第11話 帰ってきたのに
十二人を乗せた避難艇は、もう自分で飛べる状態になっていた。
外にいる二人が離れるのを待っている。
トウカは工具を収め、艇の取っ手をつかみ直した。同行の整備員が船首へ移り、その後ろを続く。二人の行く先には、入口を開けた救難艇がいた。
シラは全景と、救難艇から送られてくる映像を並べた。
切った支柱は進路の反対側へ留まっている。さっき横切った板も、もう遠い。残る通信腕は二人の上方へ長く張り出していたが、行く手をふさいではいなかった。
「外の二名、船首側へ移動中。避難艇、そのまま待機」
報告すると、艇長は短く了解した。
急いで飛び出そうとはしなかった。
観測席から警告が上がった。
「施設上方に敵艦。一隻、接近!」
シラは顔を上げた。
正面画面の上側へ、黒い輪郭が入ってくる。まだ遠いと思う間もなく、映像が拡大された。施設の外側にいた〇一より高い位置だった。
「〇一を上へ。二隻の艇を守れ。全員、作業をやめて帰還」
ガルドの声が通った。
ラビは〇一の任務を変え、艇の位置を更新する。
「先輩、敵です。救難艇へ」
『了解。渡る』
トウカの返事は短かった。
作業場所を振り返らず、最後の綱を外す。先に出た整備員と、二つの白い作業服が艇から離れた。
背中で小さな噴射が光る。
「避難艇、発進してください。船首の向き、そのまま」
シラが伝えた。
十二人を乗せた艇が、職員棟からゆっくり離れる。
外の二人は横にいる救難艇へ向かっていた。職員の艇を止めて待たせる必要はなかった。
敵の側面から、いくつもの点が散った。
点は二つに分かれた。一方は避難艇へ、もう一方は施設へ。
〇一が上へ走り、艇へ近づく弾に射撃を重ねた。
白い閃光が次々に開く。
シラは、そのたびに避難艇の位置を確かめた。十二人の印はまだ緑だった。
「艇側、迎撃。施設側に一発!」
ラビの声がした。
〇一が向きを変えたときには、一つの点が通信腕の根元へ届いていた。
外板の継ぎ目に光が走った。
光が曲がり、枝分かれする。板を留めていた部分が砕け、重なっていた金属が、ばらばらにほどけた。
あの長い腕が、動いた。
根元から折れた通信腕が回り、先端が救難艇の方へ下がってくる。その途中で、四角い板が外れた。腕より速く回りながら、二人のいる空間へ入った。
「救難艇側へ、加速!」
シラは叫んだ。
二つの作業服が噴射した。
先輩も、逃げようとしていた。
白い服の片方が、大きく横へ動いた。
板と重なった、その直後だった。
通信へ短い音が入り、切れた。
シラには、何が起きたか分かった。
分かったのに、見直そうとして画面を拡大した。
白いものが回っている。三毛の先輩は、白い作業服の中にいる。どちらが頭か、すぐに分からなかった。
「先輩」
声が出た。
「トウカ先輩、応答してください」
返事はなかった。
*
『一名、接触。回収する!』
同行の整備員が方向を変えた。
救難艇も、トウカが流れる先へ機首を向ける。
シラは画面の端に、細長い別の破片を見つけた。先へ行く二つの印と、重なりかけていた。
「右、違う、そっちの」
言葉がつながらなかった。
こちらの画面の右にいる先輩が、艇からも右にいるとは限らない。
「シラ。救難艇の窓に合わせる」
ラビが映像を中央へ移した。
操縦員が見ている景色だった。
先輩は右下。細い破片は、その手前を左から横切ろうとしている。
「正面を横切る破片を、先に通してください。そのあと右下です」
シラは一語ずつ言った。
声だけが別の人のもののように聞こえる。
『見えた。回り込む』
救難艇が横へずれた。
同行者はトウカの作業服へ補助の綱を留め、自分の噴射で回転を抑え始めた。二人の姿が、入口へ少しずつ近づく。
救護担当が身を乗り出した。
一人をつかみ、もう一人にも手を伸ばす。
『二名、収容。扉を閉める』
シラは椅子の縁をつかんだ。
中へ入れた。
あの空間から、戻せた。
『意識なし。呼吸を確認できない。加圧後、処置に入る』
その言葉を聞くまで、シラは収容の欄へ完了をつけようとしていた。
指が止まった。
艦の医療担当が回線へ入り、短い質問を重ねる。
作業服からの状態表示も、シラの画面に届いた。見たことのある数字なのに、何が戻ればいいのか分からなかった。
シラは医療の音声を大きくしようとした。
「私たちは、艇を戻す」
ラビが言った。
長い耳が、椅子の背へ伏せている。
「そこは医療の人に渡そう。先輩を診る場所まで、帰さないと」
シラはうなずいた。
一度では、指が動かなかった。ラビが目の前へ帰路を出す。自分で作ったはずの線を、読み直した。
「救難艇、母艦の受け入れ口を優先で空けます」
通信へ言うと、艇長から返事が来た。
まだ自分に答えを返す声がある。その相手へ、次を伝えなければならなかった。
*
施設は、後ろで崩れ続けていた。
〇一が残る弾を砕き、今度は救難艇の上方へ移る。空になった職員棟へ向かうものまで追えば、二隻から離れてしまう。
「施設へ向かった弾は追うな。避難艇と救難艇を本艦の防御範囲へ入れる」
ガルドが命じた。
シラは避難艇を少し月側へ寄せ、救難艇の進路を横へ並べた。
兵装班が迎撃を始める。椅子の下から振動が伝わった。
ラビが避難艇の位置を送った。
その手が、一度止まった。
「十二人、って、さっき確かめたよね」
シラは隣を見た。
ラビの目は画面にあるのに、何も読めていないようだった。
「確かめた。全員乗った。両方の扉も閉めた」
シラは確認済みの欄を見せた。
「いま、艇長にも聞く」
連絡すると、十二人全員いる、負傷者の状態も変わっていない、と返ってきた。
ラビはその声を聞き、止めていた更新を送った。
「ありがとう。続けられる」
それ以上は言わなかった。
シラも、それ以上を聞かなかった。
敵艦は施設の外側を進み、距離を開き始めた。
追わせれば、先輩に当たった板を飛ばした相手へ届くかもしれない。
シラの頭に、その考えが浮かんだ。
すぐ前を、救難艇が飛んでいた。
〇一の位置を変える案は出さなかった。
黄色い作業機も、ラビの指示で残骸から離れていた。もう一機は、初めから艦内にいる。
戻ってきた一機を母艦の外で待たせ、入口を救難艇へ空ける。十二人を乗せた避難艇は、その近くで待機してもらった。
救難艇の船首が、格納口へ入った。
シラは進入の速さを読み、艇長へ最後の修正を伝える。
早く、と言わなかった。ぶつけずに戻すための速さだった。
『固定。救難艇、収容完了』
シラは息を吐いた。
報告のあとに続くはずの声を、待っていた。
箱を受け取って。そこ、空けて。こっちにまだ人がいる。
先輩なら、何かすぐに用事を言う。
医療班が受け取ったという報告が来た。
トウカの声はなかった。
*
待っているあいだ、シラは三度、同じ時計を見た。
秒が進んでいる。止まっていない。
艦橋にはまだ仕事があり、避難艇へ状況を伝える声も、後続の救難隊と合流位置を相談する声も聞こえた。
シラは自分の欄へ返事を書き、宛先を確かめてから送った。
やることがあるあいだは、手を動かせた。
医療区画への呼び出しを、何度も開きかけた。
今、聞いたら、処置をする人の邪魔になるだろうか。聞かなければ、何か悪い連絡だけを待っていることにならないだろうか。
どちらを選んでも、椅子に座ったままなのが苦しかった。
ラビは、回収済みの救難艇の印を閉じなかった。
シラも閉じてと言わなかった。
医療区画からガルドへ連絡が入った。
艦長は聞き終えてから、二人の席へ来た。
その顔を見て、シラは先に立ち上がろうとした。何か頼まれるのだと思いたかった。
「トウカは、助からなかった」
艦長が言った。
「救難艇から処置を続け、艦内でも蘇生を試みた。心拍は戻らず、医師が死亡を確認した」
シラは、口を少し開いたまま聞いていた。
死亡という言葉だけが、ほかの言葉につながらなかった。
「戻って、医療へ」
「引き継いだ。そのあとも、できる処置を続けた」
ガルドの声は、変わらなかった。
同じことを聞けば、違う答えに変えてくれるような声ではなかった。
ラビの端末が、短く鳴った。
彼女は反射で画面へ触れ、押す場所が分からないように、そのまま手を置いた。
「交代を呼んである。引き継ぎは、こっちでまとめる。二人とも席を離れていい」
シラはうなずいたつもりだった。
椅子の縁をつかんだ指が、まだ離れない。一本ずつ開くと、手のひらに痛みが残った。
「戻ったのに」
声になったのは、それだけだった。
先輩を乗せた艇は、あの入口へ帰った。自分の目で見た。今も、その艇は艦内にある。
戻れば、誰かが次を引き受けてくれる。そうやって仕事をしてきた。
引き受けてもらっても、帰ってこないことがあった。
ラビが立ち、隣へ来た。
励まそうとはしなかった。シラも、ラビの顔を見て、大丈夫だとは言えなかった。
二人で艦橋の扉を抜けた。
廊下の床は、来るときと同じ硬さだった。
トウカが道具箱を閉めていた場所へ下りる階段の手前で、シラは一度、足を止めた。
そちらへ呼ぶ声は、もうしなかった。




