第30話 撃たれない時間
搬送艇の前を、薄い板が横切った。
射撃停止から最初に出た、味方の艇だった。損傷した通常艦を離れ、工作船へ向かっている。もう敵弾は来ない。それなのにシラは、板を見つけた瞬間、声を上げかけた。
「破片。経路の少し先」
ラビが先に示した。
板は自分で向きを変えない。ラビが観測した動きから、シラは交差する時刻を確かめた。艇を少し遅くすれば、ぶつからずに通せる。
「搬送艇、その速さを少し落としてください。前を通り過ぎるのを待ちます」
『了解。こっちでも見えた』
艇の操縦者が返した。
板は映像の端を抜け、次の測定でも同じ方へ離れていった。艇は進み、工作船の入口へ入った。
迎撃の光は、一度も要らなかった。
『接続。医療班へ引き渡す』
シラは、受領を待ってから欄を閉じた。
同じことを戦闘中にもしたのに、今はひどく長い仕事を終えたように感じた。
右では侵攻部隊の四隻が離れている。攻撃できなくなった二隻も、監視の下で同じ経路へ合流し始めた。
六つの印が、地球から遠ざかる向きに揃う。
どこか一つでも欠けてはいないか、ラビが確認した。
「六隻とも、撤退方向。再発射なし」
ガルドが受け取り、支援船の安全範囲を広げた。
それでようやく、損傷艦の後部へ入るための作業が始められた。
*
救助班からの呼び出しは、シラの交代直前に来た。
閉鎖していた後部区画を調べ、連絡の取れなかった二人を見つけたという。
シラは、次の言葉を聞く前に立ち上がりかけた。
『二名、死亡を確認』
膝が机の下へ当たった。
小さな音がしたのに、誰も振り向かなかった。
確認した医療担当者の名前と時刻が続いた。通信席が復唱し、記録を保存する。
さっき、全艦が残ったと報告したばかりだった。
船が八隻あることは、中の人が全員帰れるということではなかった。
ラビが、画面を見たまま口を開いた。
「後ろへ、もう少し早く」
続きは言わなかった。
シラにも同じ考えがあった。あの順番を一つ早めたら、〇二を休ませなかったら、医療艇を先に出していたら。
どの案にも、別の危険があったことを覚えている。
それでも、覚えているだけでは、考えるのをやめられなかった。
「記録を見てもらおう。今、私たちだけで決めないで」
シラが言うと、ラビはうなずいた。
やってきた交代要員へ、二人は進路と監視を渡した。残る課題を説明し、相手が開いた画面まで確かめる。
最後に、自分たちがまだ同じ映像へ戻ろうとしていることも伝えた。
「分かった。次の連絡はこっちで受ける。もう離れていい」
そう言われてから、シラは椅子を戻した。
艦橋の扉が閉まる直前、また観測の更新音が鳴った。
走って戻らずに済んだのは、ラビが隣を歩いていたからだった。
*
艦内の時計で次の日になっても、二人は十分に眠れたとは言えなかった。
休憩室でラビが飲み物を受け取るのを忘れ、機械が同じ音を鳴らし続けた。
シラが容器を取って渡すと、ラビは片手で額を押さえた。
「いま、一個前のことを考えてた」
「私も。さっき、ここへ来た理由を忘れた」
「水、取りに来たんでしょ」
「そうだった」
二人は笑わなかった。
シラは端末を開き、予定されていた次の勤務の前に、医療班へ状態を伝えた。代わりの班を呼べる時間に言わなければ、と思った。
短く話をしたあと、当直への復帰を少し遅らせることになった。
「申し訳ないって、言いそう」
ラビが容器を両手で持った。
「私も。でも、さっき同じ欄を三回開いた」
「私は閉じる方を間違えた」
互いに報告すると、さっきより少しだけ息がしやすくなった。
空いた時間を、記録の見直しで全部埋めることはしなかった。シラは横になり、眠れなくても目を閉じた。
床の振動が変わるたび胸が跳ねたが、慌てて画面を開くかわりに、廊下を歩く人の足音を数えた。
起きたときには、日付は変わっていなかった。
その程度の休みでも、容器のふたを一度で開けられた。
*
次に艦橋へ入ると、戦うための図の端に、帰還予定という欄ができていた。
すぐ出発できるわけではなかった。
損傷艦の主機は、外からの検査でも復旧の見込みが立たず、現場での再始動を断念した。補助推進と工作船の支援で帰る計画を作る。
ルクスレインの右観測器も、交換できる部品が足りない。周囲を見る一部を、引き続き通常艦へ頼むことになった。
映像では、黄色い作業機が損傷艦の外板へ部材を運んでいた。
ルクスレインにある、通常機の一機だった。もう一機は別の作業を待ち、艦内にいる。
ラビが帰る場所を入力し、整備員へ渡した機材を確認する。
「この部材だけなら、一往復で済む」
「急がなくていい。向こうの固定が終わってから戻そう」
シラは答えた。
機体を飛ばす仕事はなくなっていない。ただ、戻る前に敵へ向き直らせずに済んだ。
ガルドの机には、後方から来る交代部隊の予定が届いていた。
火星の監視を、ルクスレインが帰ったあとも続けるための通常艦だった。人類の和平側と連絡を保ち、どちらかの報告だけに頼らず観測する。
到着予定だけで引き継いだことにはできないので、それまで八隻はこの宙域に残る。
敵の六隻が離れたあとも、火星の拠点には船がいた。
人員を乗せ、積み込める機材を積み、順に出ていく。出発の連絡が先に来る場合もあれば、こちらの観測が先に届く場合もあった。
ラビは記録の時刻と、光が届くまでの差を照合した。
「この船、二回出たことになってる」
シラが気づくと、ラビは片方の観測を開いた。
「同じ船。別方向の観測が、遅れて届いたんだ。まとめる」
放置できない数え違いだった。
二隻が撤収したつもりで一隻しか出ていなければ、拠点へ残ったものを見落とす。二人は出発数だけでなく、船の特徴と進路を合わせていった。
その仕事の途中、工作船から最初の三人の経過が届いた。
一人が、支えてもらいながら自分で水を飲めたという。
ラビはその一行で手を止めた。
「あの艇の中で、処置してた人」
シラはうなずいた。
止めてよかった時間が、あった。
その一行を、亡くなった二人の欄と比べることはしなかった。
*
日々が、短い受領の返事で進んだ。
撤退中の六隻は、決めた経路を離れていない。
火星の拠点から、最後の人員を乗せた船が出た。
残された施設への観測を続け、申告された範囲の艦艇と人員が引き揚げたことを、獣人側でも確認した。
軍用の船が戻れば分かるよう、監視は止めなかった。
遅れて、双方の代表が交わした合意が艦隊へ届いた。
攻撃の停止。地球と月へ武力で進出しないこと。撤退の履行とその監視。争いが起きれば、まず連絡を取ること。
侵攻を率いた側も受け入れ、これまでの被害を話し合うための窓口が設けられたという。
失ったものが戻るという文は、なかった。
シラはラビと並んで、最後まで読んだ。
読み終えてもすぐには画面を閉じられず、窓代わりの外部映像へ顔を向ける。
そこには、砲を光らせずに部材を受け渡す船があった。
「今日、外の作業が途中で止まってない」
シラが言うと、ラビも顔を上げた。
「うん。警報で戻れって言ってない」
勝ったと言うより先に、そのことが嬉しかった。
ルクスレイン一隻で守った時間ではない。戻ってこなかった人たちや機体も、いなかったことにはできない。
それでも、今、外で働く人へ中断を叫ばずに済んでいた。
交代後、エナから連絡が来た。
〇二が壊れたときの記録を、人類側でも確認したが、中枢の働きについて新たに説明できることはないという。
残骸を確かめるための探索は、監視を妨げない条件で認められた。
「記録を見る時間を、取れますか」
博士が尋ねた。
シラは一度、ラビを見た。ラビが頷くのを待つのでなく、自分から答えた。
「明日、見たいです。途中で、止めてもいいなら」
「もちろん」
その夜、二人は勤務端末を机へ置いてから部屋へ戻った。
急ぐ仕事がなくなったのではない。
ほかの人が仕事を受け持ってくれることで、二人にも別れに向き合う時間ができていた。




