↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/34

第2話 切り札はまだ空っぽ

 こんなに大きいものが、空へ上がるのか。


 その日の午後、シラは荷物を抱えたまま乗艦通路で立ち止まった。

 窓の外を、白い船腹がふさいでいる。艦首は通路からでは見切れ、はるか下で港の作業艇が一隻、外板に沿って移動していた。朝、接岸させた貨客艇なら丸ごと入ってしまいそうな開口部が、その先にある。


「ラビ。これ、本当に私たちの行く船?」

「小さい方だったら困るよ。もう荷物を送っちゃった」


 ラビも見上げていた。

 声は弾んでいるが、荷物の持ち手を握る指には力が入っている。シラはそれを見て、ようやく足を動かした。自分だけが怖がっているのではないらしかった。


 気密扉を抜けると、靴が床へ落ちる感触が変わった。

 月面港より歩幅が小さくなる。艦内の人工重力はもう入っていると、通路の表示にあった。シラは片手で持っていた鞄を、両手に持ち替えた。


「荷物、増えた?」

「詰めたときから同じ量だよ」


 前を歩くトウカが答えた。

 工具袋を肩から下ろしもしない先輩へ、ラビが恨めしそうな目を向ける。


「先に言ってくれたら、一冊減らしたのに」

「帰りに読まない方を貸して。私は入れ忘れた」

「えっ。先輩も忘れ物するんですか」

「工具は全部ある」

「そこしか確認してない人だ」


 トウカは否定しなかった。

 その背中について曲がると、壁いっぱいの艦内図が見えた。居住区。食堂。格納区画。艦橋。知らない場所の名前が、階層ごとに並んでいる。


 これ全部を覚えるのか、とシラが思ったところへ、制服姿の犬が近づいてきた。茶色の毛に、短い立ち耳。机上の写真で見た艦長だった。


「ガルドだ。港の引き継ぎは終わったか」

「はい。誘導装置は交換待ち、捕捉アームは位置表示の点検中です」

「……君たち自身の引き継ぎは?」


 シラは口を閉じた。

 横でラビの耳が揺れる。


「終わってます。二人とも、まだ港が気になってるだけです」

「そうか。では、こっちの心配事も見てもらおう」


 艦長は格納区画への階段を示した。


     *


 広い区画には、黄色い無人作業機が二機と、何も載っていない固定台が並んでいた。

 人の声が遠い天井に反響し、床を伝わる機械の振動が靴底に残る。奥の壁には大きな扉があった。船外へ通じる格納口で、今は閉じている。


 シラは、空の台を数えかけてやめた。

 新しい船なのだから、まだ積み込んでいないのだろう。


「君たちには、この艦から出す子機の運用を担当してもらう」


 ガルドが黄色い機体を指した。

 操縦席はない。港で荷物を運ばせていた小型艇とよく似ていた。


「シラは、周囲の船と子機の通り道を整理する。ラビは観測と通信をまとめ、子機に仕事を与える。母艦の操縦は航海班、武器は兵装班だ」

「一機ずつ、手で操縦するんですか」


 ラビが尋ねた。


「行き先と仕事、避ける範囲を送る。近くの障害物は自分でよける。ただし、誰を先に助けるかまでは決めてくれない」


 シラには、少し分かる気がした。

 荷役艇を一機ずつ安全に動かしても、全員が同じ通路で譲り合えば、荷物は一つも届かない。港では自分たちが、先に通る相手を決めていた。

 ここでも同じ仕事をしてほしいのだ。


 ただし、敵のいる宇宙で。


「危険だから止めたいとき、言っていいんですか」


 朝から聞こうと決めていたことを、シラは口にした。

 ガルドは、話を続けようとしていた手を下ろした。


「言ってくれ。安全に通せないという報告がなければ、私も判断できない」

「それでも出せ、と言う場合は?」

「ある。ほかの船を危険にさらすこともあるからだ。だが、命令した責任を君たちへ押しつけるつもりはない」


 安心して任せろ、とは言わない艦長だった。

 シラは、それならまだ質問できると思った。


「今日から出撃ではないですよね」

「三日間は港で訓練と検査だ。合格した範囲の仕事だけ任せる。四日目の朝に出航予定だが、間に合わなければ延期する」

「試験中に敵が来たら?」


 ラビが続けた。


「試験をやめて退避する。近くの避難船を誘導する場合も、本艦が帰れる範囲でだ」


 ガルドは二人を順に見た。


「絶対に無事だ、とは約束できない。港まで敵が来る可能性も同じく消せない」


 シラは窓のない壁を見た。

 午前中、四十二人を下ろした船も、外からここへ来た。船が入れなければ、港だけが無事でも、人も食料も届かなくなる。

 今度は、その途中を守る席なのだろう。


「訓練を受けます。まだできないことは、できないと言います」

「私も。まず、この二機を見せてください」


 ラビが少し前へ出た。

 艦長の後ろにいた灰色の狸が、待っていましたと言いたげに端末を持ち直した。白衣の胸から、細い工具が三本のぞいている。


「エナです。製造設備を担当しています。動く方からなら、すぐに」


 ラビは空いた固定台へ顔を向けた。


「動かない方も、あるんですか?」


     *


 見学窓の向こうで、金属の腕が小さな部品をつまみ上げた。

 削られたばかりの銀色の金具を検査台へ置き、次を取りに戻る。隣の腕は外装の板を運んでいた。壁の中に、工場が入っている。


「ここで子機を作るんですか」

「材料と電力のある範囲で。普通の修理部品も作ります」


 エナは窓の端を指した。

 加工腕の列とは別に、黒い容器があった。そこだけ照明が消えている。


「あちらは、新型の中枢を作る場所です」

「中枢って、操縦する頭みたいなもの?」

「役割としては近いですね。通信が途切れても、周囲を見て、任された仕事を続けられるようにする部分です。新型の名前はボイド。でも、肝心のそれができていません」


 シラは、先ほどの空の固定台を思い出した。


「まだ積んでいないんじゃなくて、作れていない?」

「はい。この艦に、完成したボイドは一機もありません」


 ラビの耳が、ゆっくり外側へ倒れた。


「すごい船に来たと思ったら、すごく困ってる船だった」


 エナは少しだけ困った顔をした。


「外装も推進部も用意できます。普通の制御装置を載せた飛行試験も通りました。けれど、中枢を作る条件だけは分からない」

「作った人に聞けないんですか」


 シラが尋ねると、エナは黒い容器を振り返った。


「元になった設備が、地球の海底で見つかった古い船のものなんです。残された資料を調べ、こちらの技術で補ってきました。普通の部品を作る部分は扱えるようになった。でも、ここはまだ」


 海底にあった船。

 誰が乗っていたのだろう。そんなものを、月まで持ってきたのか。

 聞きたいことが一度に増えた。シラが口を開く前に、エナは窓の赤い封印札を示した。


「今は供給を遮断しています。私と艦長が承認し、担当者が隔壁を閉めて監視するとき以外は動かしません。見学していたら突然何か出てくる、ということはありませんよ」


 ラビが、窓から半歩戻した足を止めた。


「……今の、顔に出てました?」

「よく聞かれるので」


 シラも窓へ近づき直した。

 新しい機械の使い方を覚えに来たはずなのに、そこには、まだ作り方の分からない機械があった。

 期待していいのか、心配すべきなのか、決められなかった。


 ラビは黄色い作業機の方へ向き直る。


「じゃあ、今日はあっちの二機ですね。できてないものの操縦は覚えられないし」

「ええ。まず、帰ってこられるようにしましょう」


     *


 その最初の練習で、シラは六機を帰れなくした。


 艦内の訓練席。画面の中だけの母艦と、十二機の模擬子機。

 そのうち六機を戻す課題なのに、格納口の手前で、その六機が止まっていた。


「衝突はしてない」


 シラが言うと、ラビは画面を指した。


「入口にも入ってない。誰かが先に譲るまで、全員ここで暮らすことになるよ」


 点検を続けている一機が、帰還する二列の間へ入り込んでいた。各機はちゃんと障害物をよけている。その結果、左右の列が互いを塞いでいた。

 港なら、作業中の艇をどかすところだ。


「点検の一機をどかしたい。タスクを止めるの、どこ?」

「ここ。帰還じゃなくて、一時待機にして。あっちなら列を塞がない」


 ラビが操作欄を開き、空いた場所を示す。

 シラはその一機の仕事を止め、退避位置を作った。列が動き始めたのを見て、ようやく椅子へ座り直す。

 習った操作を間違えなければできる、と思っていた。その考えから直さなければいけないらしかった。


 翌日は、ラビが一機を取り残した。

 通信が切れた機体に、母艦を待つよう指示してあった。母艦が逃げ始めても、機体は律儀に同じ場所にいた。


「ちゃんと待ってる。私がそう言ったから」


 ラビは長耳を両手で押さえた。

 シラは取り残された印を見てから、母艦の進路を戻した。


「次は先に、合流する場所を教えよう」

「そこが使えなくなったら?」

「もう一つ決める。戻す相手にも伝えておく」


 画面の中で失敗しておいてよかった。

 口には出さなかったが、次を始めるラビの顔を見て、同じことを考えている気がした。


 三日目の夕方、二人はようやく必要な試験を通った。

 許可された仕事は、通常子機の運用と、監督担当者のいる場での航行支援。兵器の画面には、触れられないところがいくつも残っていた。


 食堂でトウカに報告すると、先輩は持参した包みから、金属の輪を取り出した。


「おめでとう。じゃ、これを次の補給便で港へ送り返す手伝いをお願い」

「合格祝いが仕事」

「港のオーブンの部品だよ。パンがもう少しまともになる」


 ラビが包みを引き寄せた。


「シラ、送り先を出して。私は受け渡し時間を聞く」

「急に仕事が早いね」

「大事な荷物だから」


 シラは笑って、食堂への輸送票を開いた。

 明日は港を離れる。けれど、帰る場所との用事は、こんなふうに続くらしかった。


     *


 四日目の朝、ルクスレインは支持架台を離れた。


 艦橋の誘導席で、シラは窓代わりの画面を見つめた。灰色の地面が下がり、何度も歩いた港が、床に描かれた図くらいの大きさになる。

 離陸の重さがふっと抜け、膝に置いた端末が、落下防止のひもを引いて浮いた。


「来た」


 ラビが小声で言う。

 重力の切り替えで、一時的に物が浮く。教わったとおりだ。シラは端末を押さえ、人工重力が戻って、再び足が床へ押しつけられるのを待った。


 まずは月の近くで、船外の点検と通信試験をする。

 新型はまだ空の台のまま。外へ出すのは、見慣れた黄色い作業機二機だけだった。


「一番機、点検位置へ。二番機はここで待機」


 ラビが指示を送った。

 シラは帰る道を先に確かめてから、往路を開いた。黄色い機体が船腹を離れる。


 画面の隅に、訓練中の表示はなかった。


「飛んだね」

「帰ってくるまでが試験」

「それ、昨日は私が言った」


 ラビが笑った、そのすぐあとだった。


 艦橋の照明が変わった。

 外縁監視網からの警報が、正面画面へ割り込む。


 黒い艦影、二隻。


 シラの喉が詰まった。記録映像の船と同じ形だった。外板が花のように散っていく、あの記録の向こうにいた船だ。


「試験中止。子機回収、退避を開始する」


 ガルドが命じた。


 シラの画面へ、避難する船の印が次々に入ってくる。

 その一つから通信が開いた。


『こちら観測施設の連絡艇。向きが戻らない。誰か、聞こえるか』


 通信の向こうで、金属をたたくような音がした。

 ラビの顔から笑みが消える。


 練習なら、いったん止めて考え直せた。

 シラは震える指を画面の縁に押しつけ、通信を開いた。


「聞こえます。今いる場所を、教えてください」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。