先行上映
二周年イベントの先行PVが完成した。
社内試写は、プロモーション用の小さなシアタールームで行われる。
照明が落ちる。
失われた記憶が、光の破片となって街へ降る。
人々が、自分の名前を忘れて立ち止まる。
澪たちは、過去に選ばなかった鍵片と向き合う。
音楽が静かになる。
崩れ始めた記憶領域。
リラの身体から、言葉が抜けていく。
『私一人で済む』
澪が腕を掴む。
「前に預けた剣、まだ返してもらってない」
リラが剣を抱く。
「返さなくていい」
画面が暗転する。
「持ったまま、生きて」
タイトルロゴ。
上映が終わる。
照明が戻っても、数秒、誰も声を出さなかった。
「……良い」
神谷が最初に言う。
橋本が、ようやく息を吐いた。
◆
「最後のイベント画面、もう少し長くできます?」
三角が編集画面を指す。
「長くすると、台詞の余韻が落ちる」
橋本が即答する。
「遊びを見せるPVでしょう」
「遊びたいと思わせるために、今回は感情を先に出す」
「前と逆のこと言ってません?」
「作品ごとに、入口は違います」
以前なら、ひなたも橋本へ食ってかかった。
今は、橋本が〇・五秒単位で台詞の間を守ろうとしていることが分かる。
「独白に入る前を、〇・五秒短くします」
橋本が編集担当へ言う。
「戦闘の勢いが残りすぎると、決め台詞に見える。少しだけ呼吸を置く」
「〇・五秒で変わるんですか」
「変わります」
文章の前後に置く間。
ひなたが何度も守ろうとしてきたものを、橋本は映像の秒数で作っている。
「橋本さん」
「何ですか」
「成長しましたね」
橋本が一度、ひなたを見る。
「遅いですよ。言うのが」
少しだけ笑いが起きる。
試写後、橋本は編集室へ戻り、同じ十五秒を何度も再生した。
澪が剣を見る。
リラが抱える。
暗転。
台詞。
「まだ触るんですか」
乙部が覗く。
「音楽の立ち上がりが早い」
「もう十分良いと思うけど~」
「十分で出したら、後で俺が後悔します」
橋本は音楽を〇・三秒遅らせる。
今度は、台詞の前へ小さな空白が生まれた。
「柏木さんが、間を守れってうるさかった意味、少し分かりました」
ひなたは後ろから画面を見る。
「少しですか」
「全部分かったと言うと、次から責任を押し付けられるので」
「もう押し付けます」
「やめてください」
軽口を交わしながら、橋本の指は止まらない。
以前は、作品を短い言葉へ削ることが橋本の仕事だった。
今は、削った中に何を残すかを考えている。
人物の変化は、宣言ではなく、仕事の仕方へ出る。
ひなたは、その変化を澪にも許そうと思った。
◆
受容性テスト。
既存ユーザー。
離脱ユーザー。
作品未経験者。
視聴後のプレイ意欲は、過去最高を記録した。
『何の剣か知りたい』
『昔から遊んでいる人には、もっと意味がある台詞だと思う』
『“返さなくていい”が優しい』
『持ったまま生きて、が刺さった』
『二周年で戻ろうと思った』
橋本が数字を見たまま、しばらく何も言わなかった。
「喜ばないんですか」
南雲が尋ねる。
「集計ミスがないか確認してます」
「三回確認しました」
「なら……良かった」
橋本は椅子へ深く座った。
一・五周年の企画勝負で、制作班は入口で負けた。
今度は、澪の言葉がユーザーを連れてくる。
「柏木さん」
美堂が評価資料を示す。
「過去場面を知らない層にも、十分届いています。固有性と理解度を両立できた」
少しだけ、自信の混じった声だった。
二周年のフローは、美堂が全社展開を進めている成功事例でもある。
「はい」
ひなたは答えた。
今だけは、違和感を探さなかった。
数字が高い。
周囲も喜んでいる。
自分も、完成したPVを良いと思った。
成功を成功として受け取る。
それも、責任者の仕事だ。
テスト結果を受け、美堂は全社報告用の資料へ数字を追加した。
『AI候補と制作監修による、固有性・理解度の両立』
「もう成功事例にするんですか」
ひなたが尋ねる。
「現時点で成功しているためです」
「リリース前です」
「制作工程の結果は出ています」
美堂は淡々と答えたが、資料を閉じる手が少し速かった。
二周年の制作フローは、美堂にとっても勝負だった。
全社展開が決まれば、データ班の役割は大きくなる。
逆に失敗すれば、制作現場へ余計な工程を増やした責任を問われる。
「期待値を上げすぎると、何かあった時に苦しくなりますよ」
「柏木さんに言われたくありません」
「どういう意味ですか」
「制作班案を出した時、誰よりも勝てると言っていたでしょう」
美堂の口元が、ほんの少しだけ緩む。
数字だけを扱う人ではない。
自分の仕事が認められることを望んでいる。
「報告会、頑張ってください」
「柏木さんも登壇者です」
「聞いてません」
「今、伝えました」
ひなたは嫌な顔をした。
美堂は、今度ははっきり笑った。
二周年が成功すれば、ひなたの仕事だけではなく、美堂の仕事も証明される。
この時の二人は、同じ成功を望んでいた。
◆
翌日、声優を交えた本編の読み合わせが行われた。
澪役の声優は、該当場面を一度読んだ後、台本へ書き込みをした。
「“持ったまま、生きて”は、強くしない方がいいですよね」
「はい」
ひなたが答える。
「用意してきた決め台詞ではありません。剣を見て、出てしまった言葉です」
「最後の“返事、いらない”で、本人が逃げる」
「そうです」
二度目の読み合わせ。
「前に預けた剣、まだ返してもらってない」
リラが返す。
「……今、返す」
「返さなくていい」
一拍。
「持ったまま、生きて」
「それ、命令?」
「違う」
「お願い?」
短い呼吸。
「返事、いらない」
澪がいた。
文字だけを読んだ時の綺麗さに、声が小さな逃げ道を作る。
「今のでお願いします」
収録ディレクターが頷く。
白石の絵。
橋本の間。
声優の息。
文章は、他の仕事を受け取ることで、さらにキャラクターへ近づいた。
本編の読み合わせが終わった後、白石が完成に近いイベントCGを見せた。
澪は、リラの剣ではなく、その手元を見ている。
リラは泣かず、剣の柄を強く握っている。
「澪の目、少しだけ赤くできますか」
ひなたが尋ねる。
「泣いたように見えます」
「なら、やめます」
「寝不足くらいなら」
「それも、制作事情みたいだから駄目だ」
白石が笑う。
「顔色は変えません。指だけ、少し力を入れます」
澪の左手。
何も持っていない手が、服の裾をわずかに掴む。
台詞では逃げた。
身体には、失いたくない気持ちが残る。
「これでどうですか」
「お願いします」
文章で全部を背負わせない。
絵にしかできない仕事へ任せる。
任せた結果、台詞が弱くなるのではなく、さらに澪になる。
ひなたは完成画面を見て、初めて、この場面を早くユーザーへ見てほしいと思えた。
◆
最終PVは、社内公開から一時間で過去最高の再生数を記録した。
社内チャットには、
『鳥肌が立った』
『二周年が待ちきれない』
『澪推しじゃなくても気になる』
『剣の回収で泣いた』
と流れ続ける。
神谷が、ひなたの肩を叩く。
「入口で、勝ったな」
ひなたは大きな画面に映る澪を見る。
「はい」
試写室を出ると、佐久間が廊下の壁へ背を預けた。
「緊張しました」
「お前の場面はPVに入ってないだろ」
「イベント全部が、自分の原稿みたいに感じるんです」
「責任者みたいなこと言うな」
「少しは分かるようになったんで」
佐久間は、社内チャットに流れる感想を見た。
「先輩。あの台詞、使って良かったですね」
「ああ」
「素直ですね」
「成功した時まで疑ってたら、作った人間に失礼だ」
白石も、橋本も、声優も、あの台詞を良くするために時間を使った。
その仕事を受け取らず、自分の違和感だけを大切にすることは、キャラクターを守ることではない。
「公開日、楽しみですね」
佐久間が言う。
「怖い」
「僕もです」
二人は同じ画面を見る。
今はまだ、ユーザーの手に渡る前の完成品。
成功も、失敗も、ここから先で決まる。
それでも、作り手だけが持てる短い時間の中で、
ひなたは完成した二周年を好きだと思えた。
今度は、迷わず答えた。




