通った企画
一・五周年イベントの制作は、予定していた遅れを取り戻した。
冒頭で何度も止まった時間が嘘のように、その後の工程は速かった。
AI候補を出す。
制作班が選ぶ。
ひなたが感情線を整え、データ班へ提出する。
評価を受け、修正する。
最初は一つひとつの工程へ違和感があった。
今は、誰も説明しなくても動く。
南雲が提出物をまとめる。
美堂が評価を返す。
佐久間が候補と履歴を整理する。
ひなたが、何を残すか決める。
共有フォルダの中で、ファイルが迷いなく移動する。
『制作中』
『評価待ち』
『フィードバック』
『承認済み』
赤い『再提出』だけが、以前より減っていた。
◆
「次は、二周年です」
神谷が会議室で言った。
一・五周年のリリースを待たず、次の大型企画が始まる。
「規模は今回の一・五倍。新規獲得だけではなく、作品の今後二年を示すイベントにする」
画面に、企画スケジュールが映る。
以前なら、それを見ただけで息が詰まった。
今は、どの工程で候補を出し、どこで評価を掛けるかが先に見える。
「一・五周年で試した制作フローを、二周年でも正式採用する」
誰も驚かない。
結果が出ている。
制作速度は上がり、差し戻しは減り、各部署の残業も抑えられた。
「柏木」
「はい」
「シナリオ側のリーダーを任せたい」
ひなたは一瞬、返事が遅れた。
望んでいた役割だった。
自分の判断で、作品全体の感情線を守る。
若手を育て、キャラクターを継続して書ける体制を作る。
AI導入の前から、いつか任されたいと思っていた。
「評価したのは、候補の選定精度と、キャラクター整合性の担保です」
美堂が補足する。
「柏木さんの判断を通した原稿は、修正後の評価上昇が大きい。データ班との連携も安定している」
書いた文章ではない。
選び、直し、通した実績が評価されている。
それでも、実績であることに変わりはない。
「やります」
ひなたは答えた。
会議室の空気が少し緩む。
佐久間が、小さく拍手をした。
三角と南雲も続く。
如月だけは、ひなたの顔を見ていた。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「嬉しそうに見えないけど」
「嬉しいです」
「なら、ちゃんと喜びなさい。面倒くさい男ね」
如月は笑った。
その言葉に、ひなたも少しだけ笑うことができた。
会議の後、如月がひなたを呼び止めた。
「本当に引き受けて良かったの?」
「推薦したの、先輩でしょう」
「推薦したから聞いてるの」
廊下の端で、如月は足を止める。
「今のひなた、評価されるほど苦しそうに見える」
「評価されなかったら、それはそれで怒ると思います」
「でしょうね。面倒くさいもの」
「また言いますか」
「何度でも言うわよ」
如月は少し笑い、それから真顔へ戻った。
「リーダーになると、自分で書く時間は減る。AIがなくても、前からそう」
「分かってます」
「人の原稿を読んで、直して、決める。会議と説明が増えて、気づけば一日、一行も書いてない」
如月自身のことだった。
ディレクターとして現場を守りながら、自分で手を動かす時間を失っていった人間。
「先輩は、それで平気なんですか」
「平気じゃない」
すぐに答える。
「今でも、自分で書いた方が早いと思う時はある。書きたい場面もある」
「でも、書かない」
「私が全部書いたら、チームが育たない。私が倒れたら、作品も止まる」
如月はひなたを見る。
「自分だけが書ける状態を、才能だと思わないこと」
痛い言葉だった。
「でも、自分が書かなくてもいいと思い込むのも違う」
「どっちなんですか」
「両方よ」
如月は肩をすくめる。
「リーダーになったら、書く時間は待ってても来ない。自分で守りなさい」
「仕事を回しながら?」
「そう。社会人のクリエイターって、そういう面倒な生き物でしょう」
答えになっているようで、なっていない。
ただ、如月も同じ場所を通ったことだけは分かった。
「おめでとう、ひなた」
今度は、上司ではなく先輩の声だった。
「選ばれたことまで、AIに奪われたみたいな顔をしないの。あなたが積み上げた結果よ」
「……ありがとうございます」
今度は、少しだけ素直に受け取れた。
◆
二周年の最初の企画作りが始まる。
テーマは、これまで失われた記憶が、世界全体の歴史へ繋がる大規模イベント。
ひなたは制作班を集め、最初に条件を整理した。
「新規ユーザーにも、今何が起きているか分かる入口が必要です」
南雲が言う。
「既存ユーザーには、過去の選択が報われる体験」
橋本が続ける。
「PVの一枚目で、世界が変わることを見せたいっす」
三角が仕様を出す。
「既存キャラ全員を出すなら、画面の情報量を整理しないと破綻します」
白石がラフの懸念を置く。
以前と同じ会議。
違うのは、ひなたの画面に候補生成用の条件欄が開かれていることだ。
ひなたは議論を聞きながら入力する。
ユーザーへ与えたい感情。
禁止する展開。
守るべきキャラクターの関係。
ゲーム体験との接続。
過去のどの記憶を回収するか。
「先輩、最初から出すんですね」
佐久間が小声で言う。
「比較材料は早い方がいい」
「前は、まず僕たちで書くって」
「前と状況が違う。規模も時間も」
正しい判断だった。
ゼロから一案を作り、それが違ってから別案を考えるより、最初に複数の方向を並べる。
制作班は、その中から作品に合うものを選び、自分たちの企画へ変える。
効率が良い。
視野も広がる。
ひなたは生成ボタンを押した。
もう、指は止まらなかった。
◆
出された案の中から、一つの構造を選ぶ。
世界から失われた“最初の記憶”を、全ユーザーの選択で復元する。
個人の記憶を扱ってきた作品が、世界の記憶へ広がる。
ゲーム内の選択総数が、イベントの展開に反映される。
既存キャラクターは、それぞれが守ってきた記憶を持ち寄る。
企画の核として強い。
ひなたたちは半日で骨子を整えた。
翌日、データ班の初回評価へ提出する。
総合判定――承認。
初回で通った。
「すごい……」
南雲が画面を見る。
「一・五周年の冒頭、何回出しましたっけ」
「数えるな」
佐久間が笑う。
「今回は一日ですよ」
三角も、すぐに仕様検討へ入る。
白石はキービジュアルの構図を描き始めた。
橋本は、企画の一文を探している。
仕事が進む。
誰も止まらない。
誰も傷ついていない。
ひなたも、嬉しかった。
自分たちが作った企画が通った。
チームが、迷わず次へ進める。
リーダーとして、最初の仕事を成功させた。
成功した。
企画が初回で通った後、制作班は短い振り返りを行った。
「まず、速かった」
乙部がホワイトボードに大きく書く。
「それ、感想ですか」
三角が言う。
「進行には一番大事な感想だよ~。一日で骨子が通ると、後ろに三日ずつ余裕ができるんだから」
南雲が続ける。
「評価項目を最初から共有できたので、提出資料の作り直しもありませんでした」
白石は、候補を早く見られたことでラフの幅が増えたと言う。
「採用案だけでなく、別案の画も見えたので、最初から比較できました」
橋本は一枚目の訴求が明確だったことを評価する。
全員が、具体的な成果を挙げていく。
ひなたはリーダーとして、それを議事録へまとめる。
「改善点は?」
尋ねると、佐久間が手を上げた。
「候補が多すぎます」
「お前が百二十案出せって言ったんじゃないだろ」
「でも、整理するの僕です」
会議室が笑う。
「あと」
佐久間は少し真面目な声になる。
「最初から候補を見たせいで、僕ら自身の案がほとんど出てないです」
空気が少し止まった。
「効率は良かったです。でも、候補の外に何があったかは、誰も分からない」
ひなたが感じていたことを、佐久間が言葉にする。
三角は腕を組む。
「でも、自分たちで先に考える時間を取ったら、一日では通ってないっすよ」
「そうです。だから、どっちがいいって話じゃなくて」
佐久間はひなたを見る。
「次も同じやり方にするか、先輩が決めるんですよね」
リーダーとしての最初の判断。
「次の章は、制作側で三案出してからAI候補を見る」
ひなたは言った。
「時間は半日。そこで出なかった方向を、候補で補う」
乙部が進行表を確認する。
「半日なら吸収できるよ~」
美堂も頷いた。
「比較データとしても有用です。人間案とAI案の差分を確認できます」
自分たちで考える時間を残す。
AIを拒絶するのではない。
最初から答えの中へ閉じ込められないための工程を作る。
「それで行きましょう」
如月が決める。
ひなたは議事録へ追記した。
自分が書く時間を、仕組みとして守る。
それも、リーダーの仕事なのかもしれない。
ただし、その半日で良い案を出せなければ、AI候補へ進む。
猶予を得ただけで、答えはまだ出ていなかった。
◆
振り返りの最後に、神谷が一・五周年制作の途中経過を共有した。
シナリオ工程の遅延日数。
差し戻し回数。
他部署の待機時間。
深夜作業の発生件数。
どれも、AI候補の運用が始まってから改善している。
「まだリリース結果は出ていない。だから、面白さの成功を断定する段階ではない」
神谷は慎重に言う。
「ただ、制作環境が改善したことは事実だ。これまで個人の無理で吸収していた時間を、工程として減らせた」
以前の徹夜を思い出す。
ひなたと佐久間が二人で書き上げ、翌朝、ひどい顔で原稿を渡した日。
あの時間には、確かな熱があった。
全員が原稿を読み、企画へ変え、勝負できる形まで持っていった。
誇らしい記憶だ。
同時に、あれを毎回繰り返せば、誰かが壊れる。
「熱量をなくすための改善ではない」
神谷が、まるでひなたの考えを読んだように言う。
「本当に人間が考えるべき場所へ、熱量を使うためだ」
理想的な説明だった。
ひなたも、そうなってほしいと思う。
だが、人間が考えるべき場所を決めるのは誰なのか。
効率化できる場所が増えるたび、その範囲は狭くなっていくのではないか。
神谷は全員へ視線を向ける。
「二周年では、速さだけでなく、前より強いものを作る。楽をした分だけ薄くなった、と言われるのが一番悪い」
会議室の空気が引き締まる。
ひなたは頷いた。
便利さを受け入れた上で、熱を失わない。
それが、次の仕事だった。
夕方、正式な役割表が共有された。
二周年イベント・シナリオ責任者。
柏木ひなた。
その下に、担当業務が並ぶ。
生成候補の選定。
感情線・キャラクター整合性の監修。
評価フィードバックへの対応。
若手ライターへの修正指示。
最終品質の担保。
何度読み返しても、「執筆」という言葉はなかった。
もちろん、書いてはいけないわけではない。
必要なら自分で書く。
実際、一・五周年でも多くの部分を直した。
ただ、会社が自分へ期待している役割は、そこではない。
「先輩」
佐久間が声を掛ける。
「二周年用の候補、追加で百二十案来てます。明日までに一次選別だそうです」
「百二十?」
「キャラクター別です。台詞だけなら、もっとあります」
共有フォルダを開く。
整然と並んだファイル。
どれも、設定を踏まえている。
どれも、一定以上に読める。
どれも、ひなたの判断を待っている。
通った企画の次には、通すための文章が大量に用意されていた。
机の引き出しには、紡の新刊がある。
表紙には、一ノ瀬紡の名前。
中には、彼女が責任を負う文章が並んでいる。
ひなたの画面には、百二十の候補。
自分の名前は、責任者の欄にある。
欲しかったはずの場所だ。
それなのに、白い画面へ最初の一行を書く時よりも、ずっと遠くへ来てしまった気がした。
企画は通った。
だからこそ、この進め方が正しいと証明されてしまった。
ひなたは候補ファイルの一つを開く。
最初の台詞が表示される。
悪くない。
直せる。
使える。
そう判断した自分の速さに、ひなたは小さな恐怖を覚えた。




