誰の台詞
その台詞は、レビュー会議で絶賛された。
『あなたが忘れても、私が覚えている』
終盤、記憶を失いかけたリラへ、澪が告げる一言。
橋本は、PVの核にできると言った。
「一・五周年のテーマが、この一行で伝わります。過去を知るユーザーにも、新規にも意味が取れる」
白石も頷く。
「この台詞なら、澪の顔を正面から描けます。泣かずに言う方が強い」
三角は、選択肢の回収と噛み合っていることを評価した。
如月も、珍しく修正を入れなかった。
「ここは、このままで行きましょう」
神谷がひなたを見る。
「さすが柏木だな。最後に、ちゃんと作品の言葉へ戻してくれた」
「……ありがとうございます」
ひなたはそう答えた。
自分が書いた台詞なのか、分からなかった。
◆
会議後、変更履歴を開く。
最初の候補は、AIが生成したものだった。
『あなたが失くしても、私の中には残っている』
それを佐久間が、澪の口調に合わせて短くした。
『あなたが失くしても、私は覚えている』
ひなたが、「失くす」を「忘れる」へ変えた。
記憶を物として扱う言い方が、この場面では強すぎると思ったからだ。
『あなたが忘れても、私は覚えている』
如月が台詞の位置を、一ページ後ろへ移した。
リラが自分の名前を忘れた直後ではなく、澪のことまで分からなくなった後へ。
ひなたが最後に、主語を変えた。
『あなたが忘れても、私が覚えている』
“私は”ではなく、“私が”。
リラの代わりに記憶を持つという、澪の意思を強くするため。
誰が書いた。
最初の形を出したのはAI。
キャラクターの口調へ変えたのは佐久間。
場面へ置いたのは如月。
最後の一文字を決めたのは、ひなた。
すべてがなければ、今の台詞にはならない。
共同制作なら、以前から同じだった。
プランナーが企画を作る。
ライターが台詞を書く。
ディレクターが直す。
声優が演技し、演出が間を作り、ユーザーの中で初めて完成する。
一人の文章ではない。
分かっている。
それでも、AIが最初にいたことで、急に起点が気になった。
◆
「何を難しい顔してるんですか」
佐久間が覗き込む。
「この台詞、お前が書いたのか?」
「どこからを“書いた”にします?」
「質問に質問で返すな」
「元は候補案です。僕が直して、先輩が直して、如月さんが動かした」
「じゃあ、誰の台詞だ」
佐久間は少し考える。
「澪の台詞じゃないですか」
ひなたは顔を上げた。
「最終的に、澪が言うんですよね。ユーザーも、僕らの名前じゃなくて澪の台詞として覚える」
「それでいいのか」
「前からそうでしょう」
佐久間の返事は簡単だった。
「僕が書いたつなぎを、先輩が直したこともある。先輩の台詞を、収録で声優さんが変えたこともある。それでも、キャラの台詞として良くなったなら、僕はいいです」
「お前は、気にならないのか」
「気になりますよ」
佐久間は笑わなかった。
「僕が考えた台詞を褒められたいし、クレジットに名前も欲しい。先輩に全部持っていかれたらムカつきます」
「持っていってない」
「分かってます。例です」
佐久間は履歴を閉じる。
「でも、“誰が最初に出したか”だけで決めたら、僕の仕事なんてほとんど残らないです。僕は、つなぎとか整形とか、他人の案を良くする方が多いから」
「それでも、僕がいなかったら今の原稿にはなってない。そう思えるなら、今はそれでいいです」
今は。
佐久間も、完全に納得しているわけではない。
ただ、仕事を進めるために、自分なりの答えを持っている。
「先輩も、決めた方がいいですよ」
「何を」
「どこからが自分の仕事なのか」
言われ、ひなたは答えられなかった。
◆
夜、紡からメッセージが届いた。
『新刊、読みました?』
机の引き出しには、まだ本が入っている。
最初の数ページしか読めていない。
『まだ途中』
送る。
すぐに返信が来た。
『珍しいっすね。先輩、本だけは速かったのに』
『仕事が立て込んでる』
『じゃあ、落ち着いたらご飯行きましょう。感想、直接聞きたいっす』
紡は、自分の文章について感想を求められる。
表紙に名前がある。
どの一行も、最終的には一ノ瀬紡の文章として読まれる。
編集者が直していても。
題名を別の人が決めていても。
紡が責任を負う。
ひなたは、今日褒められた台詞を見た。
『あなたが忘れても、私が覚えている』
紡に、自分が書いたと話せるだろうか。
嘘ではない。
自分が最後に決めた。
シナリオの責任者として、採用した。
それでも、「俺が書いた」と言った瞬間、誰かの仕事を奪うような気がした。
数日後、ひなたは紡と食事をすることになった。
仕事終わりの小さな居酒屋。
以前、偶然再会したバーより明るく、互いの顔がよく見える。
「先輩、ちゃんと読んだんすか」
席に着くなり、紡が尋ねる。
「途中まで」
「まだ途中?」
「忙しいんだよ」
「ゲームのシナリオって、そんなずっと忙しいんすか」
「お前の担当編集に聞かせたい台詞だな」
「私は締め切り前だけっす」
「ずっと締め切り前だろ」
紡が笑う。
昔と同じ軽さだった。
それでも、テーブルの横に置かれた鞄から、新刊の角が見える。
紡が書いた本。
表紙に名前がある本。
「先輩の一・五周年、いつ出るんすか」
「まだ先だ」
「どこ書いたんす?」
「シナリオ全体の監修」
「監修じゃなくて、先輩が書いたところ」
ひなたはグラスへ視線を落とした。
「何で黙るんすか」
「今、共同制作が細かくなってるんだよ」
「前からゲームは共同制作でしょ」
「AIも入ってる」
紡の表情から、少しだけ笑いが消えた。
「AIが書いた文章を使ってるんすか」
「そのままじゃない。候補を出して、俺たちが選んで、直す」
「で、どこが先輩の文章か分からなくなった?」
簡単に言い当てられ、腹が立つ。
「そんな単純な話じゃない」
「単純じゃないから、聞いてるんすよ」
紡は箸を置く。
「私の本だって、編集が直してます。タイトルも帯も、私が決めてない。途中で入れ替えた場面は、編集の案が元っす」
「でも、お前の名前で出る」
「だから、全部私が書いたことになると思います?」
ひなたは答えない。
「私は、私の本だと思ってます。でも、全部が私一人の発想だとは思ってない」
「それは、最初の文章を書いたのがお前だからだろ」
「そこ、そんなに大事っすか」
「大事だ」
「何で?」
また、答えを求められる。
書くことが、自分の仕事だから。
自分の中から出たものを、文章と呼びたいから。
最初まで他人に渡したら、自分には何が残るのか分からないから。
「怖いんすね」
紡が言う。
「何が」
「自分がいなくても、似たものができるのが」
以前、バーで言われた言葉が戻る。
『先輩の代わりなんて、いくらでもいる』
「お前は怖くないのか」
「怖いっすよ。私より売れる作家も、上手い作家も、毎月出てくる」
紡はグラスを持ち上げる。
「でも、他の人が書けるからって、私が書かなくていい理由にはならない」
「AIが書けても?」
「私が書きたいなら、書くっす」
個人作家の答えだった。
会社の中で、期限と予算とチームを背負うひなたには、そのまま使えない。
それでも、羨ましかった。
「先輩は、書きたいんすか」
紡が尋ねる。
ひなたは即答できなかった。
書きたい。
そのはずだ。
だが今は、良いものを選ぶ責任と、チームを止めない責任が先に浮かぶ。
「感想、読み終わったらでいいっす」
紡は話を戻した。
「その代わり、先輩のイベント出たら教えてください。誰が最初に書いたか分からない台詞も、ちゃんと読みますから」
「嫌な言い方するな」
「先輩が面倒なこと言ってるからっす」
紡は笑った。
ひなたも少しだけ笑った。
答えは出なかった。
ただ、自分が書きたいかどうかすら迷ったことが、一番胸に残った。
紡と別れた夜、ひなたは帰宅して新刊を開いた。
今度は、最初の数ページで閉じなかった。
主人公が何度も同じ家の前を通り過ぎる。
呼び鈴を押せない理由は、すぐには説明されない。
それでも、ページを進めるうちに、過去の会話や小さな癖が積み重なり、なぜ立ち止まるのかが見えてくる。
派手な一行はない。
だが、三十ページ目で主人公がようやく呼び鈴へ触れた時、ひなたは胸を掴まれた。
この遅さは、小説だから許されるのか。
違う。
遅いのではない。
進んでいないように見える場面のすべてで、感情は進んでいる。
自分の初稿も、そうできていたのか。
ただ説明を遅らせただけではなかったか。
紡の文章を読むことで、自分の文章の不足が見える。
悔しい。
同時に、久しぶりに書きたくなった。
ひなたは本を閉じ、私用のパソコンを開く。
仕事の原稿ではない。
評価項目も、候補生成欄もない。
リラが白い部屋で目覚める、採用されなかった場面。
誰にも見せないつもりで、一行だけ書き直す。
書くこと自体が、自分から消えたわけではない。
その事実に、少しだけ安心した。
◆
翌日、社内テストの感想が届く。
『澪の台詞で泣いた』
『この一行のために今までプレイしてきた気がする』
『書いた人、ありがとう』
ひなたは画面を見つめた。
ありがとう、と言われている。
自分へ向けられた言葉だと思えば、嬉しい。
AIへ向けられた言葉だと思えば、虚しい。
チーム全員へ向けられた言葉だと思えば、正しい。
どれを選んでも、完全には納得できない。
如月が横を通り、感想の画面に気づいた。
「良かったじゃない」
「はい」
「何か不満?」
「誰が書いた台詞なんだろうと思って」
如月は履歴を見ずに答えた。
「誰が責任を持って残したの?」
「……俺です」
「なら、あなたの仕事よ」
「文章も?」
「そこは、自分で決めなさい」
如月は立ち止まらずに去った。
また、判断だけを渡される。
書くことよりも、決めることの方が重くなっていく。
ひなたは、感想への社内返信文を書くことになった。
『温かいご感想をありがとうございます。制作チーム一同、嬉しく拝見しました』
広報が用意した定型文。
制作チーム一同。
正しい。
誰か一人の手柄ではない。
ひなたは返信文の下書きを見ながら、個人名を出したいと思っている自分に気づいた。
自分の名前ではない。
佐久間。
白石。
如月。
三角。
橋本。
南雲。
美堂。
どの一人が欠けても、あの台詞は今の形にならなかった。
AIだけを問題にした瞬間、他の人間の仕事まで見えなくなっていたのかもしれない。
ただ、AIには感謝を伝える相手がいない。
喜ぶ顔も、悔しがる顔もない。
そこが、人間との共同制作とは決定的に違う。
佐久間が直したなら、ありがとうと言える。
如月が動かしたなら、意図を聞ける。
AIの候補を使った時、返せるのは評価データだけだ。
人間の仕事とAIの出力を同じ「共同制作」と呼ぶことにも、違和感がある。
ひなたは返信文へ一行だけ追加した。
『皆さまがキャラクターと過ごしてきた時間が、この台詞を完成させてくれました』
橋本が確認し、
『少し長いですが、残しましょう』
と返した。
誰が書いたかは分からない。
それでも、ユーザーが積み重ねた時間まで含めて台詞が完成したことは、ひなたが責任を持って言えた。
ひなたはユーザーの感想を閉じなかった。
『書いた人、ありがとう』
その“人”が誰なのか分からないまま、ありがとうだけが胸に残った。




