第18話 置いていかない
六日目の当直を引き継ぐとき、シラは同じ欄を二度読んだ。
前進集結地点まで、あと半日。
月を出てから初めて、予定の端が見えた気がした。
「着いたら、港みたいに一度止まれると思ってた」
ラビが隣に座る。
「港はないよ。止まっても、見張りはある」
「知ってる。頭は分かってる。でも、到着って字を見ると、靴を脱ぎたくなる」
シラは足元を見た。
自分も、片方の踵を浮かせていた。
そのまま靴へ戻す間に、観測席から声が上がった。
「船団前方、右寄りに艦影。一隻。識別を照合します」
半日という数字が、たちまち遠くなった。
*
相手は黒い艦だった。
訓練用の印ではなく、照り返しのない船腹が拡大画面へ現れる。獣人側の呼びかけに返答はない。船首が五隻の進む先へ向いた。
ルクスレインが先頭。その後ろを補給船と工作船が進み、通常艦二隻が左右についている。
ガルドは二機を発進させ、各艦へ戦闘配置を命じた。
「補給船、これ以上の加速は可能ですか」
シラが尋ねると、返事はすぐ来た。
『長くは無理だ。今の積載だと、あとで止まれなくなる』
逃げる速さを上げればよい、と口に出す前に聞けた。
シラはその上限を航海班へ渡した。ルクスレインだけなら、もっと速く敵へ近づくことも、離れることもできる。その速さを五隻の速さにしてはいけない。
「今の速さを保ってください。工作船も、急な横移動はしないで」
『了解。こっちから離れるつもりはない』
工作船が答えた。
船を直す設備を積んだ、四角い腹の船だった。戦闘艦ではない。あの船を失えば、無事に終えた戦闘のあとで、帰れなくなる艦もある。
「敵、発射!」
光の粒が広がった。
〇一が迎え撃つ。残ったものへ右側の通常艦が射撃し、補給船のはるか前で破片になった。
シラは補給船の警告欄を見た。
変化なし。
だが、敵の印は正面へ来ず、五隻の右側を大回りし始めた。
「後ろへ行こうとしてる」
ラビが進路を重ねた。
こちらの中央には、迎撃する〇一とルクスレインがいる。その横を越えれば、重い補給船を狙える。
シラは敵へ向けて〇一を動かす線を、一瞬描いた。
線が長すぎた。
撃ちながら追わせれば温度も上がる。〇二まで引き出せば、残った工作船が遠くなる。
「母艦を、補給船と敵の間へ」
シラは航海班へ提案した。
そこには今、右側の通常艦がいる。動いてもらわなければ、入れない。
「右護衛、前寄りへ移れますか。補給船の右前方を、引き続き撃てる位置へ」
耳の先が欠けた艦長が返事をした。
『動ける。だが、そちらが先に来ると砲を向けられない』
シラの指が止まった。
訓練なら、ここで全体を止めてよかった。今は、弾が飛んでくる。
「先に護衛艦。〇一はその外側を守る。移動完了をもらうまで、母艦は今の場所を保ってください」
航海班が確認し、ガルドが命じた。
動く順番が一つずつ決まる。
ラビは〇一へ任務を送ると、通常艦の観測を別画面に出した。母艦からは近く見える二隻も、相手のカメラでは船腹の大きさがまるで違った。
『こちら、射線確保』
待っていた返事で、シラは次の経路を開いた。
ルクスレインが補給船の横へ動く。座席へ押す力の向きが変わった。
敵の黒い船腹と、補給船の間へ、母艦の印が入った。
*
敵はすぐに撃ち方を変えた。
粒の群れが上下へ割れ、母艦を避けていく。すべてを追って機体を散らせば、相手の望むとおりになる。
ラビは機体に別々の担当を送った。
〇一が上側。〇二は母艦の近くから下側を見る。真ん中へ残ったものを、ルクスレインと通常艦が受ける。
「工作船側は?」
シラが尋ねた。
「左護衛が見てる。映像、来てる」
ラビはそちらを閉じなかった。
攻撃は右から来る。それでも、反対側を見ている人の画面を残しておく。いま敵がいないことも、誰かが見て確かめた情報だった。
母艦の砲撃が、床を細かく震わせた。
その振動の合間に、補給船長の声が入る。
『速度維持。積み荷の固定、異常なし』
シラは返事をした。
同じ速さで進むことが、こんなに難しい日もある。
「〇一、温度上昇。交代までの余裕、減っています」
ラビの声が低くなった。
敵はまだ母艦を越えられていない。だから次の攻撃のために、船首をこちらへ戻そうとしていた。前部の覆いが開き、奥に並ぶ粒が見える。
兵装班が〇二からの射線を示した。
シラはその先まで見た。味方の船はない。〇二が位置を変えるときも、通常艦の砲の前を横切らない。
「通せます」
ガルドが射撃を許可した。
〇二がほんの少し上がり、短い光を放った。
敵の前部に白い点ができた。次の瞬間、開いた覆いが内側から飛び、並んでいた粒が船の外へ出る前に砕ける。
発射が止まった。
黒い艦が、腹をこちらへ見せた。
立て直そうとして噴射する。その船腹にも武器らしい部分があり、兵装班の照準が追った。
〇一の前には、もう迎撃する弾がなかった。
「〇二は冷却。〇一、敵側面を攻撃」
ガルドの声を聞き、ラビが指示を送った。
光が走った。
シラは船腹のどこへ当たったか見切れなかった。ただ、長かった一つの船が、途中から違う角度へ曲がった。
後ろ半分だけが噴射を続ける。
前の半分との間に、星が見えた。
「射撃停止」
ガルドが命じた。
誰かが喜びかけた声を、途中で飲み込んだ。
黒い船の間から、小さな部品がいくつも流れ出た。花の形にはならなかった。人を乗せた艇らしいものがまだ見えないことが、シラにはかえって苦しかった。
*
残骸の進路は五隻と交差しなかった。
シラは安全に通れると報告したあと、もう一度だけ壊れた船を見た。
ラビは通信を聞いている。救命艇らしいものが分離したか、観測班と映像を確かめていた。
「小型艇、確認できません。音声もなし」
いない、とは言わなかった。
シラにも人数は分からない。分からないまま、自分たちの射撃が届いた場所を見た。
ガルドは位置と記録を後方へ送り、破片に近づかず進むよう各艦へ指示した。動くかもしれない未知の兵器を、補給船や工作船へ調べさせることはできない。
シラは五隻の進路をそのまま残した。
「補給船、状態をお願いします」
『変わらず航行可能。余計な加速をせずに済んだ』
「工作船は」
『こちらも無事。故障艦を引く予定は、今のところない』
続く通常艦二隻の返事まで聞いて、ようやくシラは肩を下ろした。
五隻とも進める。
その事実は嬉しかった。敵の中にいた者のことを考えると嬉しくなくなる、という単純な順番でもなかった。二つが一緒に胸へ残った。
〇二を先に回収する。
〇一が外を守る間に通常艦が監視を引き継ぎ、こちらも戻ってきた。灰色の板は、どちらも四枚そろっていた。
シラは回収記録へ印を入れ、ラビと一緒に、交代の担当者へ経路を渡した。
「引っ張る練習、使わなかったね」
廊下へ出てから、ラビが言った。
「使わずに済んだ」
「うん。そっちか」
少し歩いて、シラはつけ足した。
「でも、空ける場所は分かった。習ってなかったら、またふさいでた」
ラビは返事の代わりに、自分の端末へさっきの通常艦の映像を保存した。
*
集結地点への到着は、予定より遅れた。
大きな看板も、船をつかむ腕もない。星の位置だけなら、途中の空とほとんど変わらなかった。
だが、交代のあと艦橋へ戻ると、工作船から観測機が放たれていた。補給船は航路を外した位置へ入り、通常艦二隻が外側へ開く。
「ここ、到着?」
ラビが尋ねた。
「まだ。次の船が来たとき、どこへ入れるか送ってる」
シラは工作船からの作業範囲を受け取り、補給船の待機位置と重ねた。整備する場所と荷を渡す場所を分ける。見張りをしている通常艦の前は空ける。
月の港でいつもしていた仕事に、少し似ていた。
違うのは、受け入れ先そのものを、自分たちが運んできたことだ。
『後続船用の進入範囲、受領』
補給船から返事が来た。
工作船も、観測機の接続を確認する。警戒を続ける二隻から、外側に敵影なしという報告がそろった。
シラはそこで初めて、到着の欄へ五隻の番号を入れた。
耳の先が欠けた艦長から、短い通信が入る。
『今日は撃てた。ありがとう』
シラはしばらくその文字を見ていた。
自分も礼を言おうと思っていた相手だった。
返信には、同じくらい短い文を選んだ。
「こちらこそ。次の船も、お願いします」
送信すると、ラビが靴の踵を踏みかけて、やめた。
当直の終わりまでは、まだ少しあった。




