選択肢
翌朝、共有フォルダに新しいファイルが追加されていた。
『一・五周年イベント 冒頭候補案』
ひなたは、すぐには開かなかった。
パソコンを立ち上げる。
メールを確認する。
昨日の原稿を読み直し、別イベントの台詞監修を一件返す。
いつもと同じ順番で仕事を始めようとした。
だが、画面の隅に表示されたファイル名が、ずっと視界に残っている。
候補案。
完成稿ではない。
採用するかどうかを決めるのは制作側だ。
使わないという判断もできる。
分かっている。
それでも、開けば何かが変わる気がした。
「先輩」
佐久間が隣の席へ来る。
「見ました?」
「まだ」
「僕もです」
「嘘つけ。お前、通知が来た瞬間にファイル名だけ確認しただろ」
「中身は見てません」
「同じだ」
二人は画面を見た。
「開きます?」
ひなたは一度だけ息を吸う。
「開く」
◆
冒頭展開案は三種類。
台詞候補は十種類。
それぞれに、狙いと予測される評価項目が添えられている。
案A。
リラが自ら研究施設を脱走し、澪へ助けを求める。
主体性と目的提示を最優先。
案B。
リラの能力が暴走し、周囲の言葉を無差別に刻む。
異常事態とゲームシステムの提示を最優先。
案C。
リラが記憶を失った状態で街へ現れ、プレイヤーの選択肢によって最初の言葉が決まる。
育成感と参加感を最優先。
「……分かりやすいですね」
佐久間が言う。
「ああ」
三案とも、これまで不足を指摘された部分を正確に埋めている。
設定と致命的な矛盾もない。
少なくとも、キャラクターを知らない人間が適当に作った案には見えなかった。
「案A、前に先輩が消したやつに近いです」
「主体性を前に出しすぎてる。最初から助けを求められるなら、リラの成長が浅くなる」
「案Bは、今の四稿目を派手にした感じ」
「怖さが見せ物になる。リラ本人の恐怖より、画面の派手さが勝つ」
「案Cは……ゲームとしては強いですね」
プレイヤーが最初に言葉を与える。
選んだ言葉で、リラの反応や初期能力が変わる。
三角が見れば、すぐに仕様へ落とすだろう。
橋本も、一文で訴求できると言うはずだ。
ただ、リラが言葉を恐れている設定は薄い。
プレイヤーから言葉を受け取ることが、最初から前向きな体験になっている。
「使えない」
ひなたは言った。
「全部ですか?」
「このままでは」
佐久間が台詞候補を開く。
一番。
『私には何もない。だから、あなたの言葉をください』
二番。
『怖い。でも、あなたの言葉なら信じてみたい』
三番。
『私を作るのは、私が選んだ言葉だから』
どれも、企画のテーマを分かりやすく表している。
どれもPVへ抜ける。
どれも、リラが成長した後なら言える台詞だった。
「こんなに喋らない」
ひなたは読み飛ばす。
四番。
五番。
六番。
言い回しは違っても、意味は似ていた。
自分は空っぽだ。
言葉が欲しい。
怖い。
最後は自分で選びたい。
設定資料を台詞へ変換したような文章。
「やっぱり、リラを理解してないですね」
佐久間が言った。
ひなたは答えなかった。
理解していない。
そう切り捨てることは簡単だった。
だが、企画の説明としては正しい。
リラの成長を一行で伝えるなら、どれも使える。
自分たちが何日もかけて避けてきた説明台詞が、整った形で並んでいる。
七番。
『……それ、私に言ったことにしないで』
ひなたの目が止まった。
短い。
説明もない。
誰かに励まされた後の台詞だろう。
拒絶にも、照れにも、恐怖にも聞こえる。
言葉を受け取りたくないリラ。
それでも、完全には無視できないリラ。
佐久間も同じ場所で止まった。
「これ、ちょっと良くないですか」
「前後がない」
「作ればいいんじゃないですか。前後は、僕たちが」
ひなたは七番を見つめた。
AIがリラを理解して、この一行を書いたわけではない。
条件に合う文章を、過去の台詞や構造から出しただけだ。
それでも、ここには余白がある。
説明しすぎていない。
リラの“間”を置ける。
「使わない」
一度、そう言った。
佐久間は反論しなかった。
「分かりました」
画面を閉じようとする。
「待て」
佐久間の手が止まる。
「七番だけ残す」
「使うんですか?」
「候補として見るだけだ」
自分でも、言い訳だと分かった。
ファイルを閉じる前に、美堂からチャットが届いた。
『候補の確認中に質問があれば、回答します』
ひなたは七番の台詞をコピーし、メッセージへ貼った。
『この台詞を出した理由は?』
数分後、返信が来る。
『拒絶を維持しつつ、言葉が内面へ残ったことを示す条件に合致したためです』
正しい。
しかし、ひなたが知りたいこととは少し違う。
『リラは、どんな気持ちで言った想定ですか』
今度は、返事までに少し時間が掛かった。
『候補生成時点では、恐怖、照れ、警戒の複数解釈を許容しています。単一の感情へ固定していません』
AIは、リラの気持ちを決めていない。
むしろ、複数の意味に使える台詞だから選ばれた。
ひなたが良いと思った余白は、キャラクターへの理解から生まれたものではなく、条件を限定しなかった結果だった。
それでも、余白であることに変わりはない。
『分かりました』
ひなたが返す。
美堂から、さらにメッセージが来る。
『柏木さんが、どの感情として採用するかを知りたいです。修正結果を次回条件へ反映できます』
自分が意味を与える。
その意味が、次の候補へ学習される。
今は、自分がAIを使っている。
次は、自分の判断を使ったAIが出てくる。
便利になる。
同時に、自分しか知らなかったはずのリラが、少しずつ外へ複製されていく。
ひなたは返信欄へ、
『受け取ったことを認めたくない恐怖。照れではない』
と入力した。
送信する直前に、「照れではない」を残すか迷った。
候補を狭める一文。
だが、リラを守るための一文でもある。
ひなたは、そのまま送信した。
◆
制作班の打ち合わせで、三案を共有する。
三角は予想どおり案Cを評価した。
「プレイヤーが最初の言葉を決めるの、ゲームとして強いっす。反応差分なら、現実的なコストで実装できます」
橋本も頷く。
「“あなたの言葉が、彼女を作る”。一文で伝わる。広告からゲーム体験までズレがない」
白石は案Bの画面映えを見ていた。
「街中の声が文字になってリラへ集まる構図は、キービジュアルにも使えます」
それぞれの職域から見れば、使える場所がある。
ひなたは苛立ちそうになり、止めた。
彼らはAIが作ったから褒めているわけではない。
案そのものを見ている。
良い部分があるなら、誰が出したかは関係ない。
仕事として、それが正しい。
「シナリオとしては?」
如月が尋ねる。
「このままは使えません」
「どこなら使える?」
「案Cの、プレイヤーが最初の言葉を選ぶ構造」
三角が身を乗り出す。
「ただし、言葉をそのまま刻ませない」
ひなたは画面に流れを書く。
プレイヤーはリラへ、三つの言葉から一つを選ぶ。
だが、リラはすべてを拒絶する。
選んだ言葉は刻まれない。
最初の選択肢が、成功ではなく拒否される。
プレイヤーは、自分の言葉が届かないことを体験する。
その後、戦闘で追い詰められたリラへ、同じ選択肢がもう一度出る。
今度は、リラ自身が選ぶ。
「選択肢を二度使う?」
三角が言う。
「一度目はプレイヤーが選ぶ。でも、リラには通らない。二度目は、リラが自分で選ぶ」
「同じ選択肢なのに、主語が変わる」
南雲が言った。
「それなら、ユーザーも“自分が育てた”だけじゃなくて、“この子が選べるようになった”と思えます」
白石がラフを描く。
「一度目は、文字がリラの手前で砕ける。二度目は、自分から手を伸ばす」
橋本もメモを取る。
「PVでは二度目を見せる。物語では、一度拒絶しているから、前向きな画にも意味が出る」
如月がひなたを見る。
「七番の台詞は?」
「一度目の選択肢を拒絶した後に使います」
プレイヤーが、前へ進めると励ます。
リラは受け取らず、目を伏せる。
『……それ、私に言ったことにしないで』
冷たい拒絶ではない。
心へ残ったことを認めるのが怖い。
その前後を、自分たちで作る。
「行けそうね」
如月が言った。
ひなたは頷いた。
AI案を採用したのではない。
使える部品を見つけ、自分たちの物語へ組み直した。
そう考えた。
◆
修正稿は、その日の夜までに形になった。
佐久間が選択肢をゲーム台本へ整える。
ひなたは、リラの反応を一つずつ変える。
優しい言葉には、困惑。
強い言葉には、恐怖。
背中を押す言葉には、怒り。
拒絶の形が違うことで、リラが単に言葉を嫌っているわけではないと見せる。
七番の台詞は、三つ目の後に置いた。
『前へ進める』
プレイヤーが選ぶ。
リラの手首に文字が浮かびかける。
彼女は両手で覆い、首を振る。
「……それ、私に言ったことにしないで」
文字は刻まれない。
それでも、完全には消えず、微かな光だけが手の中に残る。
後半、リラが自分で同じ言葉を選んだ時、その光が文字になる。
ひなたは場面を読み返す。
最初の一行はAIから出た。
構造の起点も、案Cだった。
だが、そのまま残っているものはほとんどない。
感情も、澪の行動も、選択肢の意味も、自分たちで作り直した。
これは、自分たちの原稿だ。
そう思いたかった。
◆
翌日。
総合判定――承認。
「通りました!」
南雲が笑顔で画面を見せる。
佐久間が椅子から立ち上がった。
「よっしゃ……!」
三角が遠くから拍手をする。
乙部も両手を上げ、白石は静かに頷いた。
橋本は、すでに訴求文言の修正へ入っている。
「お疲れさま」
如月が言う。
「……はい」
嬉しい。
何日も止まっていた冒頭が、ようやく先へ進む。
スケジュールも、ぎりぎり戻せる。
評価シートを見る。
すべての項目が承認基準を超えている。
自由記述には、
『最初に選んだ言葉を拒否されて、リラを理解したいと思った』
『同じ選択肢を自分で選ぶ展開が気持ちいい』
『“それ、私に言ったことにしないで”が可愛い。後で効きそう』
七番の台詞が、最も高く評価されていた。
神谷からも連絡が来る。
『この方向で進めてください。制作とデータの良い形が見えたと思います』
美堂からは、
『候補案の利用率、修正率、評価差分を次回生成へ反映します』
今回、自分たちがどこを残し、どこを捨てたか。
七番へ、どんな前後を付けたか。
それらも、次の候補を良くする材料になる。
自分たちが直すほど、AI案は自分たちらしくなる。
それは協力なのか。
学習されているのか。
同じ事実を、違う言葉で呼んでいるだけだった。
佐久間が明るい声で言う。
「先輩、次も候補、出してもらいます?」
ひなたはすぐに答えなかった。
「……まずは、俺たちで書く」
「はい」
「詰まったら、候補を見る」
その順番なら、まだ大丈夫だと思った。
自分たちで考える。
自分たちで書く。
最後の手段として、選択肢を増やす。
承認後、乙部が小さな紙コップを配って回った。
「お疲れさま会~。中身は給湯室のコーヒーだけどねぇ」
「祝いとして弱くないですか」
三角が言う。
「予算ゼロだから、気持ちで補って」
全員が笑った。
何度も書き直した。
互いに苛立った。
AI候補を見ることへ抵抗もあった。
それでも、ようやく次へ進める。
「柏木さん」
南雲が紙コップを持ったまま言う。
「通った時、もっと喜ぶと思ってました」
「喜んでます」
「顔が、まだ評価待ちです」
「どういう顔だよ」
「何か、次に落とされるところを探してる顔」
南雲の観察は、時々鋭い。
「今回の原稿、私は好きです。最初の案より、リラのことを知りたくなりました」
「AI案が入っていても?」
「そこ、分ける必要ありますか」
ひなたは返事に詰まる。
「ユーザーから見たら、誰が最初に考えたかは分かりません。リラが好きになれるかどうかです」
「作る側には、分ける必要がある」
「どうしてですか」
責める問いではなく、純粋な疑問だった。
ひなたは答えを探した。
責任の所在。
権利。
仕事の評価。
自分が書く意味。
どれも正しい。
どれも、今感じている不安の全部ではない。
「……分からない」
正直に言うと、南雲は小さく頷いた。
「じゃあ、分かるまでは、気にしてていいと思います」
「答えを出せ、とは言わないんですね」
「ユーザーの不満も、すぐ答えが出るものばかりじゃないので」
南雲はコーヒーを一口飲む。
「ただ、良かったものまで嫌いにならないでください。今回、みんなで作ったんですから」
ひなたは承認済みの原稿を見た。
良い場面だと思う。
その感覚まで疑えば、もう何を基準に書けばいいか分からなくなる。
「……はい」
紙コップのコーヒーは、少しぬるくなっていた。
画面には、次の場面用の候補生成欄が、すでに用意されている。
期待する感情。
必要な台詞。
評価目標。
何も入力していない空欄が、白く光っていた。
選択肢が増えたはずなのに、画面が少しだけ狭く見えた。




