第26話 医療艇を通す
損傷艦の前部連絡口は、使える。
工作船からそれを確かめる連絡が来たとき、シラはもう、そこへ入る小さな艇の道を作っていた。
主機を止めた艦は、補助の噴射だけで進んでいる。後ろに回れば、外れかけた外板や漂う破片へ近づく。前へ出すぎれば、母艦たちの迎撃の中へ出てしまう。
シラは損傷艦の船首寄りを回る線を引き、ラビへ送った。
「接近だけなら、ここ。止める位置が見えない」
「相手の前部カメラを借りる。艇からも見てもらおう」
ラビの照会に、損傷艦から船内の映像が返った。
非常灯の下を、乗員が担架を運んでいる。一人が壁へ背をつけ、通り道を空けた。その人の片腕も、布で胸へ吊られていた。
『医療班は後ろへ行けない。前へ運べた者から診ている。搬送が必要な者が三名』
声の奥で、誰かが扉を押さえてと頼んだ。
外から見ると船は一つの印だ。その中で今も、片手を使って働いている人がいる。
シラは経路の幅を少し広げた。
待ち時間を取り返すために、小さな艇を無理に急がせたくなかった。
「接岸口の位置、受け取りました。工作船へ渡します」
届いた許可は、すぐに発進させるものではなかった。
発射を止めた一隻を除く、敵五隻がこちらを追っている。火星側から三隻、右の外から二隻。損傷艦と工作船を、その射撃が直接届かない位置へ入れるまでは、医療担当を運ぶ艇も出せない。
工作船は見えていた。
大きな腕を船体に沿って畳み、補給船二隻の脇を進んでいる。その前を守ってきた護衛艦は、まだ彼らを離れなかった。
*
「〇一、温度上昇。今の迎撃は続けられません」
ラビの報告に、ガルドが後方の護衛へ呼びかけた。
「支援三隻が本艦の後ろへ入ったら、右へ出ろ。迎撃を交代する」
『三隻を渡してからだな。了解』
初めの集中砲撃に加わらなかった艦には、ほかの通常艦より多く弾が残っていた。戻ってくる自分たちのために、その余力が後方に残されていたのだ。
ただ、図の上で前へ移しただけでは、補給船を守る砲も前へ移ってしまう。
シラは護衛艦を待機にしたまま、三隻を順番に通した。
一隻目の補給船がルクスレインの後方へ入る。二隻目は間隔を取って続く。工作船は、損傷艦の後ろに来られる位置へ。
ルクスレインの迎撃砲は、その間も撃っていた。〇一は砲で落とせないものへ狙いを絞り、遠くへ追って撃つ動きをやめた。
「あと、工作船」
ラビが言った。
シラは頷かず、画面を見ていた。まだ船尾が外に残っている。
「船尾まで入りました」
「支援三隻、こちらで引き受けます。護衛、移動できます」
ガルドの承認を添えて送ると、護衛艦が噴射した。
前線の右側へ船首を振り、間もなく迎撃砲の光が増えた。先に弾を使った通常艦が一隻、少し内側へ寄って射撃を減らす。
「〇一、休射。母艦寄りに戻す」
ラビが任務を変えた。
灰色の機体が、敵へ向けていた板を閉じる。温度の上昇が止まった。
シラはそこでようやく、待たせていた医療艇の欄を開いた。
「工作船、発進できます。戻るのは、同じ口で受けてください」
『空けておく。今、出す』
小さな艇が工作船から離れた。
敵へ進む機体とは違い、ゆっくりした動きだった。中に人がいるから遅いのではない。中の人が、着いてから仕事をするための速さだった。
*
医療艇が損傷艦の前へ回ると、母艦の映像から半分隠れた。
ラビが艇のカメラへ切り替えた。
前部の扉が近づいてくる。扉の脇へ塗られた白い線は途切れずに残り、そちらの船体には裂け目がない。
最後の小さな噴射で、相手の動きと重なった。
『接続、固定を確認。中へ入る』
シラは艇の帰路を消さなかった。
この場所で終わる仕事ではない。
通信には、機材を渡す声と、担架を曲げる順番を相談する声が入った。ラビが音量を下げかけて止める。
「艇の呼び出し、こっちで受ける。シラは外を見て」
「うん。聞き逃したら言って」
「言う。私も、聞き逃したら教えて」
二人は画面を分けた。
右の敵二隻のうち、内側の一隻が船腹を見せた。
前へ出た護衛艦を外から追い抜くのではなく、その背後、母艦と損傷艦の間へ射撃を通そうとしている。
「医療艇のいる側へ回ります」
シラの報告に、兵装班が砲の向きを直した。
しかし母艦の船体が邪魔になり、すべての砲は向けられない。ガルドが航海班へ針路修正を命じた。
揺れが来る。画面の端で、〇二が見えた。
「〇二、冷却は?」
艦長が尋ねる。
「長くは撃てません。短い反撃なら、範囲内です」
エナの返事を受け、ラビが敵の腹を拡大した。
開いた発射部が見える。〇一が最初に破った相手と、同じ構造だった。
「ここから狙えます。回り込ませなくていい」
母艦の近くにいる〇二から、敵へ一本の線が引かれた。
シラは医療艇の印を見た。船の陰にいる。射撃の先にはいない。
だが、ラビの指が止まった。
迎撃用の設定を戻し、攻撃の欄をもう一度開いている。
「ラビ、帰還条件は残しておいて。撃ったあと、追わせない」
「分かってる。……消しかけた。ありがとう」
ラビは欄を戻した。
白い耳の先が小さく震えていた。シラだけが、怖いわけではなかった。
右側の通常艦が撃った。
敵はその砲撃を避けようと外へ振れ、開いた船腹を〇二へ向けたままになった。
「射線、前方に味方なし」
「攻撃を許可。短い射撃で戻せ」
〇二が板を開いた。
光が入り、発射部の縁が割れる。二度目の短い射撃が、その奥へ届いた。
船腹から噴いた白い粒の間で、蓋が戻らなくなった。
「終了。〇二、母艦へ戻す」
ラビの声がはっきり聞こえた。
敵はなお動いていたが、撃ってこなかった。艦首を外へ向け、医療艇へ通そうとしていた線から離れた。
ガルドは追撃を命じなかった。
艇から、呼び出しが来た。
『三名を収容。工作船へ搬送する。出られるか』
「出られます。前部から離れたら、こちらの線に沿ってください」
シラは答えた。
敵の壊れた場所より、その先に小さな艇が現れるのを待った。
*
医療艇の帰路は、往路より少し外へ膨らんだ。
損傷艦から離れた破片が、さっき通った場所を横切り始めていたからだ。ラビが艇のカメラと工作船の観測を重ね、危険な破片の位置を示した。シラはそれを避けるように、艇へ送る帰路を修正した。
途中で、艇からもっとゆっくり行くと連絡があった。
担架の一人に処置を続けているという。
「了解。工作船には、待ってもらいます」
シラは合流時刻を延ばした。
少し前なら、その遅れの間に敵弾が届いていたかもしれない。今、右の二隻のうち一隻は撃てない。〇二と通常艦が作った時間を、艇の中の人が使っている。
『工作船、接続。三名、受け入れた』
通知が点いた。
続けて、医療担当の引き渡しが済んだと届く。
ラビが目を閉じた。一呼吸だけだった。
「着いた」
「うん」
シラは帰路の線を閉じ、次の搬送に使えるよう保存した。
損傷艦にはまだ治療を受けている人が残り、後部へ入れないという報告も変わらない。三人を運んだことは、全員を助けたことではなかった。
それでも、三人はあの狭い艦内から、診てもらえる場所へ移れた。
〇一が冷却を終え、正面の短い迎撃へ戻っていた。〇二は母艦の脇で休射している。
通常艦から、使った弾と砲の状態が順に届いた。後方から出た護衛も、もう余力を使い始めていた。
守る側は母艦と通常艦三隻。
その後ろに損傷艦、工作船、補給船二隻。
八隻の位置を、シラはもう一度確かめた。
敵のうち、攻撃を止めた二隻は戦列から外れている。
残るのは火星側の三隻と、右の一隻だった。その四隻が、互いの間隔を揃え始めた。
「来る。別々じゃなく」
ラビが言った。
シラは損傷艦の直進路に手を置いた。
その一本だけは、今から変えられなかった。




