第32話 最後の一機
〇一は、直せばまた飛べる。
整備担当がそう説明したとき、シラは膝の上で握った手をゆるめた。もう使えないものを片づける相談ではない。そのことを、ここにいる全員が同じように聞いたのだと思った。
ルクスレインの打ち合わせ室には、ガルドとエナ、整備と兵装の担当者がいた。通常艦の艦長たちも、映像で参加している。
ラビは帰還計画を開き、シラはその横に、監視の引き継ぎ予定を並べた。
『また撃たれた場合、この一機があれば助けられることはある』
耳の欠けた艦長が言った。
反対のための言葉ではなかった。最初の敵艦を一緒に止め、〇二を失ったあとも観測を貸してくれた人だった。
「あります」
エナが答えた。
「中枢を保存すれば、外側を修理して使うことも可能です」
シラは顔を上げた。
博士は、だから保存しようとは続けなかった。
「ただし、その間は、中にいると受け止めた相手を留め続けることになる。研究が済む日も、次の戦争が来なくなる日も、私には約束できません」
誰もすぐには返さなかった。
画面の向こうで、別の艦長が記録へ目を落とす。
「私は、出してあげたいです」
シラは言った。
「〇二が壊れたとき、先輩が離れていくのを感じました。残骸にも、もういませんでした。〇一のそばでは、まだ違います。誰かは、分かりません。でも、また必要になるかもしれないからって……」
そこで言葉が詰まった。
必要になるかもしれないのは、本当なのだ。
自分たちの気持ちだけで、ほかの艦へ守ってくださいとは言えなかった。
ラビが帰還計画を大きくした。
「帰りの警戒を、三隻の通常艦と本艦で分担します。損傷艦は工作船の支援で移動。ボイドがいなければ通れない区間は避けます」
予定は速くなかった。
補給を受ける場所も、足りない観測を借りる相手も、事前に確かめてある。早く帰るために危険な近道を選ぶ計画ではなかった。
「火星の監視は、交代艦隊が受け持ちます。引受が済むまでは、出発も処分も始めません」
ラビが言い終えると、耳の欠けた艦長が図へ顔を寄せた。
『ここの交代、うちは先に動ける。隣が受けたのを見てから移る。あの戦いと同じだ』
シラは頷いた。
誰かが永久に保証してくれる道ではない。それでも、今ある船と人で守りを続ける、具体的な役割が並んでいた。
ガルドが、後方の了承が届いたことを伝えた。
「この計画で守る。形成設備を先に再作動不能にし、その完了を確認してから、〇一を中枢ごと破壊する。研究のための核も、再使用する機体も残さない」
艦長は一人ずつ返答を受けた。
怖さがなくなったから選んだのではなかった。
怖さがあるまま、違う守り方を引き受けた。
*
交代艦隊の到着を、予定表の上では済ませなかった。
数日後、実際の艦影を捉え、通信を確かめ、観測範囲を重ねた。これまで母艦が追っていた船の位置を渡し、相手が同じ対象を見ていることを聞く。
和平側も監視を続け、連絡の窓口と観測が切れた場合の照会先を確認した。
シラたちの席にも、引受済みの報告が届いた。
最後に来たのは、火星の拠点への再接近を見張る担当だった。
『対象を確認。以後はこちらで監視を続ける』
ラビは受信を保存し、艦長へ回した。
ルクスレインが見なくなった先でも、誰かが見ている。
帰路の通常艦の配置も確定した。
右側観測を借りる回線を、ラビは一度切ってつなぎ直した。事故で途切れたとき、どこから受け直すかを確かめるためだった。
同じ船の声が戻った。
『見えている。帰りも送れる』
その返事を聞いてから、ガルドが処分作業の開始を許可した。
*
形成設備のある区画は、いつもより静かだった。
材料を運ぶ腕が止まり、囲いの外には使わない工具が片づけられている。普段の部品加工をする機械は別の区画へ仕事を移し、ここには中枢形成に使っていた一式だけが残された。
シラとラビは、隣の監視室から作業を見た。
電力と材料の供給を切り離す。
それだけなら、以前も何度もしていた。
今日はそこから、遠隔工具が黒い容器の外側を切り始めた。
どの一点を壊せば未知の働きが止まるのか、エナにも分からない。だから、一部を取り外して保管するのではなく、形成に関わった装置の組み合わせそのものを失わせる。
容器を支えた枠が外れ、接続部が切断された。内部の加工部も取り出すそばから圧壊され、元の形ではつなぎ直せない塊になっていった。
途中で工具を交換し、担当者も交代した。
切断した箇所を、次の整備員が記録と見比べる。シラたちも一度席を離れた。
戻ると、いつも暗い容器があった場所に、向こうの壁が見えていた。
「奥って、こんな色だったんだ」
ラビが言った。
ただの薄い灰色だった。特別な場所に見えなくなったことが、シラには少し不思議だった。
「最初、ここへ来たとき、何もできてなかったね」
「できたら困るなんて、思ってなかった」
二人はしばらく黙った。
〇一が飛んだ日、救命区画から七人を迎えられた。回っていた連絡艇も月へ帰れた。その喜びを取り消したいわけではない。
エナも、手元の記録を消さずにいた。
「作ったことも、使ったことも残します」
博士は言った。
「分からなかったから、なかったことにしてよいわけではないので」
最後の部材がさらに割られ、処分容器へ入った。
整備班とエナが別々に確認し、形成設備は再作動できないと報告した。
ガルドが受領する。
それから初めて、〇一の搬出が許可された。
*
〇一は、最後の移動でも自分では飛ばなかった。
蓄えていた電力を安全に抜き、兵装を動かせない状態にして、工作船の可搬式の作業台へ固定する。中央を破砕するための工具も、その台についていた。
運ぶのは作業艇で、シラの担当はそこまでの経路だった。
砕けた破片が船へ流れない場所を選び、作業艇が離れる方向も先に決める。
搬出の前、二人は固定架の前へ立った。
整備員が少しだけ時間を空けてくれた。
灰色の板には、初戦のものではない新しい傷があった。
直したところ、取り替えたところ、何度も外した金具。知らない誰かが入っている機体の外側には、知っている人たちの手の跡が重なっていた。
「お礼、考えてきたんだけど」
ラビが言った。
「立派にしようとしたら、変になった」
「聞いてもいい?」
「聞いてもらうために言ったわけじゃない」
シラは小さく笑い、すぐに目が熱くなった。
トウカなら、名前を呼べた。食べ物の話も、忘れた本の話もできた。
この相手には、何もない。誰を大事に思っていたかも、どこへ帰りたいかも知らない。
「勝手に、何度も頼んだね」
シラは機体へ言った。
「助けてもらった。ありがとう」
続きを探したが、相手の気持ちを決める言葉しか浮かばなかった。
嬉しかっただろうとも、許してくれたとも言いたくなかった。
ラビが隣で頭を下げた。
「もう、次の仕事は送らないよ」
機体は答えなかった。
返事をもらうための挨拶ではないのだと、シラはようやく分かった。
二人は線の外へ退き、作業艇が台を引き出すのを見送った。
*
処分場所から届く映像には、畳まれた四枚の板があった。
作業艇は台を離し、予定した安全な距離へ下がった。周辺の確認が終わるまで、工具は動かなかった。
シラは監視席で、艇の帰路が開いたままなのを確かめた。
隣でラビも、作業担当者の報告を受けている。
中央の中枢ごと破砕する。
外装だけ外して、中を保存する工程はない。
整備担当が最後の確認を終え、艦長の許可を受けた。
「始めます」
工具が機体の両側から寄った。
灰色の中央が押され、割れた。外からは見えていなかった黒い部分にも亀裂が入り、左右へ開く。
シラは息を止めた。
留まっていたものが、離れた。
見えたのではない。誰かの顔が浮かんだのでもない。
そこにあった気配がほどけ、機体の形から遠ざかっていく。
トウカとは違う、知らない存在だった。
最後まで、名前は分からなかった。
それでも、今、出ていけたのだと思った。
シラは手を持ち上げかけて、膝へ戻した。
引き止めるために、ここへ来たのではない。
行く先まで自分が決める必要もなかった。
「行った」
声が出た。
ラビがこちらを見る。
「もう、中にはいない」
ラビは長く息を吐いた。
それから、シラの横にいたまま映像へ戻った。
何かを確かめるために、同じ質問を繰り返さなかった。
作業は続いた。
黒い中枢は形を失うまで砕かれ、板と骨組みも切り分けられた。処分した形成設備からも、この残骸からも、再び運用できる機体や核は残さなかった。
回収した〇二の破片も、兵器の材料へ戻さず処分した。
エナが一覧を確認した。
ボイドの予備中枢なし。未使用の完成機なし。残るボイドの処分完了。
運用できるボイドの欄が空になった。
シラはそこへ、次を入れてほしいとは言わなかった。
*
監視室を出たあと、二人は廊下の端で台車を待った。
修理用の部材が、幅いっぱいに積まれている。運ぶ整備員が、すみませんと先に言った。
「大丈夫。通れます」
シラが壁へ寄ると、ラビも耳を倒して場所を空けた。
台車は、損傷艦へ運ぶ部材を載せていた。作る仕事は続いている。直せるものも、まだ沢山あった。
窓代わりの通路画面に、外で警戒を続ける通常艦が映った。
〇一がいなくても、その船はそこにいた。
ラビが次の当直を確かめ、端末を閉じた。
「帰りの経路、明日もう一度だね」
「うん。今日は、ここまで」
シラも端末をしまった。
歩き出してから、一度だけ後ろを見た。
誰かを置いたまま帰るような感覚は、もうなかった。




