第17話 守ったつもりの場所
『資料は読んだか』
画面に現れた犬の艦長は、挨拶より先にそう言った。
右耳の先が小さく欠けている。シラが見ているのに気づいたらしく、その耳が少し動いた。
「牽引用の接続点と、近づく向きは確認しました」
『それならいい。今日は、うちの船の前を空けておいてくれ』
「前、ですか」
『砲も、引くための道具も、まずそこから使う』
横でラビが二隻の通常艦の位置を確認した。
火星方面への準備が始まって二週間。ルクスレインはその間も輸送便を送り出し、戻ってきては整備を受けた。今日は月近くの訓練区域で、同じ部隊になる二隻と初めて長い時間を一緒に動く。
後ろには小さな曳船がいた。港で故障船を引くための船で、今日は重い補給船の代役をする。
「役を交換したくならないのかな」
ラビが小さく言った。
「引く方が、今日は引かれる方」
「道具を間違えないように言って」
「それは向こうの方が詳しいでしょ」
通信がつながると、曳船長は先に言った。
『遅い船は任せろ。急がせても速くならないからな』
シラは少し笑って、開始位置を送った。
*
攻撃は、画面の中だけに来た。
各艦の位置へ模擬の敵弾を重ね、砲の向きと照準の時間から、落とせたかどうかを計算する。ボイド二機も飛んではいるが、武器には発射しない設定が入っていた。
前方に敵。中央にルクスレイン。その後ろに補給船役の曳船がいて、通常艦は左右から守る。
それだけなら、シラにも見慣れた形だった。
『補給船役、主機故障。ここから加速不能』
曳船長の声が入った。
その印が遅くなったように見える。実際には曳船の速さは急に変わっていない。周りが加速したため、列の後ろへ残り始めたのだ。
「母艦を合わせます。〇一は曳船側へ」
シラは航海班へ位置を送り、ラビと担当を分けた。〇二が母艦を守り、〇一が曳船の前へ回る。
広がりすぎないよう、通常艦にも内側の位置を提案した。
返事が来て、艦の印が動く。
曳船が〇一の守れる範囲へ戻った。よかった、とシラが息をついたところで、その印が赤くなった。
『模擬被弾。補給船役、航行不能』
シラは画面を見直した。
〇一はそこにいた。撃ち漏らした弾もわずかで、通常艦の迎撃できる距離だった。
「どうして」
ラビがすでに別の窓を開いている。通常艦から送られてきた、砲の視点だった。
そこに映っていたのは敵弾ではなく、曳船の白い腹だった。
『射線に味方。撃てなかった』
耳の先が欠けた艦長の声だった。
シラが守りの中心へ寄せた船は、そのまま通常艦の前をふさいでいた。距離の円の中に入っていれば撃ってもらえると思い、砲が見る方向まで考えていなかった。
赤い表示が、消えずに残る。
自分の手で安全な場所を作ったつもりだった。赤い場所へ、人を集めていた。
*
訓練はいったん止まり、船は安全な間隔へ開いた。
艦橋の正面に、さっきの映像が出る。ガルドはシラへ言い訳を求めず、何を確認したかだけ尋ねた。
「〇一の迎撃範囲です。曳船が外れないように」
「通常艦の方は」
「移動前の位置でしか、確かめていませんでした」
ラビが隣で姿勢を直した。
「私も、〇一へ敵弾が入る角度ばかり見ていました。通常艦の射撃開始の表示がつかないのに、通信の遅れだと思った」
通常艦の担当者も、動き始める前に射線変更を報告すべきだったと続けた。
誰か一人を責めれば済む会議ではなかった。その方がシラには苦しかった。申し訳ありませんと言えば、次の話へ進めると思っていたのだ。
耳の先が欠けた艦長が、曳船を中心に図を開く。
『次は、どう動かす』
「ボイドの位置を左右に分けて……」
『そのあとだ。ボイドが働いている間に、あの船はどうやって帰る』
シラは口を閉じた。
守れば帰れる、と思っていた。曳船はそれ以上速くなれない。守っている時間が長くなるだけで、月へ退く列には追いつかない。
「引いてもらう」
シラが言うと、艦長はうなずいた。
『そのための資料を送った。うちが引けば、砲を使いにくくなる。もう一隻を自由にしてくれ』
図の中で、艦長の船が曳船へ近づいた。
索を渡す位置は限られている。接続した二隻が噴射するとき、その後ろに別の船がいてはいけない。守りの円を描くだけでは、決まらない場所ばかりだった。
シラは前の案を消し、新しい配置を作った。
「曳船は今の向きを変えない。母艦の方が少し外へ出ます。空いた側から接続して、反対側をもう一隻にお願いします」
『こちらの砲は、そこなら使える』
もう一隻の担当者が答えた。
ラビが観測窓を分ける。敵の画面の横へ、接続側の作業映像も並んだ。
「今度は、牽引を始めていいって返事まで待つ。道具があるのと、使えるのは別だもんね」
シラはうなずいた。
艦長は資料を読んだかと聞いた。シラは読んでいた。だが、自分の計画の中に、その仕事をする相手の時間を置いていなかった。
*
二回目の訓練でも、曳船は同じ場所で遅れた。
シラの手が反射的に〇一を呼ぼうとし、途中で止まる。
先に、近づく艦の道を空ける。
ラビが〇一を接続作業の外側へ回し、〇二は母艦から離れすぎない位置を保った。母艦が動く。その向こうに、別の通常艦の砲が見えた。
遮る白い腹は、今度はない。
『索を渡す』
艦長の船から小さな無人機が出た。細い線を引き、曳船の接続点へ向かう。
模擬の敵弾はその間も来た。〇一の計算上の温度が上がる。シラは予定の残り時間を見て、曳船の図を見る。
接続の表示がついた。
「引けますか」
『待て。張りをそろえる』
返事に、シラは口を結んだ。
つないだ索は、まだ緩く曲がっていた。ここで一気に加速すれば、緩みが消えた瞬間に衝撃が来る。
待つ間に敵弾役が増えた。
「〇二へ交代。通常艦、外側の群れをお願いします」
ラビが自分から観測を分けた。どちらの機体も全部を見る必要はない。今、砲を向けられる相手へ、通すべき情報を選ぶ。
通常艦が模擬射撃を始める。〇一の冷却が始まった。
ようやく、索が真っすぐになった。
『張力、安定。引くぞ』
二隻の印が、同じ速さで動き始めた。
シラはその前へ、母艦の通り道を入れないようにした。守る船を中心に、動ける方が場所を変える。
模擬の粒が一つ、〇二の守る範囲を抜けた。
通常艦の砲が向く。画面の印が消える。
曳船の表示は緑のままだった。
『退避線、通過。全艦、訓練終了』
ラビの椅子が、背もたれへぶつかった。
「本物の索って、見てる方も肩が痛くなる」
「力、入れすぎ」
「シラの手も、机つかんでる」
シラは指を離した。
親指の付け根が、確かに少し痛かった。
*
午後の反省会で、シラは最初に失敗した図を残すよう頼んだ。
成功した二回目だけを渡せば、なぜ位置を変えたかが隠れてしまう。
通常艦の担当者は、砲の視点もつけて送ると答えた。
『こちらから見えるものを先に渡せば、お互い話が早かった』
耳の先が欠けた艦長が言った。
「私も、聞けばよかったです。届くかしか聞いてませんでした」
『届いても、味方ごと撃つわけにはいかんからな』
シラはうなずいた。
艦長は次の訓練候補をいくつか出した。ボイド一機が点検中の場合。母艦が観測を失った場合。どれも、今日のように画面の中で失敗できるうちに試せる。
「全部、やります」
勢いよく答えると、ラビが横から端末を寄せた。
「全部、今日ではありません」
当直と休息で埋まった予定が見えた。
相手の艦長が笑った。
『よく言ってくれる相方だ。うちの予定も確認してから送る』
シラはラビを見て、頭を下げるふりをした。
ラビは満足そうに端末を戻した。
*
翌日の出発は、訓練より静かだった。
ボイドは二機とも格納区画にいる。黄色い通常機二機も固定台の上だ。曳船は港へ戻り、今度は本物の補給船が列へ入った。
ルクスレイン、通常艦二隻、補給船一隻、工作船一隻。五隻で月を離れる。
最初の目的地は、火星までの途中に設ける集結場所だった。先へ進む船が、月まで戻らずに補給を受けられる足場を作る。そこにも港はない。自分たちの船を持っていくことで、初めて使える場所になる。
『補給船、現在の速度で追従可能』
シラは受領を返した。
表示を最大にすると、船体に荷室の継ぎ目が見えた。昨日、赤くなったのは計算上の曳船だ。今日、後ろにいる船の腹には、五隻を帰すための燃料がある。
「シラ。護衛から、今の射線」
ラビが三本の細い帯を送ってきた。
シラは進路へ重ねた。どの帯の中にも、補給船を置いていない。
前方を向き直ったとき、月はもう画面の端へ寄っていた。




