書かないシナリオライター
二周年イベントの本制作が始まってから、ひなたの一日は、原稿を書く前に終わるようになった。
朝九時半。
前日に生成された候補を確認する。
十時。
佐久間と若手ライターが選んだ案へ、採否と理由を返す。
十一時。
データ班と評価項目を調整する。
十三時。
白石たちアート班へ、表情と感情の意図を説明する。
十五時。
三角から上がったゲーム仕様と、シナリオ上の選択肢を照合する。
十七時。
橋本が作ったPV構成から、見せてはいけない情報を外す。
その間にも、チャットの通知は増え続けた。
『この台詞、澪の口調として問題ありませんか』
『過去イベントとの矛盾確認をお願いします』
『候補AとC、どちらを優先しますか』
『本日中に承認が必要です』
ひなたは、一つずつ返す。
澪は、この時点では自分の過去を語らない。
リラは、まだ「仲間」という言葉を自分から使えない。
このキャラクターは謝るより先に、相手の怪我を確認する。
候補Cは強いが、二章後の成長を先に消費している。
返信をするたび、誰かの仕事が動き出す。
白石が表情を描き直す。
三角が仕様書を更新する。
南雲がファイルを次のフォルダへ移す。
自分が書かなくても、物語は進んでいく。
午前中、若手ライターの相原から原稿が届いた。
担当は、記憶を失いかけた住民たちの避難シーン。
登場人物は三人。
いつも明るい少女。
規律を重んじる兵士。
人付き合いが苦手な研究者。
原稿の中で、三人は同じように震え、同じように「怖い」と言い、それでも同じように前を向いていた。
ひなたはコメント欄へ入力する。
『三人とも、感情の出方が同じです』
続けて、具体例を書きかける。
少女は、怖いほど冗談が増える。
兵士は、決められた避難手順を何度も確認する。
研究者は、自分の恐怖を語らず、他人の症状ばかり観察する。
そこまで書けば、相原は直しやすい。
だが、ひなたの答えを置けば、相原はその中から選ぶことになる。
AI候補を最初に見た時、自分が感じた怖さと同じだった。
ひなたは例文を消し、問いへ変えた。
『この人物は、恐怖を隠すために何をする人ですか』
十分後、相原が席へ来た。
「すみません。コメントの意味は分かるんですけど、答えが分からなくて」
「分からないなら、設定資料を読んで」
「読みました」
「過去シナリオは?」
「関連場面だけ」
「全部読めとは言わない。ただ、この人が失敗した時にどう誤魔化したかは見て」
相原は頷きかけ、少し迷った。
「柏木さんなら、どうしますか」
答えを求められている。
以前なら、すぐ自分の案を出した。
「俺の答えを聞く前に、一案書いて」
「間違っていても?」
「間違っているかを決めるために、まず出す」
相原は自席へ戻った。
効率だけを考えれば、ひなたが三人分を書き直した方が早い。
だが、それでは、ひなたが書かないと成立しないチームが残る。
自分で書く時間を失いながら、
他人が書けるようになるための時間を使っている。
それが成長なのか、遠回りなのかは、まだ分からなかった。
◆
「先輩。リラと澪の会話、できました」
佐久間が原稿を持ってきた。
二周年イベント第一章。
世界中の記憶が混線し、リラが澪の過去を断片的に見てしまう場面だ。
「候補は使ったのか」
「構成案を三つ出してもらいました。でも、全部捨てました」
「理由は?」
「どれも、過去を知って二人の距離が縮まる話だったからです」
佐久間は原稿を開く。
リラは、澪が過去に仲間を守れなかった記憶を見る。
澪は、そのことを知らない。
食堂。
いつも澪の隣へ座っていたリラが、一つ離れた席を選ぶ。
「そこ、空いてるけど」
「……こっちでいい」
「そう」
澪は理由を聞かない。
短い会話だった。
だが、二人の間へ初めて置かれた空席が、言葉よりも大きく見える。
後半。
戦闘で澪が傷つく。
離れた場所にいたリラが、反射的に名前を呼ぶ。
「澪!」
澪は振り返る。
「聞こえてる」
それだけ言う。
リラは、まだ隣へ戻れない。
それでも、一歩だけ近づく。
ひなたは最後まで読み、原稿を閉じた。
「良い」
「本当に?」
「修正は細かいところだけだ。大きくは触らない」
佐久間の顔が、わずかに緩む。
「先輩、澪の重要シーンは自分で直すと思ってました」
「お前が書いた方が良いなら、直す必要はない」
言葉にした瞬間、胸の奥がわずかに痛んだ。
佐久間の原稿が良い。
その事実は嬉しい。
自分がいなくても、この場面は生まれた。
その事実も、受け入れなければならない。
◆
午後のレビューで、佐久間の原稿は初回承認された。
キャラクター整合性。
場面理解。
関係性の変化。
後半への期待。
すべて基準を超えている。
「佐久間さん、おめでとうございます」
南雲が言う。
「ありがとうございます」
佐久間は、以前のようにひなたの顔を確認しなかった。
自分の原稿として、結果を受け取っている。
美堂は、AI候補を不採用にした理由へ目を止めた。
「“知ることは、必ずしも親密さにならない”。この判断は次回条件へ反映できます」
「反映すると、似た案ばかり出ませんか」
佐久間が尋ねる。
「傾向は寄ります」
「なら、僕の判断を正解として学習させるんじゃなく、今回そう判断した理由だけ残してください」
美堂は、わずかに間を置いた。
「分かりました」
以前なら、ひなたが言っていたことだった。
今は佐久間が、自分の判断を自分で守っている。
◆
夕方、相原の修正稿が戻ってきた。
明るい少女は、避難中も軽口を叩き続ける。
兵士は、自分の名前を忘れかけても、住民の人数だけは数え続ける。
研究者は、他人の記憶障害を記録しながら、自分の筆跡が読めなくなっていることを隠す。
まだ説明が多い。
場面の運びも遅い。
それでも、三人の恐怖は違う形になっていた。
『方向性は合っています。次は台詞で説明せず、行動を一つ減らしてください』
ひなたは返した。
相原から、すぐに返信が来る。
『ありがとうございます。最初の原稿より、自分で書いた感じがします』
自分で書いた感じ。
その感覚を守るために、ひなたは自分の一時間を使った。
後悔はない。
ただ、満足とも少し違った。
二十時。
予定表には一時間だけ、『執筆時間』と入っていた。
如月が、会議を入れないよう調整してくれたらしい。
ひなたは新規ファイルを開く。
候補一覧でも、評価シートでもない。
白い画面。
何を書きたい。
二周年の担当は、すでに割り振られている。
責任者が横から場面を増やせば、構成も工程も崩れる。
なら、採用されない短い場面でもいい。
リラが澪の部屋を訪ねる。
用事はない。
話したいこともない。
ただ、隣にいてもいいか確かめたい。
ひなたは一行目を打つ。
『リラは、三度目のノックをする前に手を止めた。』
悪くない。
次の一行を考える。
チャットに通知が入った。
『相原さんの修正稿が届きました』
『PV用台詞の確認をお願いします』
『候補Bの承認期限が二十時半です』
緊急ではない。
ひなたは通知を閉じる。
リラの手は、まだドアの前で止まっている。
五分後、また通知。
返せば、誰かの仕事が進む。
返さなくても、明日の朝までは止まらない。
それでも、待っている人間の顔が浮かぶ。
ひなたは原稿を閉じ、相原の修正稿を開いた。
二十一時になった時、私用の場面は一行しか増えていなかった。
◆
帰り際、日報を開く。
シナリオレビュー、十二件。
候補選定、七十六件。
設定監修、八件。
修正指示、三十一件。
執筆文字数。
〇字。
「先輩」
帰り支度をした佐久間が、画面を見た。
「今日、何か書きました?」
「一行」
「それ、仕事の原稿ですか」
「違う」
「じゃあ、ゼロですね」
「厳しいな」
「先輩が、ずっと僕らに言ってきたことでしょう」
佐久間は先に歩き出す。
ひなたは、〇という数字を見た。
誰にも書くことを禁じられていない。
時間まで用意された。
それでも、自分で手放した。
責任者として正しい選択を重ねるほど、
シナリオライターとしての一日だけが、空白になっていった。




