第33話 帰る場所
帰りは、八隻で進んだ。
ルクスレインの右側には通常艦がつき、失った観測器の代わりに外を見てくれた。主機を使えない一隻には工作船が寄り添い、補助推進で無理なく進める速さに、ほかの艦も合わせた。
補給船二隻の荷物は、帰りに使う分が残っていた。
火星へ来たときから取ってあった帰路だった。
シラは当直のたび、同じ船の位置を開いた。
ときどき、別の番号を探してしまう。〇一と〇二の運用欄は、もう普段の画面には出てこない。
指が空いたところへ行くと、シラは手を戻し、隣を飛ぶ艦へ観測の受領を返した。
月は、なかなか大きくならなかった。
勤務を終え、風呂の順番を待ち、洗った服を受け取る。ラビが自分の靴下を探し、シラの袋から見つけた。
「どうしてそっちへ入ったの」
「袋を近くに置いたから?」
「靴下が自分で移動したみたいに言わないで」
シラは靴下を返し、ラビは代わりに薄いタオルを渡してきた。
「こっちは、そっちの」
「お互いだった」
洗濯室には次の人が待っていた。二人は袋を抱えて場所を空けた。
こんなふうに小さな失敗で済む日が、少しずつ増えていった。
*
途中の補給は、前もって連絡した安全な合流場所で行われた。
以前、こちらが通した航路を使い、後方から輸送船が来ていた。今度はルクスレインが荷物を受け取る側だった。
水。交換部材。食料。修理を続けるための工具。
荷役の一覧を見て、シラは以前の医療資材船を思い出した。届けば終わり、ではなかった荷物たちだ。
補給の相手は、損傷艦が急に向きを変えられないことを知っていた。
進路を聞き、自分たちの方が先に位置を合わせてくれた。
『そのままでいい。こちらから寄る』
聞き慣れた内容なのに、自分が言わずに済むと、不思議だった。
シラは受け取る側の経路だけを確かめた。
「何か忘れてる気がする」
「向こうがやってくれてる分じゃない?」
ラビが一覧を送ってきた。
受領済みの欄に、焼き菓子があった。
「これも、やってくれた分」
「今は数量だけ見て」
「見た。足りてる」
配る係でもないのに、ラビは満足そうだった。
シラも品名をもう一度見た。
火星の監視報告は、その後も届いた。
侵攻部隊の撤退は続き、拠点への再進入はない。現地の通常艦と人類の和平側は、観測を交換しながら警戒している。
新しい合意が一通来たからといって、全部が元どおりになるわけではなかった。けれど、こちらが毎日その場所に残らなくても、報告はつながった。
交代の担当へ渡すとき、シラは言った。
「帰りの補給、ここまで受領しています。次の確認は、この時刻で」
「分かりました。あとは引き受けます」
返事を聞いて席を離れた。
前より長く、その言葉を信じて休めるようになっていた。
*
月が大きく映った日、ラビは何度も表示の倍率を確かめた。
「拡大じゃないよね」
「さっきも見た」
「分かってる。もう一回見たかっただけ」
灰色の地面には、港へ続く光があった。
知っている場所を見つけたつもりで、シラも地図を開く。似た地形を取り違え、少し左へ直した。
「こっちだった」
「私もそっちだと思ってた」
二人は顔を見合わせた。
あんなに帰りたかった場所でも、遠くから全部分かるわけではなかった。
接岸を引き受けるのは、港の管制だった。
ルクスレインの航海班が指示を受け、桟橋へ向けて降下する。シラとラビは最後の引き継ぎを終え、決められた席で荷物を抱えていた。
人工重力の切り替えに備えて、鞄の留め具を確かめる。
「今、手伝いに行ったら邪魔だよね」
ラビが言った。
「うん。迎える人が困る」
「じゃあ、待つ」
長い待ち時間だった。
接続の進み具合を知りたくて端末を開きかけ、シラはやめた。必要な知らせはここへ届く。相手が何度も説明してくれなくても、自分は座っていられる。
低い振動が止まり、固定完了の放送が入った。
気密通路がつながるまで、もう少し。
誰かがそのもう少しを確認してから、扉が開いた。
シラは鞄を持った。
歩く重さが変わり、月の港へ足がついた。
同僚が廊下の向こうから手を上げた。
「おかえり」
いろいろ報告することは用意していた。
失った観測器のことも、最後に借りた回線のことも、港へ引き継ぐ資料の場所も。
そのどれも、最初の返事にはならなかった。
「ただいま」
シラが言うと、ラビも隣で同じことを言った。
抱えていた鞄が、急に重く感じられた。
*
港へ戻った翌日から、仕事へ戻ったわけではなかった。
帰還後の検査と面談があり、そのあとに休養の日が続いた。
シラは勤務の時刻になると、起きる必要がない日も目を覚ました。静かすぎる部屋で、警報が鳴った気がしたこともあった。
端末を見て何も起きていないと知ると、安心するより先に腹が立った。自分の体が、勝手に仕事を始めてしまう。
面談でその話をすると、次に眠れなかったときも話してよいと言われた。
その場で全部治る答えではなかったが、次も持ってきてよい話になった。
ラビとは、毎日会う約束にはしなかった。
眠れた日は寝て、起きた時間に短い連絡を送る。今日は外へ出たくないとラビが言った日には、シラは一人で港の売店まで歩いた。
何を買うか迷い、何も買わずに帰った。
翌日それを話すと、ラビは少し驚いたあと、散歩にはなったねと言った。
ある昼前、二人で職員食堂へ行った。
奥でオーブンの扉が開き、大きな天板が運び出される。
シラは足を止めた。何が嬉しいのか分かる前に、トウカの手を思い出していた。
小さな部品を包んで、港へ戻る補給便に載せてほしいと持ってきた手だった。
「まだ使ってる」
ラビも扉を見ていた。
「うん」
あれを取り替えた港の整備員も、今焼いている食堂の人も、それぞれの仕事を続けている。トウカのしたことは、その中に混じって残っていた。
先輩のためだけの場所にならず、今日も沢山の人が料理を待っていた。
列が進んだ。
ラビは二つの皿の間で迷い、結局、最初に見た方を選んだ。
「半分ずつにする?」
シラが聞くと、ラビは少し考えた。
「今日は一皿、これがいい」
「じゃあ、それにしよう」
シラは隣の皿を選んだ。こちらも少し迷ってから、自分の食べたい方にした。
二人は向かい合って座り、しばらく料理を冷ました。トウカがその場へ来る気配はない。
それでも、三人で献立をのぞき込んだときの顔を、よく覚えていた。
「これ、先輩も迷っただろうね」
ラビが言い、少し笑った。
シラも笑った。そのあとで寂しくなったが、笑わなければよかったとは思わなかった。
*
最初の勤務は、短い時間だけだった。
シラとラビには同じ時間帯の席が用意されていたが、港の一日を二人で引き受ける予定にはなっていなかった。途中で交代する人も、休憩に呼べる人も先に確かめた。
管制室へ入る前に、二人は朝食を食べた。
「今日、途中で呼ばれたら?」
ラビがパンを見ながら言った。
「今の担当が受ける。私たちは、勤務の時間から」
「ちゃんと言えるようになったね」
「ラビも、受信音を小さくして」
ラビが端末を伏せた。
二人とも最後の一口まで食べ、容器を返してから食堂を出た。
廊下には、まだ簡易寝台が残っていた。
全員が元の場所へ戻れるわけではない。使えない施設も、修理を待つ桟橋もあった。
けれど新しい部材が入り、働く人が来て、待っていた荷物の受領欄が少しずつ埋まっていた。
管制室の入口で、シラは工具袋を持つ三毛猫を探しそうになった。
気づいて、視線を戻す。
今日の整備担当は、初めて一緒に働く相手だった。
「誘導席、シラです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。気になるところがあれば聞いて」
シラはうなずいた。
ラビが到着予定を開き、耳を立てた。
「シラ、次の船」
表示に、《ハコベ》とあった。
回線が開き、丸眼鏡の犬の船長が映った。見覚えのある眼鏡を指で押し上げ、こちらを確かめる。
『ああ、君たちか。今度は港にいるんだな』
「戻りました。今日は何を積んでいますか」
『修理用の部材と、生活物資。速く届けろとは言われたが、急いで降ろせる荷物でもない』
ラビが口元を緩めた。
「タルカさんみたいなこと、言ってますね」
『あれほど重くはないよ。丁寧に扱うのは、うちも同じだ』
「承知しています」
シラは船の状態を受け取り、接岸経路を開いた。
窓の外に、小さな光が見える。やがて船の形になる光だった。
桟橋の整備担当から、受け入れ準備完了と届いた。
ラビが設備の表示とカメラを確かめ、シラへ頷く。
「今度は、線も合ってる」
「分かった。じゃあ、迎えよう」
シラは回線を開いた。
「ハコベ、こちら第六桟橋。接岸の誘導を始めます」
船長が返事をし、船首をゆっくり合わせた。
外板は閉じたまま、荷物も人も、中にいる。
その形のまま帰ってきてほしいと、シラは思った。
ラビが隣で観測を送る。
二人は、入ってくる船を迎えた。
――完――




