守りたいものは、何だ(前)
会議室を出た瞬間、空気が軽くなるはずだった。
けれど実際は逆で、背中の内側に、重たいものが貼りついたままだった。
“引いて刺す”。
わかりやすいオーダーだ、オーダー自体になにも問題はない。
しかし、いつもこの抽象的な中から答えを見つけ出すのに悩む、苦しむ。
(だけど――)
ここからは俺の戦いだ。誰にもできない、俺だけの領域。
任せられないんじゃない、議論が足りないんじゃない。
ゼロからイチを生み出すという行為に、助けは届かない。
真っ暗な中から、自分だけの“正解”を見つけ出す。
正解だと信じるためには、考え抜くしかない。
それが自信になって、自分にとっての正解を信じられる。
不器用かもしれないけど、これしかやり方を知らない。
(本当、不器用だよな)
客観的に見ると、自分でもそう思う。
だけど、ここを手を抜いたら終わる。
そして、そのツケを払うのは、俺じゃない。
ゲームの物語や、キャラクターたちだ。
◆
それからしばらくの時間が経った。
ひなたは自分のPCの前で、唸っていた。
――引いて刺す――
今回の物語でいうと、澪の記憶の一部を代償に力を得る。
そして、その力で敵を倒す。
物語としてはシンプル、かつ、わかりやすい。
だが、やり方を間違えれば……澪が死んでしまう。
キーボードに指を置いて、止まる。
「敵襲」「時間がない」「鍵片を使うしかない」
もう“言葉”としてはある。
でも、欲しいのはそんな表面的な言葉じゃない。
澪が、変わる瞬間だ。
“引く”。
何を、どれだけ。
それが澪を壊すのか、澪を立たせるのか。
(澪の一番いいところって、なんだ)
真面目、面倒見がいい、リーダー気質。
仲間の前では折れない。
自分を削ってでも守る。
――それは分かる、分かっている。
だが、なにが一番刺さっているのか、
それを言語化できていない自分が悔しい。
自分が生み出したキャラなのに、
俺は澪の“何”を知っているのだろうか。
そんな現実を、突きつけられているようだった。
ひなたは、画面の端にメモを打つ。
『澪の一番いいところを見せるために、何を引く?』
指が止まる。
“引く=ギミック発明”に逃げそうになる自分がいる。
思いつきで、都合よく、設定を増やして、変化したように見せる。
それは簡単だ、誰でもできる。
違う……今日の会議で欲しかったのは、それじゃない。
“引く=キャラの再構築”。
澪という人間を、もう一段、奥まで見に行くこと。
澪が澪であるために、“持っていちゃいけないもの”は何か。
澪が澪であるために、絶対に“持ってなきゃいけないもの”は何か。
その線引きが、見えない。
(……澪の芯は、どこにある)
会社のオーダーは明確だ。
五分で核、迷子にさせない、1.5周年で刺す。
全部、正しい。
正しいのに、書けない。
正しいだけの案なら、もう世の中に山ほどある。
ひなたは背もたれに深く沈んだ。
椅子が軋む音だけが、やけに大きい。
◆
「キャラを安売りした“面白い”は、後で全部、返ってくる」
……紡の声だ。
大学生の頃の、遠い記憶。
普段は軽いくせに、その時の言葉は妙に重く感じられた。
面白さを盾にして逃げない。
面白さのために、キャラの芯と向き合う。
作家っていうのは、そういう生き物だ。
(……あいつなら、どうする)
答えは出ない。
でも“逃げ方”だけは一つ消える。
ひなたは、もう一度モニターを見た。
指先が冷えているが、体の芯に何かが灯った気がした。
◆
「どう、進捗は……?」
声がして、肩が跳ねた。
如月さやが、紙コップを二つ持って立っていた。
「甘いもの、飲みたいでしょ?」
「……ありがとうございます」
如月は何も言わず、ひなたの隣の椅子に腰を下ろした。
「詰まってる?」
「……詰まってます」
ひなたは正直に言った。こういうときに強がっても、直ぐにバレる。
いや、もうバレているのだろう。
如月は、コップを机の上で軽く滑らせた。
「じゃあ、言語化しなさい。何が怖い?」
「……澪の芯を壊してしまわないか、それが怖いです」
ひなたは、如月の顔を見てそう告げる。
「壊れるか、嘘になるか。どっちかの気がして」
如月は頷いた。
「ねえ、柏木くん」
「はい」
「あなた“引く”ことだけを考えすぎてるんじゃない?」
「……え?」
如月の声は柔らかいのに、刺さる。
「澪の良さを見せるために、何を引いて、どう組み直すか。
そうじゃなくて、私は引くことを通じて、
この物語全体が持つ魅力を再定義したいと思っている」
「それは、彼女たちが“戦う意味”じゃないかしら」
ひなたの胸が、少しだけ軽くなる。
言葉が、まっすぐに刺さったからだ。
「澪って、何を守る人?」
「それは……世界です」
「じゃあ、もし澪が“守り方”を忘れたら?」
「……それでも、澪は前に進みます。
守るものたちの盾となるために」
「確かに、そうかもしれないわね」
如月は、そこで初めて小さく笑った。
「じゃあ、どうしたら澪は止まる?
世界を守る使命を追っているのは、澪だけじゃない」
「彼女だけの、守りたいものって何かしら?」
ひなたは、喉の奥が熱くなるのを感じた。
“引く”が、ようやく澪の話になった。
物語が、ようやく動き出した。
止まっていた歯車が、今度こそ噛み合う。
ひなたはパソコンへと向き直る。
「ふふっ、もう私がいなくても平気そうね」




