第15話 最後の一基
展開船の腹から出てきた箱を見て、ラビは首を傾けた。
「図だと、もっと立派だった」
「横に船があるから小さく見えるだけ」
「私、展開図で見ちゃったんだ。畳むとあれなのか」
箱から細い通信腕が伸び始めた。箱だと思った部分の何枚かは、姿勢を保つための機材を隠した覆いだった。
新しい中継網の一基目。第七中継所の残骸から離れた場所で、小さな噴射を繰り返しながら月の方を向いている。
シラの端末に、接続の表示がついた。
『試験信号、受信。月側、異常なし』
ラビは同じ問いをもう一度送り、今度は時刻を変えてもらった。昔の返事が回ってきたのではないと確かめてから、声を上げる。
「一基目、使えます」
展開船が空いた保持腕を引き込んだ。ルクスレインはその後ろ、警備艦二隻は両側に離れている。〇一だけが外に出て、船団より先を見張っていた。
ガルドが二基目への移動を許可した。
*
シラは荷室から送られてくる映像を、いつもより大きくしていた。
二基目の箱は一基目と同じ形だ。ただ、保持腕が片方ずつ開く間、箱の端が船体から長く突き出る。その状態で急に向きを変えれば、積み荷に船がぶつかる。
「右側に艦影」
警備艦から連絡が入ったのは、ちょうど箱の半分が外へ出たところだった。
母艦の進行方向を上にした図で、右前方に黒い印がつく。続いて届いた映像には、こちらへ船首を向ける細長い艦があった。
「展開船。中へ戻すまで、どれくらいですか」
『戻すなら、腕をもう一度閉じる。放せばすぐだ』
シラは昨日作った、積んだまま帰る線を開いた。
間に合わない。使う用意をしていても、今の船はさらに途中の形だった。
「艦長、二基目を放してから退避させたいです。設置確認は移動しながらできます」
「そうしろ。作業員は全員、船内にいるな」
『いる。最後の腕を開く』
箱が離れた。
船が先へ進み、取り残された中継器がゆっくり回る。通信腕はまだ開いていない。シラはその周りを通行禁止にし、展開船へ月寄りの経路を送った。
「一基目の方へ退いてください。二基目には近づかないで。警備二隻も同じ側へ」
『承知。最後の箱は、ちゃんと積んでる』
展開船の船尾が光った。
ラビが〇二の準備完了を読み上げると、ガルドは発進を命じた。初めての実戦だという感慨を持つ暇はなかった。〇二は母艦の近くへ出て、四枚の板を開いた。
敵から放たれた粒が、展開船の方へ曲がった。
〇一の光が、先頭からそれを消していく。取りこぼされた一つへ警備艦の砲が向き、箱と船の間で小さな破片になった。
艦橋に届いたのは、無事だという展開船長の声だった。
シラはまず、それへ返事をした。
*
〇二が撃ったのは、敵艦がさらに外へ回ろうとしたときだった。
〇一を避けて大回りすれば、展開船を横から見られる。だが、その角度では、母艦のそばに残った〇二から敵の前部が見えた。
兵装班の指定した小さな突出部に、短い射撃が当たる。
敵が船首を振り、破片を引いて下がった。
「〇二、射撃停止。所定の位置へ」
ラビはすぐ戻した。敵が離れた分を、そのまま追わせなかった。
シラは息をついた。しかし、その息が終わる前に、遠い側の観測画面が開いた。
もう一隻。
先ほどまで黒い艦の陰に隠れていた船が、上方へ離れてくる。傷ついた一隻と、無傷の一隻が、別の角度からこちらを見ていた。
「展開船を、もっと月側へ寄せる?」
シラが小声で言うと、ラビは首を振った。
「二基目の受信器、まだ安定してない。直接の通信も細くなるよ」
逃がせば、その船への声が届きにくくなる。
新しい中継器を置く仕事の途中で、置き終わる前の中継器を当てにするところだった。
シラはルクスレインの位置を確かめた。
展開船は左後ろ。二基目はその内側。敵二隻は右前方。味方だけが下がり続ければ、途中に残した箱と、まだ積んでいる箱の両方を諦めることになる。
それでも、人を戻せるなら戻すべきだ。
「ラビ。三基目がなくても、どこまで動かせる?」
「月寄りの船にはつながる。でも外側の区間は空白のまま。あっちの待機便は、まだ出せない」
声に迷いはあった。だから続けるべきだとは、ラビも言わなかった。
〇一の温度が上がる。撃ってくる粒の列は、二方向になった。
ガルドが兵装班へ向き直った。
「受け続ける時間と、離脱する時間を出せ」
届けられた数値のどちらも、シラの思ったほど長くなかった。
「機体だけで受けるのをやめたいです」
シラは新しい線を描いた。ルクスレインを敵へ斜めに寄せる。展開船を追う角度へ、母艦が先に入る。
「ここまでなら、後ろの三隻から離れすぎません。〇一を冷やす間、〇二と本艦で正面を。横を抜けたものは、警備艦にお願いします」
警備艦へ案を送った。
返事を待つ間、シラの目は距離の数字を何度も往復した。近づけば敵も撃ちやすくなる。自分が細い線を引いた場所へ、何人も乗った母艦を出そうとしている。
『展開船側の迎撃は受ける。ただし、こちらの前へ箱を入れるな』
警備艦長の返事だった。
シラは放出した中継器の移動を重ね、母艦の線を少しずらした。
〇二の短時間射撃は可能。航海班も、この範囲なら進退できると答えた。
「採用。交代を済ませてから前進する」
ガルドの声に、ラビが機体の担当を変えた。
〇二が正面へ入り、母艦の砲がその両側を向く。受け持ちの確認がついてから、〇一が後ろへ滑った。
シラの背へ、加速の重さがかかった。
*
二基目の中継器が、ようやく回転を収めた。
ラビは通信班へ確認を任せ、自分は敵の発射位置を追い続けた。提案した網が気になるからといって、今、二機の画面から目を離すわけにはいかない。
〇二が撃つ。母艦の床が震える。展開船へ向かう一発に、二隻の警備艦から光が集まる。
船長の声が短く届いた。
『今の、落ちた。こっちは進める』
シラは返事をしながら、〇一の温度を見る。下がっている。ただし、長く撃ち続けられるほどではない。
敵のうち、先に損傷した艦が発射口を開いた。
角度が変わったため、さっきまで板の陰にあった隙間が見える。兵装班の印が、その奥を囲んだ。
「〇一、指定箇所へ。射撃後は帰還側へ」
ガルドが命じた。
〇一は守りの列から少し外へ出た。〇二と母艦は、その場所を空けない。
短い光が、開いた隙間を通った。
黒い船腹の一角がはじけ、次の粒が外へ出る前に白く砕けた。敵艦が傾きながら遠ざかる。
もう一隻がそちらへ寄り、こちらへ向ける面を増やした。
「損傷した方を、隠してる」
ラビが言った。
そのまま二隻が離れ始める。敵も、動きにくくなった船を置いていかなかった。
シラは追跡線を開かなかった。敵との間が広がったのを確かめ、三隻へ母艦に合わせて戻る経路を送る。
最後の迎撃が終わるまで、ラビは〇二を動かさなかった。
「新たな発射なし」
観測班が告げた。
〇一が戻る。〇二はその帰路を避け、母艦側へ向きを変えた。
*
格納口へ近づく途中で、〇二だけが船腹から少し離れた。
遠回りだ、とシラは思った。
外装に並ぶ点検窓の前を避け、許された範囲の外縁を通ってくる。障害物は映っていない。〇一が先に通った道も、空いていた。
「進路、戻す?」
ラビが尋ねた。
「入口の前まで、そのまま。危なくないなら、急に変えたくない」
停止を命じると、〇二は止まった。保持具の準備ができ、次の案内を送ると、素直に格納口へ入る。
何だったのだろう。
シラは映像を保存した。誰かの判断のように見えても、そんな見方をしたのは自分だ。機体が何を見たかは、記録を調べなければ分からない。
「〇二、固定完了。〇一も異常なし」
整備班の報告で、二機の印が待機に変わった。
ラビがようやく通信班の方を向く。
「二基目は?」
「つながった。姿勢も維持できてる」
ラビは長く息を吐いた。
「……最後まで、ただの箱で終わるかと思った」
*
三基目へ向かったのは、敵の離脱を警備艦が確認し、機体の点検と冷却を済ませてからだった。
途中で二人の当直は交代になった。シラは自分で最後まで見届けたいと言いかけ、展開船の退避条件と、中継器の動く範囲を次の担当へ渡した。
休憩から戻ると、作業はまだ続いていた。自分たちが離れた間にも、予定は消えていなかった。
『最後の荷物、放すぞ』
展開船長の声がした。
〇一が外側を見張る中、三つ目の通信腕が開いた。〇二は格納区画にいる。
ラビは通信班と並んで、最初の接続を確認した。
「切り替え試験のため、一基目の通信を止めます。残る二基へ回線、切り替え」
自分で作った図の線を、実際の空で一本消す。
シラの画面から、展開船の映像が落ちた。
声も一瞬、途切れた。
ラビの手が止まりそうになって、設定した待ち時間を示す欄へ移る。
その欄が空になる前に、別の受信灯がついた。
『こちら展開船。声は届くか。こっちからは、そちらの耳が見えなくなった』
「見せる分の余裕を、今は声に回してます」
『それならいい。荷室は空だ。帰る誘導を頼む』
シラは月へ続く線を開いた。
ラビの提案が、図の上ではなく、その返事の中で働いている。シラは横を見る。ラビは笑わず、受信の記録を確かめていた。下ろしていた片耳だけが、ゆっくり起きた。
月側管制が、止まっていた輸送便の出発調整を始める。
誰かの到着予定が、これからまた書き込まれる。
シラは空荷の展開船へ、今度こそ用意してあった帰り道を渡した。




