佐久間の文章
「次の場面、僕に任せてください」
朝の打ち合わせで、佐久間が言った。
二周年イベント中盤。
リラが初めて、自分から澪を助けようとする場面。
これまで澪は、何度もリラを守った。
今度は、その関係を反転させる。
ひなたが、自分で書くつもりだった場所だ。
「プロットまでは俺が作る」
「そこから任せてください」
「澪の感情線は難しい」
「分かっています」
「リラも、ここで急に強くしたら――」
「それも、ずっと隣で聞いてました」
佐久間の返事が少し強くなる。
如月が二人を見比べた。
「任せなさい」
「失敗したら?」
「佐久間くんが直す。できなければ、あなたが助ける」
如月は佐久間へ向く。
「ただし、先輩の顔色を見て書かないこと」
「はい」
「柏木も、最初から自分の答えへ直さない」
「……分かりました」
自分の手から、重要な場面が離れていく。
◆
佐久間はAIへ三つの構成候補を出させた。
一案目。
澪が敵に囚われ、リラが能力で救う。
二案目。
澪が記憶を失い、リラが思い出を語って戻す。
三案目。
リラが澪の代わりに傷を引き受ける。
「全部、違います」
「なら、なぜ出した」
「違う理由を見たかったので」
佐久間は候補を閉じた。
「どれも、“リラが澪を助ける場面”を作ることが先になってる」
「お前は?」
「澪に、助けを求めさせます」
「澪は簡単に頼らない」
「だから、頼むまでを書きます」
それ以上、佐久間は説明しなかった。
担当を任された日の午後、佐久間はほとんど喋らなくなった。
いつもなら候補を読みながら、良い悪いを口に出す。
今日はノートへ何かを書き続け、原稿画面を開いては閉じている。
「進んでるか」
「進んでます」
「何文字」
「八百です」
「遅いな」
「分かってます」
返事が硬い。
ひなたは画面を覗こうとして、やめた。
任せると決めた。
途中から自分が書けば、結局ひなたの場面になる。
夕方、如月が給湯室へ呼んだ。
「見に行かないの?」
「任せろと言ったのは先輩でしょう」
「締め切りまで放置しろとは言ってない」
「どっちなんですか」
「両方」
「便利ですね」
「便利じゃないから、あなたにやらせてるの」
如月は紙コップへコーヒーを注ぐ。
「任せるって、失敗する余地を残しながら、致命傷になる前に声を掛けることよ」
「一番面倒なやつじゃないですか」
「そうね」
ひなたは佐久間の席へ戻る。
「困ってるところは」
「ありません」
「なら、構成を説明しろ。進捗確認だ」
佐久間は不満そうにノートを開く。
澪が助けを求めるまでを長くすると、リラの活躍が遅い。
早く頼らせると、澪の変化が軽い。
リラが勝手に助ければ、成長前と同じになる。
「三つとも正しいです」
「一場面だけで全部解決しようとするな」
「答えを言わない約束では?」
「方向を変えろと言っただけだ」
佐久間は少し考え、戦闘前の欄へ新しい場面を書き込んだ。
澪が一人で記憶領域へ入ろうとする。
リラが止めない。
ただ、「戻ってくる?」と尋ねる。
戦闘の前から、澪が一人で抱え込む癖を置く。
「これなら」
佐久間が呟く。
「俺に聞くな」
「聞いてません」
少しだけ、いつもの佐久間へ戻った。
ひなたは席を離れる。
答えを与えなかったつもりでも、考える方向は渡した。
どこまでが指導で、どこからが共同執筆なのか。
その境界もまた、履歴だけでは分からなかった。
◆
翌日、初稿が上がる。
記憶領域の中で、澪は過去の自分と戦っている。
仲間を守れなかった自分。
誰にも頼らず、正しい選択をしたと思い込もうとする自分。
リラが助けようとする。
「来ないで」
澪が拒む。
「これは、私の記憶だから」
リラは武器を下ろす。
「分かった」
澪は一人で戦う。
勝てない。
だが、リラは勝手に手を出さない。
「本当に、一人でやりたい?」
「……そう言ったでしょう」
「一人でやれるかじゃない」
リラは、以前澪から向けられた問いを返す。
「あなたが、どうしたいかを聞いてる」
敵が迫る。
澪の剣が床へ落ちる。
「……リラ」
「うん」
「手、貸して」
リラは、その言葉を待っていた。
二人で敵へ向かう。
助けるのはリラだ。
だが、変化したのは澪でもある。
「どうですか」
佐久間が尋ねる。
「澪の“手、貸して”が早い」
ひなたは答えた。
「もう一度、一人で立とうとさせろ。剣を拾って、失敗してからだ」
「はい」
「リラの台詞も、一つ説明が多い」
「はい」
ひなたは、さらに目線や歩数の修正を書こうとする。
「先輩」
佐久間の手が止まった。
「どこまで直すんですか」
「良くなるまでだ」
「先輩の原稿になるまでじゃなくて?」
ひなたは顔を上げる。
「修正が必要なのは分かります。でも、目線も、間も、最後の反応も全部、先輩の答えにしたら」
佐久間の声が震える。
「僕は、いつまで経っても“つなぎを書く人”のままです」
「作品を練習台にするな」
「先輩だって、この作品で失敗しながら書いてきたでしょう」
言い返せなかった。
自分も最初から、澪を正しく書けたわけではない。
「大きな修正だけ残す」
ひなたはコメントを消す。
「細部は、お前が決めろ」
◆
完成稿では、戦闘後の会話はほとんどなかった。
澪が落とした剣を拾う。
リラへ渡しかけ、途中で止める。
「もう、持てる?」
リラは、剣ではなく澪の手を取る。
「今は、こっち」
澪は驚く。
そして、握り返す。
ひなたなら、書かなかった。
澪が素直すぎる。
そう思いながらも、修正せず評価へ出した。
結果は、条件付き承認。
関係性の変化は高評価。
一方、長期ユーザー想定の二名が、
『澪が握り返すのは、少し早い』
『良い場面だが、急に恋愛的に見える』
と指摘した。
「直しますか」
南雲が尋ねる。
ひなたは、佐久間を見る。
ここで自分の答えを言えば、また同じになる。
「お前が決めろ」
佐久間は、原稿を持ち帰った。
◆
翌朝。
佐久間が出した修正稿では、澪は手を握り返さなかった。
ただ、振りほどきもしない。
リラが不安になり、少し力を緩める。
その時だけ、澪の指が一度、リラの手の甲へ触れる。
握るのではない。
そこにいると返事をするだけ。
「握り返すのを、消したのか」
「はい」
「評価に言われたから?」
「違います」
佐久間は言った。
「僕は、二人の距離が縮まったことを見せたかった。でも、握り返さなくても伝わる方法が見つかったからです」
修正前の評価を見た佐久間は、すぐに原稿を直さなかった。
「迷ってるのか」
ひなたが尋ねる。
「握り返す方が、場面としては好きです」
「なら残せ」
「でも、澪が今それをする理由を、僕は“成長したから”としか説明できない」
佐久間は変更履歴を開く。
「先輩に言われたから変えるのは嫌です。評価が低いから変えるのも嫌です」
「面倒だな」
「先輩に言われたくありません」
佐久間は、過去の澪の場面を読み直した。
誰かに手を差し出された時、澪は握らない。
代わりに、袖の端を掴む。
肩を借りず、歩く速度だけ合わせる。
触れたくないのではない。
自分から相手へ重さを預けることができない。
「握らないまま、返事をさせます」
佐久間は言った。
「どうやって」
「今、考えます」
その夜、佐久間は自分で答えを出した。
指が一度触れる。
ひなたの案ではない。
評価シートの案でもない。
佐久間が澪を読み直し、選んだ答えだった。
再提出。
総合判定――承認。
『澪が手を引かなかったことに、今までの変化を感じた』
『触れるだけなのが、この二人らしい』
佐久間は評価を読み終え、原稿ファイルの作成者欄を見た。
『佐久間真白』
「先輩」
「何だ」
「この場面、僕が書いたって言っていいんですよね?」
構成の起点は佐久間。
ひなたも修正した。
評価を受け、最後の答えを選んだのは佐久間だ。
「お前が書いた」
ひなたは答えた。
「胸を張れ」
佐久間が笑う。
自分の場所を渡したのではない。
新しい書き手の場所が、隣に生まれた。
そう思えるまでには、まだ少し時間が必要だった。




