第19話 人類という名前
知らない相手の顔を見るために、当直を代わってもらう。
その理由を引継ぎ欄へ書くとき、シラは少し迷った。
結局、艦長指定の説明会、とだけ入力した。何を聞くかは、まだ自分も知らない。
集結地点に到着して四日後。五隻は補給と点検を続け、後続の艦を迎える準備を進めていた。
「返事が来たって」
会議室へ向かいながら、ラビが言った。
「〇二の?」
「そこまでは書いてない。外からの資料ってだけ」
二人の歩く先で、荷物を運ぶ台車が曲がった。シラは壁へ寄り、通り過ぎるまで待った。月から来た部品の箱だという。
自分たちの知らない場所で積まれたものが、いま目の前を通っている。
続く話も、そういうものだった。
*
ガルドは最初に、画面の時刻を指した。
「今日、向こうが話した言葉ではない。先に送られていた状況報告が月へ届き、本艦に転送された。中枢についての追加照会とは行き違っている」
送信と受信の日付が離れていた。
シラは思っていた質問を一つ飲み込む。〇二について何か分かったかと聞くには、まだ早いらしい。
エナも席に着いていた。机の上には古船の資料があったが、今日は開いていない。
「相手は姿と、種族の名を送ってきた。司令部が受信資料を照合したうえで、前進部隊に共有している」
映像が始まった。
シラは思わず、自分の耳の根元に触れた。
相手の耳は、頭の横にあった。
猫や犬のように上へ突き出ていない。顔の前方も平たく、頬と首には、ほとんど毛が見えなかった。頭の上だけに短い毛がある。
衣服を着ている。目がこちらを向いている。片方の手で、机の上の何かを押さえていた。
知らない姿なのに、これから大事なことを話す人の構えは分かった。
聞き慣れない音が流れた。
下に、訳された文字が現れる。
『私たちは人類です。あなた方へ攻撃を行っている艦隊も、同じ種族です』
ラビが少し前へ身を乗り出した。
人類。
シラは頭の中でその音を繰り返した。学校で聞いた名でも、遠い地域に住む獣人の名でもない。
『私たちは侵攻に反対し、停止を求めています。提供した資料は、そのための支援です』
映像の人物が一度、下を見た。
文字を読んでいるのかもしれない。声の調子が分からない分、シラはその小さな動きから目を離せなかった。
『こちらの艦隊も向かっています。到着までの間、先に伝えられる情報を届けます』
画面の人物は、まだこちらの反応を知らない。
シラが驚いていることも、ラビが耳を固く立てていることも。
ガルドが再生を止めた。
*
「味方なんですか」
シラの問いは、思っていたより単純な形になった。
ガルドは止まった顔を見上げた。
「攻撃に反対すると言い、確かめられる資料を送ってきた相手だ。協力を受ける準備はする。ただし、来る船が本当にその相手かは、現地で確認する」
「同じ種族なら、命令できないんですか。撃つなって」
「別の艦隊だという説明を受けている。同じ種族だから同じ命令で動くとは限らん」
シラは、自分たちの五隻を思い浮かべた。
目の前の艦長が命じても、月のあらゆる船がそのとおりに動くわけではない。考えれば分かることだった。それでも、敵を知っている相手には、敵を止める力まであってほしかった。
「じゃあ、二種類の人類の船が来るかもしれない」
ラビは手元へ書き込んだ。
「敵と同じ形だから撃つ、では危ないですね」
「そのとおりだ。識別の照合は観測班と通信班で進める。名乗る声だけで、安全を認めることもしない」
シラは顔を見直した。
この顔に似た人が乗る船を、四日前、自分たちは壊した。
*
エナが古船の資料を開いた。
海底で見つかったころの、暗い内部写真だった。壊れた椅子と、倒れた机のようなものが映っている。
「提供者は、この船も自分たちの古い文明に属すると説明しています」
博士は写真を大きくした。
椅子の背と座面は、尾を逃がすところもなくつながっていた。シラが座れば、体を横へずらさないと落ち着かない形だ。
「最初から、私たちの体に合わないことは分かっていました。だが、使い手の形を一つに決める証拠にはならなかった」
「そこへ、姿が来たんですね」
ラビが言った。
エナはうなずき、製造設備の図へ切り替えた。提供資料と古船の構造が重なる部分には、同じ印がついている。
「工学の資料を持っていた理由は、この説明なら通ります。ただ、知っている装置の組み合わせでも、現在の中枢まで説明できるとは限りません」
シラは中央の空白を見た。
何も知らない相手から届いた紙ではなかった。それと同時に、相手の顔が見えたことで、二機が普通の完成品へ変わったのでもなかった。
「この人たち、地球を知ってるんですか」
シラが聞くと、ガルドは別の照会記録を出した。
「地球についても説明を求めている。今ここで示せる、確認を進めた資料はこれだけだ。続報は各艦へ伝える」
見覚えのない種族が、海底の船を自分たちのものだと言う。
その同じ種族の艦隊は、なぜ地球へ向かってくるのか。
顔が分かっても、聞きたいことは減らなかった。
*
ラビはずっと、机の端を指で押さえていた。
シラが水の容器を寄せると、少し驚いた顔で受け取った。
「私たちが撃った艦にも、こういう人がいたんですよね」
ラビは艦長へ聞いた。
「個々の乗員は確認できていない。同じ種族の船だという情報は、今回の説明に含まれる」
「助かった人がいたかは」
「引き続き、知らせは来ていない」
あの艦へ近づける船を新たに差し向ければよかったのか。
シラは一瞬考えた。補給船を守るための五隻から、どの一隻を出すのか。残った兵器が動いたら、誰が受けるのか。今、顔を見たからといって、あの場でできたことを増やすことはできない。
それでも、考えずに済む話ではなくなった。
「前へ出なければよかった、とまでは思いません」
シラはゆっくり言った。
「あのとき、後ろの船を撃たせたくなかった。今も、そこは変えたくないです」
ガルドはうなずいた。
「私もだ。攻撃を止める必要があった。それは私が命じた」
勝ったから忘れろとも、相手を知ったから悔やめとも言わなかった。
ラビがようやく容器を持ち上げ、一口飲む。
「向かってる船を、待つんですか」
「接触できるように準備する。だが、来るという報告と、今ここを守れる戦力は別だ。補給と観測は進める」
ガルドは現在の五隻を画面へ出した。
相手の到着予測は、そこに混ぜられていない。
シラはようやく、当直を引き継いだときの自分の画面へ戻ってきた気がした。
*
会議室を出て、二人はすぐには歩かなかった。
先ほど台車が通った壁際に、同じように並んで立つ。
「あの人、耳が動かなかったね」
ラビが言った。
「そういう耳なんじゃない?」
「じゃあ、怒ってるかどうか、どこを見るんだろう」
シラは少し考えた。
自分の耳は、不安なときには勝手に伏せられる。ラビの耳は、話を聞き逃すまいとするとぴんと伸びる。そんなもののない相手へ、自分は何を送ればよいのだろう。
「聞くしかないのかも」
「向こうも、私たちの耳を見ても分からないよね」
「頭の上で何か忙しい、とは思うかもしれない」
ラビは両耳を手で押さえた。
「初対面のときは、落ち着かせておこう」
シラは少し笑った。
それから、笑ったままでいてよいのか迷った。四日前の船が、頭の端にまだある。
ラビは耳を離し、壁から背を起こした。
「話せるところまで来てほしい。何を聞いたらいいか、まだ順番がつかないけど」
シラはうなずいた。
「まず、撃つのを止めてほしい」
「うん。そのあとで耳の話」
艦内放送が、補給作業の終了を告げた。
廊下を曲がると、月から来た箱が開けられていた。整備員が部品を一つ取り出し、形を確かめている。中身が合っていれば、これで止まっていたポンプを直せるらしい。
見えない場所から届いたものを、ここで確かめ、使えるようにする。
シラは作業の邪魔にならない側へラビを呼び、居住区へ向かった。
次の当直で二人が扱う艦船一覧には、まだ人類の味方はいない。
シラはその空欄を、予定だけで埋めなかった。代わりに、照合用の資料をすぐ開ける場所へ置いた。




