第21話 そこにいるはずのない人
格納区画の入口で、シラは一度、ラビより先に笑いかけた。
誰かがいた気がしたのだ。
当直を終えて降りてきたところで、整備の先輩がこちらを見つける。まだ何も話していないのに、次に言われることを待つ。その短い時間に似ていた。
だが、入口の向こうにいたのは、点検票を持つ別の整備員だった。
「次の予定を確かめに来た?」
「はい」
シラは返事をし、いま笑いかけた理由をしまおうとした。
格納区画にはいつもの音がある。工具が置かれる音、換気装置の低い振動。奥の黄色い通常機二機は、点検を終えて固定されていた。
〇一と〇二も並んでいる。
灰色の板。中央の覆い。床へ落ちる影。
何も変わっていない。
それでもシラの胸の奥に、懐かしさが残っていた。
「シラ、こっち」
ラビが呼んだ。作業台の横に、二人が確認する予定表があった。
シラは歩き出そうとして、〇二の方を見た。
そこだ、と思った。
人の姿を探すより先に、そう分かった。
*
「先輩」
声にしてから、自分で驚いた。
整備員が顔を上げた。ラビも振り向く。
〇二は何もしなかった。
板は閉じている。通信の表示にも、動作試験の表示にも変化はない。
「どうしたの」
ラビが尋ねた。
シラは口を開いたが、説明が見つからなかった。
見えたのかと言われれば、見えていない。声は聞こえない。あの工具袋の匂いもない。トウカの顔を思い出していたわけでさえなかった。
「今、いると思った」
「誰が」
「トウカ先輩」
ラビは黙った。
シラは〇二の向こうを見ようとして、作業線の手前で止まった。近づけば何か証拠が出る気がした。近づいて、ただの板とねじしかなかったら、さっきの気持ちまでなくなる気もした。
「この機体のそばに?」
ラビの声は静かだった。
「そば、というより……」
中に。
そこまで言うのが怖かった。
シラは指を握り、開いた。機体へ手を伸ばしてよい場所ではない。そんなことをまだちゃんと考えている自分と、会えたと思っている自分が、同じ体にいた。
「機体を見たら、懐かしいの。さっきから」
ラビは隣に来た。機体とシラを順に見たが、同じことを感じるとは言わなかった。
「声がした?」
「してない」
「何かしてほしいって、分かった?」
「ううん。何も」
シラは頭を振った。
何か頼まれたのなら、まだいつもの仕事にできた。そうではなかった。ただ、こちらが一方的に、知っている人の前へ来てしまった感じだった。
整備員が作業の予定を聞き直した。
シラは答えられず、ラビが代わりに確認した。〇二の固定を外す試験はない。これから始めるのは〇一の外装の点検だけだ。
「少し、ここにいてもいいですか」
ラビが尋ねると、整備員は作業線の外ならと答えた。
その人が離れたあと、シラは自分の頬に触れた。濡れていた。
「会いたかった」
ようやく出た声は、小さかった。
「でも、こういうのを、待ってたんじゃない」
トウカと話したかった。
自分から話して返事を待つだけではなく、向こうの用事も聞きたかった。今日は何が食べたいのか、誰に何を貸してほしいのか。先輩が言うのでなければ、分からないことがまだたくさんあった。
〇二は答えない。
シラが会えたと思うほど、その沈黙が痛かった。
*
ラビは、エナへ連絡する前にシラへ確認した。
「今のこと、そのまま話していい?」
シラはうなずいた。
「変なことを言った、で終わらせたくない。でも、機体が何かしたわけじゃない。それも伝えて」
「うん」
博士は分析室にいた。ちょうど月から転送された返答を読んでいたという。だが、ラビが話し始めると、その画面を閉じた。
先に二人の話を聞いた。
シラは途中で、同じところを二度説明した。格納区画へ入ったときに感じたことと、〇二を見たときに感じたこと。その間で何かが起きたわけではない。
博士は言葉を急がせず、ラビには機体の状態を確かめた。
「人格の記録を入れたことはありませんか」
ラビの問いに、エナは首を振った。
「故人の声や整備の技能を再現する機能は、私たちは作っていません。中枢へトウカさんの記録を移したこともありません」
「だったら、私が勝手に……」
言いかけて、シラは止めた。
博士が否定したのは、誰かが入れた仕組みだった。自分が感じたことを、自分まで急いで否定しなくてもよかった。
ラビがこちらを見る。
「私は同じものを感じてない。けど、シラが先輩に会えたことにしたくて、話を作ってるとも思わない」
シラはうなずいた。
全部信じるよ、と言われるより、足を置ける場所がある気がした。
*
エナが二人に見せた人類側の返答には、期待していた説明はなかった。
あちらにも、同じ中枢を作れる設備はない。
古船の一部分を直す資料は提供した。だが、獣人側が作った制御や代わりの部品を組み合わせた結果、元の装置にはなかった働きが出た可能性がある。
「もっと進んだ文明の機械でも、分からないんですか」
シラが尋ねた。
「この部分については、向こうも理解の外にいます。知っている物を組み合わせたら、知らない物ができてしまった」
エナは窓の向こうを見た。
整備員が〇一の板を取り外している。こちらで削った金具と、いつも使う工具。未知だという中枢の周りには、誰かが手をかけなければ働かない部品が並んでいた。
「ただ、それは何でもできるという意味ではありません。外装は傷む。電源も放熱も、今の設備の範囲です」
博士の手が、二つの日付を開いた。
〇一が形成された日と、〇二が形成された日。
その下に、最初の戦闘と、第七中継所の救難の記録が並ぶ。
シラは二つ目を見て、椅子の縁を握った。
「死亡の記録も、見ていたんですか」
「ほかの条件と一緒に。でも、この二例だけで原因は決められません。同じころ、別の場所でも大勢が亡くなっている。そのたびにできたわけではない」
〇二の形成は、トウカの死亡が確認されたあと、あらためて許可された試験だった。
事故の瞬間に動いたのでも、救命を止めて作ったのでもない。シラはあのときの順番を、痛いほど覚えていた。
「先輩が生きている間に、何か取ったわけじゃない」
エナはうなずいた。
「その順番ではありません」
シラは胸の前に手を置いた。
生きて帰ってほしかった。その願いが機体を作ったと考えたら、何もかも間違えそうだった。願った人なら、ほかにもいた。二機目を望んだ声も、艦の中にはたくさんあった。
それを選ぶ装置だという根拠は、どこにもない。
「魂って呼ぶものが、入ってしまったんじゃないですか」
シラは言った。
言葉にしたあと、急に部屋の狭さを感じた。兵器についての話をする机で、これまで使わなかった言葉だった。
エナは否定しなかった。証明できたとも言わなかった。
「その可能性を、今の私には排除できません。あなたの感覚を測る方法もない。だが、材料と電力だけの話として、次へ進める段階ではなくなった」
シラの中では、もう少し違っていた。
可能性という言葉に戻そうとしても、〇二の前で会えたと思ったことは戻らなかった。
*
博士が艦長へ報告の時間を取っている間、二人は休憩席に座った。
ラビが水を持ってきた。シラは礼を言い、今度はすぐ飲んだ。
「嬉しかった?」
ラビが尋ねた。
シラは、うなずくまでに少し時間がかかった。
「一瞬、すごく」
「うん」
「そのあと、何を言っても返事が来ないのが嫌になった。会えたって、自分で思ったのに」
ラビは〇二のある方を見なかった。シラの方を見ていた。
「先輩と話したいのは、私も同じ。でも、話せない機体に、先輩の代わりを全部やってもらうのは違う気がする」
シラは容器の水面を見た。
〇二に何を覚えているか聞くつもりだった自分に気づいた。港の仕事、借りた本、あの食事。返事が来れば安心できると思っていた。
来なかったから偽物だと決めるのも、動いたから本人の答えだと決めるのも、同じように相手を自分の欲しい形へ寄せることなのかもしれなかった。
「機体が壊れたら、どうなるんだろう」
口に出すと、今度はラビの手が止まった。
さっきまで、会えたかどうかばかり考えていた。その〇二は、戦うために載せられている。
外には四隻の敵がいる。
戻ってきたエナへ同じ問いを向けると、博士はすぐには答えなかった。
「分かりません」
やがて、それだけ言った。
壊せば出られるという答えも、壊せば消えるという答えも、誰も持っていなかった。
シラは立ち上がった。格納区画を見に戻るのではなく、艦長の待つ部屋へ向かうためだった。
感じたことを、なかったことにはできない。
いま機体へ命じていることも、そのままにはしておけなかった。




