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俺の文章は、どこにある  作者: たつき


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俺の文章は、どこにある


あれから数日が過ぎ、週も半ばとなった頃。

ひなたはいつも通りに席へ向かい、いつも通りにPCを立ち上げる。


(これから、どうなるんだろう……)


一抹の不安が襲う。

データ班の案で進めるという結果が出てから、

上のレイヤーでは会議が頻繁に行われていた。

今後の方針を話し合っているようだが、現場レイヤーは不参加のため、

具体的な決定内容は分からない。


制作は、それでも、進む。

進まなければならない。

時間は残酷で、人の都合など待ってくれない。


机の隅に、先週提出した企画書のファイル名がある。

三枚絵、短文化した抜粋、導線の箇条書き。

勝てる形に整えたはずの紙束は、今は薄く見えた。


薄いのは資料じゃない。

自分の自信の皮が、薄くなっているだけだ。



「……柏木くん」


声をかけられて顔を上げると、如月さやと南雲りこが立っていた。

如月の声はいつもより低く、南雲は抱えた資料の端を強く押さえていた。

二人とも、表情だけは穏やかに整えている。


「神谷さんから連絡があったわ。

 今日、今後の進め方の会議を入れるそうよ」


如月はそう言って、会議室の予約メールを見せた。

件名は、簡潔だった。


――『周年イベント:制作進行方針(データ班案)』


ひなたの喉が、微かに鳴る。


「……もう、走り出すんですね」


「ええ。走らないと、間に合わないからね」


「とりあえず……資料、ここまで整えました」


南雲の腕には、クリアファイルが二つ。

先週の受容性調査レポート。

制作班案とデータ班案の比較表。

自由記述の要約。

さらに、その先――「進行のための観点整理」まで入っていた。


「……準備、早いな」


ひなたが言うと、南雲は少しだけ笑った。


「怖いので。準備してないと、何かが崩れてしまうような気がして」


その一言が、胸に刺さる。


(南雲さんも、戦ってくれているんだ)


そう思えると、少し胸の痛みが和らいだ気がした。



14時。会議室。


席順は、金曜とほとんど変わらなかった。

如月、神谷、三角、乙部、橋本、白石、南雲、佐久間。

美堂晃一郎――データ班の数名のメンバーも同席している。


机の中央に置かれたのは、企画書ではない。

今日は、これからの「進め方」だ。


神谷が淡々と口を開いた。


「先に確認。方針は決定している。今回はデータ班案で進める」


「ただし、制作の仕事が消えるわけじゃない。むしろ重要になる」


その言葉は救いにも聞こえた。

同時に、責任だけを残すための言葉にも聞こえた。


神谷は続ける。


「問題は、スケジュールと、判断の仕方だ。

 作っては直し、直しては作り――その回転を上げる必要がある」


如月が頷く。

その頷きが、今までの現場を知っている顔だ。


美堂が画面を共有しながら言った。


「評価の観点を固定しましょう。ぶれがあると、回転が落ちます」


ひなたの指先が、膝の上で無意識に動いた。

“評価”。その単語が、もう喉元に来ている。


神谷が言い切る。


「結論から言う。今後、全ての制作物は――

 南雲さんを窓口にしてデータ班へ渡す」


南雲が小さく頷いた。

準備していた顔だ。


「データ班は、評価とフィードバックを出す。

 制作はそれに沿って修正する。最終判断は我々がする」


「ただし、判断材料の重みは変わる。これは、勝つための運用だ」


誰も言い返せない。

勝つため――それは、全員の合言葉だったはずなのに。


ひなたの胸の奥で、何かがゆっくり沈んでいく。


(……判断材料の重みが変わる)


つまり――自分の判断の重みが変わる、ということだ。

いや、もっと正確に言うなら。


(俺の判断が、決定にならない)


“決定”は、別の場所で起きる。



南雲が立ち上がり、資料を配り始めた。

彼女の声は、いつもより少しだけ、会議向きの声になっている。


「提出形式を統一します。比較できるように」


「制作側の意図が伝わらないと評価もずれるので、

 最低限の『狙い』だけ添えてください。長い説明はいりません」


“最低限”。

否定しようのない説明だった。


「観点は、先週の受容性調査を踏まえます。

 冒頭5分の掴み、最初の変化の身体反応、推し感情、

 絵の印象、プレイ意欲……」


南雲は淡々と読み上げる。

たぶん、彼女なりに「制作の強みも守れる」ように、観点を組んだのだ。


「柏木さんたちの強みである“余韻”や“間”についても、

 自由記述の設問を用意します。

 数値化が難しい部分は、言葉で拾えるように」


南雲は本気で、制作班の強みを評価項目の中へ残そうとしている。

その善意を疑えないぶん、“拾われる側”になったという実感が、喉の奥に苦く残った。


美堂が続けて口を開く。


「評価は、好みではなく“反応の再現性”で見ます」


「主観の衝突は回転を落とす。制作側の説明は、最小限で」


如月の目が、ほんの少しだけ鋭くなる。


「“最小限”って言うけど、感情線は制作が握る領域よ。

 数字で勝てない余韻もある」


美堂は勝ち誇らず、制作工程の確認をするのと同じ調子で言った。


「余韻も評価できます。言語化できる範囲で」


その瞬間、会議室の温度が一段落ちた気がした。

言語化できる範囲で。

それはつまり、言語化された瞬間に死ぬものは、評価の外に落ちる。


ひなたの脳裏に、澪の「間」が浮かぶ。

言葉の前の一拍、呼吸の癖、温度の揺れ。


それを“評価”に押し込めた瞬間、澪は装置になる。

金曜、橋本が言ってくれた言葉が、今度は逆方向から刺してきた。


(……装置に落ちる)


落ちないように、残して、削って、戦ってきたはずなのに。



神谷が、役割分担を確定させる声を出す。


「南雲は取りまとめ、提出窓口、比較資料化。頼む」


「……はい」


「ここからは、専任として動いてもらう。

 すでに上長の許可は得ている」

「もちろん、南雲に問題なければ、だが」


「はい、やります。やらせてください!」


南雲は即答した。


「データ班は評価とフィードバック。美堂さん、お願いします」


「承知しました」


「橋本さんは、商流と導線の観点で補助。

 三角、施策整合。乙部は全体進行の目配せ。

 白石はビジュアル案の提出」


「柏木には、引き続きシナリオを書いてもらう。

 最初の方は大変だと思うから、最大限フォローは入れる。

 認識合わせもあるだろうから、やり取りは小まめに頼む」


「……はい」


その言葉が、ひなたの胸に落ちる。


「佐久間は提出支援。つなぎと整形。必要なら、制作物の補助も」


「分かりました」


佐久間が小さく頷いた。

彼もまた、前に進むしかない顔をしている。


「……以上。今日からこの運用で回す」


神谷が締めの言葉を置いた。


「制作は終わらない。むしろ、ここからが重要だ」


「ただ、勝つために、勝ち筋の見える進め方をする」


勝ち筋、その言葉に、全員が頷いた。

ひなたは、自分の中で何かが割れた音を聞いた気がした。

自分が立っていた場所が、少しだけ後ろに下がった。



会議が終わり、フロアに戻ると、いつもの音が戻ってきた。

キーボード、電話、椅子の音。

世界は、何事もなかったみたいに回っている。


南雲が、さっそく共有フォルダに新しい階層を作り始めた。


/review/1.5anniv/

/submit/

/feedback/

/compare/


フォルダ名が整っていく。

整っていくほど、逃げ場がなくなる。


「柏木さん、提出形式、これでいいですか?」


南雲が画面を見せてくる、提出物のテンプレ。

狙い、想定体験、ユーザー反応、導線、自由記述。

合理的で、綺麗で、正しい。


「……いいと思います」


ひなたはそう答えた。

答えながら、胸の奥がひりつく。


いいと思う、正しいと思う。

その正しさの中に、自分の居場所が削れていく感覚がある。


(俺は……何をする)


シナリオを書く。評価を受けて、通るまで直す。

その往復のどこまでを、自分の判断と呼べるのだろう。


――分かっている。

でも、その“分かっている”が、今日はいちばん残酷だった。


ひなたは、机の上のメモを見た。

先週、自分で書いた一行が、付箋の端に残っている。


『澪は、仲間を守るために前に出る』


その一行は、まだ熱い。

でも、熱いだけでは決まらない場所に、評価の主語が移った。


ひなたはゆっくりと息を吐いた。

吸って、吐いて、また吸う。


画面の白が、目に刺さる。

書こうと思えば書ける。

書く気だって、まだある。

でも、決まる場所が、自分の外にある。


その現実が、じわじわと指先から入ってきて、

心臓の奥の柔らかいところを冷やしていく。


ひなたは、モニターに映るフォルダを見つめた。

/feedback/ の文字が、黒い穴みたいに見えた。


そこに落ちたら、戻れるのか。

戻れないのか。

それすら、まだ分からない。


ただ一つ分かるのは――

自分の仕事が、今、形を変え始めているということ。


ひなたは、机の端を指で押さえた。

重さは確かにあるのに、どこを掴めばいいのか分からなかった。


喉の奥に、言葉が引っかかった。

出したくないのに、出てしまう。

出したら終わる気がするのに、出さないと、もっと終わる。


そして、ひなたは、心の中で、はっきりと呟いた。


俺の文章は、どこにある――

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