は裏側」
先輩が持ち上げた部品は、片側へほんの少し曲がっていた。
定規を当てると、真ん中に隙間ができる。
「こんな少しで?」
「ここがずれると、長い板の先はもっとずれる。熱くなったまま速く動かした負担が、ここへ集まったみたい」
シラは初戦の最後を思い出した。帰す少し前まで、撃ち続けていた。帰ってから直せばいいと思っていたのかもしれない。帰るための部品まで、そこで使っていたのに。
「次は熱くなる前に戻す?」
ラビが尋ねた。
「そうしてもらえるなら助かる。戻せないときもあるだろうから、こっちも記録を調べるけど」
「板を全部、厚くしたら」
「重くなる。同じ速さで振るには、今より力が要るね」
ラビは耳を傾け、部品を見直した。
無敵の板を足す場所は、なさそうだった。
台の向こうでエナが端末を閉じた。夜からずっといたのかと思うほど白衣にしわがあるが、今朝、交代で入ったところだという。
「中枢への指示は通っています。外側を直してから、機体全体の試験です」
「二機目は、どうでしたか」
シラが聞くと、博士は隣の空いた台を見た。
「今朝の一工程では、形成しませんでした。艦長の承認を受け、昨日の給電記録に合わせて試したんですが」
端末には、短い結果と、停止を確かめた二人の名前が並んでいた。
部品不足、という文字をシラは探した。足りないものがあるなら、月から運べる。
その欄は空いていた。
「昨日と同じにしても、ですか」
「同じにできた範囲では。でも、私たちが測っていない違いがあるかもしれません」
「〇一を見本にできません?」
ラビが機体の中央を指す。
「形を写したものは作れます。動く見本を開いて壊してしまう危険に、今は見合いません」
エナはそこを覆う外板へ、触れずに手をかざした。
作れた人が、作り方を説明できない。
変な話だと思う。その変な話のおかげで七人が戻れたことも、シラは知っていた。
「じゃあ、修理が終わるまでゼロですね」
自分で言うと、急に心細くなった。
ラビが隣の黄色い作業機を見た。
「使える機械は二機あるよ。あの子たちは壊れてない」
「敵は止められないけど」
「昨日、連絡艇につないだのも、あっち」
そのとおりだった。シラは黄色い二機を、配備表から消していたわけではない。それでも、役に立つものを数えるとき、いつの間にか〇一だけを見ていた。
*
会議室へ向かう通路で、救難班の台車とすれ違った。
空になった担架が二台、重ねて載せてある。
シラは道を空けてから、押している乗員に声をかけた。
「昨日の七人は」
「全員、月側の医療へ渡せた。付き添いも今朝、戻ってきたところ」
「……そうですか」
聞けてよかった。聞くのが怖かったことに、聞いてから気づいた。
残る人は、と続けようとして言葉が止まる。
「後続の救難隊が調べてる。うちが送った区画の位置、使ったそうだよ」
台車を押す手は止まらなかった。今度の出動に備え、補充と消毒をするのだという。
シラは礼を言って、ラビと壁際へ寄った。
七人の帰還は確かめられた。壊れた警備艦の全員を救えたわけではない。その二つを一緒にしないよう、端末の報告を読み直した。
会議室では、すでに六機の〇一が飛んでいた。
正確には、壁面の計画図の中だった。
「何があったの」
ラビの声が小さくなった。
月の護衛担当から届いた案だと、航海長が教えてくれる。成功の報告を受け、数が揃った場合の配置まで、先に検討したらしい。
『六機なら、こちらの二便も同時に通せます』
通信の向こうの担当者が言った。
画面の線はきれいだった。こちらの艦は一度も休まず、六つの印が順番に船を迎えに行く。
シラは、あの曲がった部品を机へ置きたくなった。
「現在、新型は一機。修理中です」
ガルドが伝えた。
『製造には、どのくらい』
「期限をお答えできません。新型が増える予定を外して、組み直してください」
担当者は一度、画面の外を見た。
責められるだろうかとシラは身構えたが、戻ってきた声は違った。
『分かりました。待機してもらう船の順番も変えます。今動かせる数で、続きをお願いします』
六つの印が消えた。
空いた道の多さに、シラは安堵するより、申し訳なくなった。待つ船の向こうにも人がいる。
それでも、ない機体が迎えに来ると思わせるよりはよかった。
次に初戦の記録が開かれた。
シラは、連絡艇を月側へ渡す場面を選んだ。
「ここで先に経路を切り替えれば、〇一を早く休ませられたと思います」
「その画面、全部表示になってる」
ラビが言った。
再生欄を切り替える。線が何本も消えた。安全だと思った月側の区間も、灰色になった。
「これが、そのとき私たちに届いてた情報」
シラは口を閉じた。
後から分かったことを、昨日の自分に持たせていたのだ。
「受け入れ確認が来るまで、ここは使えない」
「うん。でも、先に問い合わせることはできた」
ラビは記録を少し戻した。
救難艇が出る前だ。この時点なら、通信担当に、帰りの候補もまとめて聞いておいてもらえた。
「私も一つ。途中で集合地点を変えたとき、通常機の予備の行き先まで書き換えそうになった」
「昨日は、変えなかったよね」
「シラが救難艇長に合流点を確かめている声で、気づいた。画面に同じ色の枠が二つあった」
シラは二つを並べてみた。どちらも、帰還先、と書いてある。
うまくいった記録の中にも、間違えなかっただけの場所があった。
班の担当へ表示の区別を相談し、次の訓練で、片方だけ変更する場面を確かめることになった。
*
会議の終わりに、一件の依頼が残った。
月から離れた集積所に止まっている輸送船五隻を、補給港まで護衛してほしいという。
「一隻ずつなら、迎えられますか」
シラが尋ねた。
航海長は、五本の往復線を出した。迎えに行くたび、同じ危険な区間へ戻らなければならない。待つ船の燃料も、それだけ減る。
「まとめる方がいい。ただし、同じ速さで飛べるわけではない」
船ごとの記録が並んだ。
シラは積み荷の欄を開く。空気のフィルター。医療資材。冷却設備。港で聞き慣れた品名ばかりだった。
壊れたものを直すための荷物が、道の途中で止まっている。
ラビは月までの線を、指でゆっくりたどった。
「ここからは、ほかの護衛に渡せる?」
「通常艦一隻と調整する。本艦は集積所へ行き、合流してここまで運ぶ案だ」
ガルドの答えを聞き、シラは空の配備欄に指を置いた。
六機なら楽なのに、とは、もう書けなかった。
「整備が終わる時刻と、五隻が出られる時刻を確かめます。両方そろってから、出発を決めてください」
「そうしてくれ」
資料を閉じると、ラビが一枚だけ残した。帰還先の表示案だった。
「先に、これも直そう。次の船を迎えに行く前に」
シラは、救難艇の欄へ、乗員を乗せて帰る艇、と書き足した。試験用の画面でしかない。それでも、空いていた枠に名前が入ると、昨日の艇をもう一度見つけたような気がした。
「これなら、私は間違えない」
「私はまだ分からない。やってみよう」
ラビが模擬の通信断を入れた。
二人は並んで座り直し、戻す先を、もう一度作り始めた。




