二周年
二周年イベント公開日の朝。
執務室には、普段より早い時間から人が集まっていた。
大規模更新。
新システム。
全ユーザーの選択結果で変化するイベント。
過去最大規模のボイスとイラスト。
三角は開発チームとの連絡画面を開き、乙部は緊急時の担当表を机へ貼る。
橋本は広告の配信状況を追い、南雲はCSへ入る問い合わせを分類する。
白石は完成したキービジュアルを見ていた。
「今さら、直したいところが見えます」
「公開日に言わないでください」
乙部が笑う。
「今日は、クリエイターに元ファイルを触らせない日だからね~」
緊張の中に、祭りの前の熱があった。
「公開、入ります!」
十一時。
更新が始まった。
◆
最初の一時間は、不具合対応に追われた。
選択肢が一部端末でずれる。
特定条件で、リラのボイスが再生されない。
イベント画面への導線が分かりにくい。
「台詞の改行崩れ、二件です」
南雲が報告する。
「意味が変わるものは?」
「ありません。次回修正で対応できます」
「了解」
感想を見るより先に、文章が正しく画面へ出ることを守る。
それも、シナリオ責任者の仕事だった。
午後一時。
大きな障害がないと確認され、執務室の空気が少し緩む。
「イベント参加率、初動で過去最高です」
橋本が言う。
「第一章のスキップ率も過去最低」
三角が続く。
「選択肢の二回目まで、想定より残ってます」
拍手が起こる。
まだ早い。
そう思いながら、ひなたも手を叩いた。
ユーザーが読んでいる。
自分たちが作った物語の中を、今、進んでいる。
◆
午後三時。
売上速報も、想定を上回った。
新規キャラクター。
限定衣装。
二周年記念パック。
前年度同日比、一・四倍。
「やっと息できた……」
三角が椅子へ身体を預ける。
「朝から呼吸してなかったの?」
乙部が笑う。
「してましたけど、生きてる感じはしなかったっす」
橋本はPV経由の復帰率を確認する。
「澪の台詞を使った短尺広告が、一番伸びています」
承認した台詞が、ユーザーを連れ戻している。
ひなたが違和感だけを理由に止めていたら、この結果はなかったかもしれない。
「柏木」
神谷が言う。
「お前の判断、正しかったな」
「まだ初日です」
「今日くらい、喜べ」
ひなたは数字を見る。
逃げずに、頷いた。
「はい」
公式生放送では、出演者が二周年イベントの第一章を実際に遊んだ。
最初の選択肢をリラに拒絶され、出演者が本気で戸惑う。
「え、選んだのに受け取ってくれないんだ」
コメント欄が流れる。
『最初はそうなんだよ』
『ここからが良い』
『後半まで読んで』
制作側が説明しなくても、既存ユーザーが新しいユーザーを物語の中へ案内している。
後半。
同じ選択肢がもう一度表示される。
今度は、リラ自身が選ぶ。
出演者が声を詰まらせる。
コメント欄が一斉に加速する。
『ここで同じ言葉なのがずるい』
『最初は届かなかったのに』
『自分が選ばせたんじゃなく、リラが選んだ』
三角が、配信画面を見ながら小さく拳を握った。
「ゲームとして伝わってる」
誰に聞かせるでもなく呟く。
ひなたは、その横顔を見る。
物語だけではない。
選択肢の仕様だけでもない。
二つが重なった時にしか生まれない感情が、画面の向こうで起きている。
自分がゲームシナリオを書く理由を、久しぶりに言葉ではなく見せられた気がした。
◆
夕方、SNSにゲーム画面が流れ始める。
『前に預けた剣、まだ返してもらってない』
『返さなくていい』
『持ったまま、生きて』
ユーザーがスクリーンショットを投稿する。
『一・五周年から遊んできて良かった』
『あの剣がここへ繋がると思わなかった』
『澪が“生きて”と言えるようになったことに泣いた』
『書いた人、ありがとう』
佐久間が、自分の担当場面への反応を見ていた。
『澪が助けを求めるまで、リラが勝手に手を出さなかったのが良い』
『握り返さず、指だけ触れるのがこの二人らしい』
『リラも澪も変わった』
佐久間の目が赤い。
「泣いてるのか」
「目が疲れただけです」
「分かりやすい嘘つくな」
「先輩も、嬉しいなら顔に出してください」
「出てる」
「怖い顔です」
ひなたは、佐久間の画面を見る。
「良かったな」
「はい」
「お前が書いた場面だ」
佐久間は、今度は迷わなかった。
「はい。僕が書きました」
その一言を言うために、佐久間は何年もひなたの隣で書いてきた。
ひなたは、自分の成功より嬉しいと思った。
社内インタビュー用の撮影も行われた。
広報担当が質問票を読む。
「二周年イベントで、一番気に入っている、ご自身が書いた台詞を教えてください」
ひなたの手が止まる。
候補から選び、直した台詞。
佐久間の原稿へ一言だけ加えた台詞。
最初から自分で書いた台詞。
「“自分が書いた”を、“制作で残した”に変えてもらえますか」
「個人インタビューなので、柏木さん自身の言葉が欲しいんです」
悪意はない。
読者も、責任者が何を考えたか知りたい。
「なら、“返事、いらない”です」
「PVの台詞ではないんですね」
「強い台詞から、最後に逃げるところまで含めて澪だからです」
「柏木さんが書いた?」
「最後に足しました」
厳密には、場面全体を一人で書いたわけではない。
「それでも、自分が書いた台詞ですか」
広報担当は、純粋に確認しただけだった。
ひなたは少し考える。
「はい」
初めて、迷いながらも言い切った。
「俺が書いて、チームが残した台詞です」
どちらか一つではない。
その答えを、今は自分のものとして持てた。
◆
夜。
会議室へ軽食を並べ、簡単な打ち上げが開かれた。
乙部が紙コップを掲げる。
「二周年、初動成功~!」
全員が乾杯する。
三角は、新システムが想定通り動いたことを何度も語る。
白石は、すでに投稿されたファンアートを見せる。
橋本は数字ではなく、広告と本編が違わなかったという感想を読んでいた。
「“PVで気になった台詞が、本編ではもっと良かった”って」
橋本が言う。
「一番欲しかった反応です」
神谷が全員の前に立つ。
「最終結果はこれからだ。ただ、現時点では過去最高の数字が出ている」
拍手。
「今回の制作フローも、今後の標準として展開する」
さらに大きな拍手が起きる。
AI候補。
評価。
制作側の監修。
成功した。
だから、この進め方も正しいと証明された。
「中心になった柏木、何か言え」
ひなたは、全員の顔を見る。
書いた人。
描いた人。
実装した人。
届けた人。
ユーザーの言葉を拾った人。
「俺一人では、一行も完成させられませんでした」
少し考え、続ける。
「誰かが触るたび、最初に考えたものとは違う形になった。それでも、今の形が一番良かったと思います」
ひなたは頭を下げる。
「ありがとうございました」
拍手が起きる。
今度は、自分もその中へ入れた気がした。
打ち上げが終わっても、佐久間は席へ戻らなかった。
会議室の隅で、ユーザーの感想を読み続けている。
「帰らないのか」
「もう少しだけ」
「明日も運用だぞ」
「分かってます」
佐久間は、一つの投稿を見せた。
『この場面を書いた人に、ずっと書いてほしい』
投稿者は、佐久間の名前を知らない。
クレジットにも、個人名は出ていない。
「僕だって、言いたいです」
「言うなよ」
「分かってます」
「でも、覚えておけ」
佐久間が顔を上げる。
「誰にも名前を知られなくても、その人はお前の文章を読んだ」
佐久間は、もう一度投稿を見る。
「はい」
短い返事だった。
それでも、日報の作成者欄よりも、今の言葉の方が深く残ったように見えた。
ひなた自身も、同じだった。
『書いた人、ありがとう』
誰へ向けられたか分からない言葉。
今日は、チーム全員と一緒に受け取ることができた。
◆
打ち上げの後、南雲の端末に通知が入った。
CSからの報告。
『不具合ではありません。個別確認をお願いします』
「どうしました」
南雲は、しばらく画面を見たまま答えなかった。
「澪についての意見です」
二年前のサービス開始日から遊んでいるユーザー。
澪の個別ストーリーをすべて読了している。
投稿には、二周年を面白かったと書いてある。
剣の台詞にも泣いたと書いてある。
その上で、最後に一文。
『あの剣の意味を、澪本人に説明させないでほしかったです』
『あの時、言えなかったから好きでした』
ひなたは、画面から目を離せなかった。




