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俺の文章は、どこにある  作者: たつき


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使わない理由

 次の場面は、リラが初めて澪たちと食事をするシーンだった。


 戦闘ではない。

 大きな選択もない。

 リラが、誰かと同じテーブルに座る。


 ひなたは、この場面を大事にしたかった。


 何も持たない少女が、初めて「日常」を受け取る。

 食べ物の味を覚え、誰かの笑い声に戸惑い、自分の席が用意されていることに気づく。


 ユーザーの反応を一気に動かす場面ではない。

 それでも、後半でリラが仲間を選ぶためには必要な時間だった。


「今回は、候補を使わない」


 朝の打ち合わせで、ひなたは言った。


 佐久間が確認する。


「最初から?」


「ああ。日常会話は、関係性の積み重ねが全部だ。条件だけ渡しても、表面しか出ない」


「締め切り、明日の夕方です」


「間に合わせる」


「他の監修、三件あります」


「それもやる」


 佐久間はそれ以上言わなかった。


 ただ、候補生成欄を閉じずに、画面の端へ寄せた。



 昼になっても、一行目が決まらなかった。


 リラは食堂へ入る。

 澪が席を示す。

 白石のラフでは、テーブルの端に小さな空席が用意されている。


 何を言わせる。


『ここに座って』


 違う。

 澪は、そんなふうに優しく招かない。


『空いてる』


 近い。

 でも、リラが自分のための席だと気づくまでが早い。


 ひなたは書き、消す。


 以前なら、この迷いを苦しいと思いながらも楽しめた。

 言葉の奥にいる澪を探し、見つけた瞬間の喜びがあった。


 今日は、画面の隅に候補生成欄がある。


 条件を入力すれば、数分で十案出る。


 使わないと決めたからこそ、その存在が気になった。


「先輩、昼飯」


 佐久間がコンビニ袋を置く。


「後で」


「後では食べないやつです」


「今、澪が席を勧めるところなんだ」


「それを考えてる人が、自分の席で飯食わないの、説得力ないですよ」


「うるさい」


 佐久間は勝手にパンの包装を開いた。


「候補、見ません?」


「見ない」


「一行目だけでも」


「見たら、その中から選ぶことになる」


「選ばなきゃいいじゃないですか」


「人間は、一度見た答えから完全には離れられない」


「でも、時間も離れてくれませんよ」


 佐久間は時計を指す。


 ひなたはパンを受け取らなかった。


 十五時、白石からラフ確認の連絡が来た。


『食堂の座席配置だけでも、先に決められますか』


 ひなたは、まだ台詞が決まっていない原稿を見る。


 リラがどの席を選ぶかで、絵の構図が変わる。

 澪の隣か。

 向かいか。

 少し離れた端か。


 ひなたの中では、端の席だった。


 仲間の輪へ完全には入らず、いつでも立てる場所。

 けれど、その位置を伝えるには、リラがなぜそこを選ぶかを書かなければならない。


『端でお願いします』


 送信しかけて、止める。


 理由が原稿にないまま構図だけを決めれば、白石は単に画面のバランスとして描く。

 後からシナリオが変われば、描き直しになる。


 白石の作業を止めている。


 続いて、三角から連絡。


『食事中に選択肢を入れるか、今日中に決めたいっす。入れるならUI確認が必要です』


 演出担当からも、


『台詞量の目安だけください。ボイス収録枠が変わります』


 自分が一行を迷っている間に、複数の職種が待っている。


 シナリオは、文章だけでは完成しない。

 自分のこだわりが、他人の時間を使う。


 以前から分かっていた。

 それでも、候補を使えば短縮できると知った後では、待たせる重さが変わる。


「先輩」


 佐久間が言う。


「使わないなら、先に決められるところだけ返しましょう」


「台詞が決まらないと、席も選択肢も変わる」


「だから、全部止まってます」


「分かってる」


「分かってるなら、怒らないでください」


 佐久間も余裕を失い始めている。


 ひなたは、自分がパンを受け取らなかったことを思い出した。


 自分だけが追い詰められている気になっていた。

 だが、佐久間は隣で同じ原稿を待ち、後工程からの連絡も受けている。


「……悪い。座席は端。選択肢はなしで仮返ししてくれ」


「仮でいいんですね」


「ああ。変える時は、俺が謝る」


「リーダーっぽいこと言いますね」


「今まで何だと思ってた」


「面倒な先輩」


 佐久間はすぐに各部署へ返信を始めた。


 少しだけ仕事が動く。


 それでも、中心の場面は空白のままだった。



 午後、南雲が進行表を持ってくる。


「この場面、今日の十九時までに初稿が必要です」


「明日の夕方じゃ?」


「シナリオの承認期限が明日です。白石さんの表情差分と、演出確認を入れるなら、今日中に初稿がないと」


 ひなたは佐久間を見る。


「言ったでしょう」


「お前、知ってたなら先に言え」


「朝から言ってます」


 南雲が困ったように笑う。


「私も、急かしたいわけじゃないです。ただ、このシーンが止まると、後ろが全部一日ずつ動きます」


「分かってます」


「候補案は、もう出せる状態だそうです」


 南雲は慎重に続けた。


「使ってください、と言いたいわけじゃありません。でも、使わないことで他の人の作業が止まるなら、理由が必要になると思います」


 理由。


 キャラクターの関係性は、制作側が書いた方が正確だから。

 AI案を先に見ると、発想が狭くなるから。

 自分の手で書きたいから。


 最後の理由だけが、ひなたの喉に残る。


「……分かりました」


 南雲が去る。


 佐久間は何も言わない。


 ひなたは画面に向かい、もう一度書き始めた。



 十八時。


 食堂へ入るところまでは書けた。


 澪が空席を示す。

 リラが座らない。

 他の仲間は、気を遣って会話を続ける。


 そこから先へ進まない。


 リラは食べ物の名前を知らない。

 味をどう表現すればいいかも分からない。

 だが、説明しすぎれば、無垢さを見せるための場面になる。


 澪は世話を焼かない。

 しかし、放ってもおかない。


 その微妙な距離を探しているうち、時間だけが過ぎる。


「柏木」


 如月が隣へ立った。


「候補を使わないって聞いた」


「自分たちで書けます」


「書けるかどうかは聞いてない。使わない理由を聞いてる」


「関係性の積み上げは、データだけでは――」


「作品のため?」


 如月が遮る。


「それとも、自分のため?」


 ひなたは答えられなかった。


「AIを使わないことが、クリエイターの証明になると思ってるなら、やめなさい」


「そんなつもりは」


「本当に?」


 如月は画面を見る。


「この場面を良くするために使わないなら、私は待つ。でも、自分が書いたと言いたいから使わないなら、他のメンバーへ残業させる理由にはならない」


 厳しい。


 だが、上司として正しい。


「決めるのはあなた。決めた理由も、あなたが持ちなさい」


 如月は去った。


 ひなたは、候補生成欄を開く。


 期待する感情。

『リラが、初めて自分の席を得たと感じる』


 禁止事項。

『澪に直接、“仲間”“家族”“居場所”と言わせない』

『リラを幼児のように描かない』

『食事の感想を大げさにさせない』


 必要な要素。

『澪は世話を焼きすぎない』

『リラ自身が座ることを選ぶ』


 条件を書き込むほど、自分の中にある答えが整理されていく。


 生成を押す。


 数分後、十二の候補が並んだ。



 使える案は、一つだった。


 澪は空席を勧めない。

 自分の荷物を、その椅子から無言でどかす。


 リラは、そこが自分のために空けられた席だと気づく。


 台詞はない。


「……これか」


 ひなたは呟いた。


 自分が一時間探していた距離が、行動として出ている。


 そのままは使わない。


 澪が荷物をどかす前に、一度だけリラを見る。

 リラが座った後も、何も言わず食事を続ける。

 他の仲間が席を詰め、会話の輪が自然に近づく。


 ひなたと佐久間で前後を作り直す。


 十九時十五分。


 初稿が完成した。


「白石さんへ送ります」


 佐久間がファイルを渡す。


「間に合ったな」


「十五分遅れです」


「誤差だ」


「南雲さんに言ってください」


 佐久間が提出する。


 すぐに白石から返信が来た。


『荷物をどかす手、良いです。表情は描かない方向で行きます』


 演出担当からも、


『台詞なしで成立します。食器の音を残します』


 返ってくる。


 仕事が動き出す。


 候補を使ったことで、止まっていた人たちが進む。


 誰かが不幸になったわけではない。

 キャラクターも壊れていない。

 むしろ、良い場面になった。


「使って、正解でしたね」


 佐久間が言う。


「……ああ」


 否定できなかった。


 完成した原稿は、初回評価で承認された。


 キャラクター整合性。

 場面理解。

 関係性への好感。


 すべて基準を超えている。


 自由記述には、


『澪が荷物だけどかすのが優しい』

『言葉にしない距離感が、この作品らしい』

『リラが自分で座るまで待つのが良い』


 と並んでいた。


 自分が守りたかったものは、残っている。


 むしろ、自力で書こうとして止まっていた時より、澪らしい行動へ辿り着いた。


「使った方が、良くなった」


 ひなたが呟く。


 佐久間が評価シートを閉じる。


「候補が良かったのもありますけど、採用したのは先輩です」


「その言い方、慰めになると思ってるか?」


「事実です」


「俺が最初から出せなかったのも事実だ」


「全部、一人で最初から出す必要あります?」


 佐久間は疲れた顔で言う。


「僕、今回、候補使ってくれて助かりました。白石さんも、演出も、たぶん南雲さんも」


「分かってる」


「なら、それでいいじゃないですか」


 その通りだと思う。


 仕事は、自分の自尊心を守るためにあるのではない。

 良いものを、期限までに、チームで作る。


 候補を使わないことで質が上がるなら、使わなければいい。

 使うことで質も速度も上がるなら、使えばいい。


 簡単な話だ。


 それでも、ひなたは「良くなった」という事実を、素直に自分の成功として受け取れなかった。


 自分の力で辿り着けなかった答えを、道具が先に示した。


 その悔しさを、作品のためという言葉で隠していたのではないか。


「先輩、帰りますよ」


 佐久間が鞄を持つ。


「もう少し、履歴を整理する」


「候補を使った言い訳を探すなら、明日にしてください」


「お前、今日ずいぶん刺すな」


「待たされたんで」


 佐久間は先に歩き出す。


 ひなたは画面を閉じ、後を追った。


 帰れる時間に帰る。


 その当たり前を取り戻したのも、候補を使ったからだった。


 候補生成欄を閉じる。


 昨日までは、白い異物に見えた。

 今はもう、仕事の道具として画面に馴染んでいる。


 会社を出ると、まだ終電まで余裕があった。


 佐久間は駅前で別れ、ひなたは一人で信号を待つ。


 以前なら、この時間も頭の中で台詞を直していた。

 今日の原稿には、もう修正すべき箇所がない。


 良い場面ができた。

 チームも早く帰れた。


 それなのに、解放感より、何かを近道した後ろめたさが残る。


 近道は悪いことではない。

 目的地へ正しく早く着けるなら、使うべきだ。


 クリエイターは苦しまなければならない。

 時間を掛けた文章ほど価値がある。


 そんな考えを持ちたくはない。


 だが、苦しんで探した一行と、数分で出た候補を同じように扱うこともできない。


 違うのは成果ではなく、自分の中に残る感触だった。


 信号が青になる。


 ひなたは歩き出す。


 今日、自分が守ったのはキャラクターか。

 チームの時間か。

 それとも、使う決断をした自分の立場か。


 どれか一つではない。


 複数の正しさを同時に抱えるのが、会社で作るということなのだろう。


 納得できないままでも、明日は次の原稿が待っている。


 使わない理由を説明する方が、難しくなっていた。


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