第3話 花を咲かせない一機
逃げる先は、月の向こう側だった。
月そのものを敵との間に挟めば、直接には撃たれなくなる。近くの輸送艇三隻も、同じ側へ回り込もうとしていた。
ルクスレインは、その後ろを進んでいる。
だが、横手の観測施設から出た連絡艇だけは、列へ入れなかった。
映像を拡大すると、短い船体がゆっくり回っていた。船尾の噴射は続いているのに、行きたい方へ船首が向かない。
『施設を出たところだ。月へ向けたいんだが、また戻るんだ』
艇長の声がした。
シラは、港で迎えた貨客艇を思い出した。今度も向きを直せば帰れるかもしれない。使えない噴射口を聞き、使えるものを探そうとした。
「どの操作で戻りますか。そちらの状態を――」
声がざらついた音に変わった。
連絡艇の位置を示す印が止まる。
シラは思わず画面をたたいた。
「止まったわけじゃない。情報が来てない」
ラビが印を灰色に変えた。
「電波に雑音が増えてる。ほかの船も切れ始めてるよ」
通信担当が、妨害の可能性を報告した。
前の三隻はまだ追える。問題の連絡艇は施設から離れた位置で回転し、敵はさらにその外側から近づいてくる。間には、迎撃へ出た味方の警備艦が二隻いた。
ガルドが光学通信への切り替えを命じた。
電波の代わりに、細い光へ情報を載せて相手に向ける。だが、こちらの送信器だけ向けてもだめだ。相手の受信器と向きが合う必要がある。
ぐらつく連絡艇には、光を合わせ続けられなかった。
「迎えに行けませんか」
シラは母艦から連絡艇へ線を引いた。
前の席にいる航海長が、首を振る。
「減速して引き返せば近づける。しかし、戻る途中で敵に追いつかれる」
線の上へ、敵の予想位置が重なった。
ルクスレインまで動けなくなれば、今度は誰が救助するのか。
シラは線を消した。それでも、連絡艇の印は消せなかった。
「小さい方なら行ける」
ラビが言った。
試験用の黄色い作業機は、もう二機とも回収を終えていた。
「一機を通信器の前へ回す。そこから母艦へ、光をつなぎ直せるかも」
「でも、あの艇、動き続けてるよ」
「うん。位置を教え直せる間だけ。通信が切れたら、決めた場所へしか行けない」
訓練で、ラビが取り残した一機と同じだった。
できないことは分かる。だから何もしないでいるのか、とシラは自分へ聞いた。
つながる短い間に、噴射口の状態だけでも分かれば。
「艦長。一機を中継へ出したいです。戻る場所も先に決めます」
航海長が往復の経路を確かめ、ガルドが許可した。
ラビは、通信を失ったときに機体を待たせる集合地点を二つ入力した。母艦の退避経路と重ね、そこから機体を回収できることを航海班と確かめた。任務を続けられなくなっても、機体を最後の作業場所に置き去りにしないための備えだった。
黄色い機体が船腹から離れた。
小さな光が、連絡艇の方へ進んでいく。
*
警備艦の一隻が、正面画面を横切った。
白い船体の側面で砲が光る。その向こうの黒い艦から、いくつもの小さな物体が放たれた。
迎撃の光を抜けた一つが、白い船腹へ触れた。
シラは息を止めた。
継ぎ目が光り、外板が浮いた。
砲塔の足元から短い骨組みがはじける。隣の板も、その隣も離れていき、白い破片が別々の向きに回りながら広がった。
記録で見た花が、そこにあった。
さっきまで、同じ回線で話していた船だった。
ルクスレインの退避位置を送ったとき、了解、と短い返事をくれた相手だ。
「警備艦、応答消失」
ラビが報告した。
淡々とした声だった。けれど、操作盤に置く手が一度空をつかみ、それから指をそろえて押し直した。
シラは視線を戻そうとした。
戻らなかった。
あの船に何人いるのか、自分は知らない。
「シラ。前の三隻、次へ渡せる」
ラビの声が、すぐ隣から来た。
シラは自分の画面を見た。三隻は月の縁へ向かっている。次の管制が受け取れるという連絡が届いていた。
「……分かった。渡す」
名前を読み上げ、進路と速さを送る。
引き受けました、と返事があった。
それを聞いて、シラはようやく一つの欄を閉じられた。
「後方、救難信号!」
観測担当が声を上げた。
壊れた警備艦のそばを、箱形の区画が漂っていた。船が壊れるときに切り離された救命区画だという。
通信担当が呼びかけを繰り返すと、雑音の奥から声が戻った。
『生存者、七名。負傷者がいる。こちらは動けない』
七人、生きている。
シラは背筋を伸ばした。
今すぐ出せる救難艇は一隻だった。
ガルドが準備を命じると、航海長は往復の経路を示した。小さい救難艇なら、母艦ほど大回りせずに向きを変えられる。七人を収容したあとで追いつくための加速の余裕もあった。
ルクスレインは退避を続け、艇が戻る場所を用意する。
「誘導班、戻す場所を」
シラは母艦の進路を先へ送り、合流できる位置を選んだ。
救難艇長へ送ると、少し先へずらしてほしいと返ってきた。
『負傷者を動かす時間も欲しい。こっちから戻る。母艦を止めないでくれ』
シラは合流点を直した。
動けなくなった観測施設の連絡艇は横手。七人を迎えにいく救難艇は後ろ。合流経路を取り違えないよう、シラは画面を分けた。
救難艇が出ていく。
黄色い作業機も、連絡艇との通信を一度つないだ。
『こっちの姿勢制御が――』
やっと聞こえた艇長の声が、途中で切れた。
「作業機と母艦の光が外れた。合わせ直す」
ラビが次の位置を送った。
受信確認は来なかった。
救難艇を連絡艇へ回したら、とシラは考えた。
その間、救命区画の七人は後ろに残る。母艦も、敵も、進み続けている。今から二か所を回って戻れる道はなかった。
画面の二つの窓を、閉じられなかった。
*
『艦長。新型中枢の形成試験、再開を申請します』
エナの声が艦内回線へ入った。
シラは顔を上げた。今、試験をするのか。
ガルドも同じことを考えたらしかった。
「救難を止めてまで試す理由は」
『止めません。迎撃と救難に使う電力を優先し、残りの範囲で一工程だけです。三分で打ち切れます』
エナは続けた。
『通常機は、通信が切れると動く相手を追えません。新型の中枢ができれば、連絡艇の姿勢に合わせて、自分で中継位置を変えられる可能性があります。外装と推進部は、接続台に用意してあります』
「成功の見込みは」
『保証できません』
その返事に、シラは唇をかんだ。
黒い容器も、空の固定台も思い出せた。これまで動かなかったものが、都合よく動くのか。
けれど、できると嘘をつかれたわけでもない。
「本艦の退避は遅らせない。上限に達したら打ち切れ。出すかどうかは動作確認を見て決める」
ガルドが許可した。
トウカの声が続く。
『試験区画から全員退避。隔壁を閉鎖します。形成設備への電力と材料の供給を再開します。遮断の解除は二名で確認』
シラは端に出た試験の表示を小さくした。
あれが動くのを待って、今できる仕事まで止めたくなかった。
「観測班、連絡艇をもう一度探してください。最後の位置から月側へ流れています」
「こっちでも追う」
ラビが映像を広げる。
白い破片の点が多すぎた。どれが船で、どれが違うのか、シラには見分けられない。
「いた」
ラビが一つを囲んだ。
短い噴射を繰り返す、小さな艇だった。
新しい位置を送った、そのとき。
『形成反応……待って、記録を保存してください』
エナの声が変わった。
『前の試験と同じ入力なのに……中枢ができています』
ラビが振り向いた。
シラは、見返すことしかできなかった。
格納区画の映像が、画面の端へ開いた。
灰色の平たい機体が固定台に載っている。その中央の空いた部分へ、搬送腕が黒い塊を運んでいった。腕が離れ、カバーが閉じる。
何も載っていなかった番号欄に、文字が入った。
ボイド〇一。接続確認中。
『電源、正常。推進制御、応答。帰還命令への応答を確認します』
技師たちの声が続く。
トウカが製造設備への供給を止めたと報告し、エナが結果を艦長へ送った。
『動作確認を通りました。誘導、中継、自衛用の迎撃器が使えます。ただし、実戦は未確認です』
シラの画面へ、一本の経路が届いた。
今見つけた連絡艇を回り込み、通信器の正面へ入る線だった。
「ラビが作った?」
「違う。私が送ったのは、艇の位置と困ってることだけ」
線の端が動く。
連絡艇の回転に合わせて、機体の行く先が変わっていた。
これなら、追えるのかもしれない。
シラはその経路を救難艇の道と重ねた。交差しない。帰り道も残せる。
「進路は使えます」
「連絡艇の誘導支援に出す。攻撃は護衛と自衛に限定。兵装班、範囲を設定しろ」
ガルドが命じた。
「異常があれば戻す。試すために捨てるな」
エナが二人の操作画面を監視し、試験担当が機体の状態を追う。
ラビは教わった欄へ帰還条件を入力した。シラが経路を確かめ、エナの確認を受けてから確定する。
船腹の扉が開いた。
*
灰色の機体は、黄色い作業機より平たかった。
窓も操縦席もない。短い板を四枚開き、ルクスレインから少し離れたところで、向きを変えた。
次の瞬間、画面の中央から消えた。
「えっ」
ラビが表示の倍率を下げる。
機体の印は、もう連絡艇のそばへ向かっていた。
〇一は艇の通信器が回るのに合わせ、滑るように位置を変えた。母艦へ向けた光を保ち、もう一方を艇へ当てる。
通信表示が点灯した。
『聞こえる! 目の前に来たのは、そっちの機体か?』
艇長の声だった。
さっきより、ずっと近く聞こえた。
「こちらの誘導機です。姿勢制御の状態を送ってください」
ラビが答え、届いた情報をシラへ渡した。
応答の遅れる噴射口が一つある。艇長に使う系統を選び直してもらうと、ようやく船首の揺れが収まり始めた。
ここからなら、月へ向ける。
そのとき、敵の二隻が離れた。
一隻は残った警備艦へ。もう一隻は、連絡艇のいる方へ船首を向ける。
「発射反応!」
黒い船腹から、小さな物体が散った。
先ほどの警備艦に触れたものと、同じだった。
シラの指が固まった。
〇一を戻さなければ、と思った。いや、戻せば連絡艇は。
灰色の機体が、艇の前へ出た。
四枚の板の間から、細い光が走る。
先頭の敵弾が砕けた。
その後ろも、横から来るものも。映像に散った細かな点を抜けて、機体はもう次へ向き直っていた。
「連絡艇、被弾なし」
観測担当が言った。
シラは画面を見つめたまま、その意味を理解するのに一拍かかった。
壊れていない。
白い外板は、船の形をしたままだ。
「全部、落とした……?」
ラビの声が、少し高くなった。
新たな敵弾が、今度は左右へ広がった。〇一は片方を撃ちながら位置を変え、もう片方へ光を走らせた。
また、花は咲かなかった。
誰かが声を上げた。
エナが記録を求め、兵装班が迎撃結果を読み上げる。その間にも、連絡艇からの通信はつながっていた。
『姿勢が戻った。月へ行ける!』
シラは慌てて進路図へ戻った。
あの機体が敵を止めても、艇の行き先を作らなければ意味がない。
「連絡艇は月寄りの経路へ。前の三隻には追いつかなくて大丈夫です。そちらの速さで進んでください」
返事が来た。
止まっていた印が、動き始めた。
*
〇一の温度表示が、黄色になった。
敵は撃つのをやめなかった。
落としても、落としても次が来る。機体が動くたびに、熱が増えていく。
「このままでは、連絡艇が月の陰へ入る前に上限です」
試験担当の報告に、シラは顔を上げた。
あんなに強いのに。
驚きのあとで、当たり前のことを忘れていたと気づく。外装も兵器も、この艦で作ったものだ。撃ち続ければ、熱を逃がすのが追いつかない。
「撃つ元を止められない?」
ラビが敵艦の映像を送ってきた。
「側面のここ。毎回、開いてから弾が出る。兵装班にも送った」
発射口らしい、という返事が来た。
〇一からは、そこへ回り込む攻撃経路の候補が届く。
だが、機体が敵へ向かえば、連絡艇を守るものがいなくなる。
ラビがシラを見た。
「その間だけでも、こっちで受けられないかな」
シラは母艦と連絡艇の進路を重ねた。
さっきは引き返さなければ届かなかった。今は違う。艇は向きを直し、こちらと同じ月へ向かっている。
「艦長。本艦を少し連絡艇側へ寄せたいです。艇を母艦の迎撃範囲へ入れてから、〇一を前へ出します」
航海長が、新しい進路を作った。
兵装班は、短い間なら引き受けられると答えた。敵弾をすべて遠くで落とすことはできないが、〇一が減らした残りを、近距離で迎え撃てる。
「救難艇との合流点も変わるぞ」
航海長に言われ、シラは救難艇から届く映像を見た。
七名の収容が進んでいた。二人は担架で運ばれている。
助かったと思ったところへ、戻る場所がなくなる。
そんな思いをさせたくなかった。
「先に救難艇へ確認します。返事が来るまで、こっちの位置を変えないでください」
変更案を送る。
シラは待った。〇一の黄色い表示が、また一つ増える。
早く、と言いそうになった。
向こうは今、負傷者を運んでいる。返事を急がせる声まで重ねたくなかった。
『変更先、確認。そこなら戻れる。最後の一人を収容したら発進する』
救難艇長の声が来た。
シラは返事をし、ガルドへうなずいた。
「両方、受けられます」
艦長が針路の修正を命じた。
座席へ横向きの力がかかり、正面画面の連絡艇が少しずつ近づく。
「本艦、護衛を引き継ぐ」
兵装班の報告を受け、ガルドが命じた。
「〇一、敵発射口を攻撃。一度で離脱させろ」
ラビが応じ、〇一の任務を変えた。
連絡艇の印から、灰色の一機が離れる。
〇一が敵弾の群れへ入った。
閃光が次々に走る。散った点の間を抜け、黒い艦の横へ回る。
残った敵弾に、ルクスレインの砲が向いた。
椅子の下から、振動が響いた。
シラは連絡艇の印を見続けた。
守っているつもりになって、見落としたくなかった。艇は進む。母艦と同じ方へ。ひとつも警告はつかない。
正面で、黒い船腹が白く光った。
開いていた発射口へ、〇一の射撃が届いたのだ。
縁が外へ飛び、敵の船体が傾く。船尾が噴射し、細い艦首が月から離れる方へ向いた。
「発射、停止。敵艦、離脱します!」
シラは目を見開いた。
逃げている。
自分たちの船ではない。あの黒い船が、月へ来るのをやめた。
「〇一、帰還」
ラビの声が飛んだ。
喜ぶのは、まだあとだった。
*
もう一隻の敵も、傷ついた艦へ合流し始めた。
残る警備艦は追わず、こちらへ戻ってくる。
黄色い作業機との通信が回復した。
教えておいた集合地点に、機体はいた。ラビの帰還指示を受けて動き出す。
「通常機から先に。〇一は別の回収口へ」
シラは経路を分けた。
あの模擬試験のように、入口で全員を止めるわけにはいかなかった。
救難艇も戻ってきた。
七名を収容。艇の乗員も全員帰還。医療班が格納区画へ走っていく足音が、艦内回線に混じった。
連絡艇は月の縁へ入り、次の管制から引き受けたという連絡が届いた。
最後に、〇一が近づいた。
短い板の一枚が、途中までしか畳まれていない。
『狭い保持具は使わない。外側で受ける』
トウカの声がした。
機体をつかむ腕が伸びる。ラビは余計な修正を送らず、シラは入り口を空けたまま待った。
『固定。推進停止を確認。回収完了』
シラは息を吐いた。
吐いてもまだ、胸が苦しかった。
ラビが両手を操作卓に置く。指先が細かく震えていた。
「あの速さで帰ってきたら、どうしようかと思った」
「入口、壊れる」
「だよね」
二人とも笑いかけて、息だけが漏れた。
帰った船と機体の数は、確かめられた。
壊れた警備艦に何人乗っていたかは、まだ分からない。シラは、救助が終わったという欄には印をつけず、月から出る次の救難隊へ記録を渡した。
交代の担当者が来たとき、ガルドが二人を呼び止めた。
「救難艇長からだ。戻る場所を空けておいてくれて助かった、と」
シラはうなずいた。
ラビの耳が、少しだけ起きた。
初めて飛んだ新型が、敵を追い返した。
それは本当だった。でも、あれを見ているだけだったら、七人を乗せた艇の帰り道をなくしていたかもしれない。
自分たちにも、やることがあった。
今はそれが、怖いくらいに分かっていた。
*
艦橋を出ると、廊下の照明は朝と同じ色だった。
まだ今日なのか、とシラは時計を見た。
「シラ、食堂どっちだっけ」
「その角を左」
「よかった。私は右だと思ってた」
ラビは素直に左を向いた。
シラはその袖をつかんで、一緒に歩き出した。今日は自分の方が、道を覚えていた。
すぐには食べられないかもしれない。
それでも、二人で座れる場所へ行きたかった。
端末へ、エナから点検予定が届いた。
〇一の修理。それから、なぜ今日だけ中枢ができたのかを調べるための記録確認。
シラは通知を閉じた。
答えを知りたかった。あの機体がいれば、次も助けられるかもしれない。
だが、今度も作れるとは、誰も言っていなかった。
「ラビ。次の一機、できると思う?」
「分かんない」
ラビは少し考えてから、続けた。
「まず、帰ってきた一機を直してもらおう。私たちも休む。今もう一回やれって言われても、たぶん間違える」
シラは、握ったままだった袖を離した。
「うん。私も」
食堂の扉が開いた。
中から温かいスープの匂いがした。




