決着の時
金曜の朝が来た。
来てしまった、という感覚が先に立つ。
ひなたは、会社の匂いを吸い込む。
胸の奥が、ずっと軽い息をしている。
(今日……結果が出る)
分かっているのに、身体が追いつかない。
手のひらがわずかに湿っている。
指先が落ち着かない。
画面を見るな。
余計な情報を入れるな。
勝負の前に心を散らすな。
自分に言い聞かせて、ひなたはモニターの端に視線を寄せた。
先週提出した企画書のフォルダが、そこにある。
三枚絵の企画書、短文化した抜粋、導線の箇条書き。
作り込んだはずのそれらが、今はさらに薄く見える。
薄いのは資料じゃない。
自分の自信の皮が、薄くなっているだけだ。
◆
昼前。
南雲りこが、いつもより早い足取りで来た。
「柏木さん。外部委託の受容性調査、レポート届きました」
その声は落ち着いている。
落ち着いているのに、語尾がほんの少しだけ硬い。
南雲の指先が、クリアファイルの端を押さえているのが見えた。
「……もう来たんだ」
「はい。先方、仕事が早いです」
南雲は言って、少しだけ息を吸った。
「会議室、予約済みです。14時から。
関係者の招集も掛けました」
「あと……設問、見てください。
外部会社さんが整えてくれた体裁ですけど、
ほぼ、私たちが詰めた方向性になっています」
ひなたは頷いて、紙を受け取る。
外部会社に依頼する調査の設問は、こちら側で用意した。
作品の“面白さ”に焦点を当てる方針には、データ班からも異論が出なかった。
触れた瞬間、紙の温度が現実だった。
印刷した紙は、いつだって容赦がない。
数字も、言葉も、逃げない。
設問の見出しが、視界に入る。
Q1 :冒頭5分で「続きが見たい」と思ったか(1〜5点)
Q2 :最初の“変化”にゾクッとしたか(1〜5点)
Q3 :キャラを「推したい」と思えたか(1〜5点)
Q4 :絵が印象に残っているか(1〜5点)
Q5 :この作品を、プレイしたいと思えるか(1〜5点)
その後もいくつかの設問が並び、25点満点での評価となる。
そして、自由記述。
任意:刺さった一文/台詞
任意:読後に残った感情を一言で
「分かりやすさ」ではなく、「衝動」「身体反応」「推し感情」に寄せる。
それが正しい。正しいからこそ、怖い。
◆
14時――会議室。
いつもの席順が揃う。
如月、神谷、三角、乙部、白石、橋本、南雲。
そして、美堂晃一郎――データ班のメンバー数名。
机の中央に、レポートが置かれる。
紙束は二つ。制作班案とデータ班案。
どちらも同じ体裁、同じ厚み、同じ設問。
比べやすいように、同じに揃えられている。
神谷が淡々と言った。
「先に確認。これは外部会社が実施した受容性調査。
対象は一般ユーザー、新規獲得も含めるから、
タイトル未経験者も混ぜてある」
「だから――本当の意味で、生の意見だ。
結果を受けて決める。都合の悪い回答だけを例外扱いするのはなしだ。
そのつもりで読んでほしい」
皆が、静かにうなずく。
自分たちがいくらいいといったところで、
最終的に内容はユーザーに判断される。
そこに異論をはさむことに、意味などはない。
選ばれなかったものは、静かに消えていくだけだ。
神谷がPCを開き、画面を映す。
スライドじゃない、レポートの要約ページだ。
数字は見やすく整理されている。
「回答者、30名。内訳は、既存プレイ経験者、離脱経験者、
未経験者を均等に」
「評価は各5点で5問、計25点満点だ」
神谷の声は、震えていない。
震えていないのに、言葉が遅い。
慎重に、ゆっくりと、現実を運んでくる速度。
「……では、結果に移る」
一枚目。
Q1:冒頭5分で「続きが見たい」と思ったか(1〜5点)
制作班 3.6 / データ班 4.4
会議室の空気が、少しだけ沈む。
誰かが息を吐いたのが分かった。
その音が、やけに大きい。
二枚目。
Q2:最初の“変化”にゾクッとしたか(1〜5点)
制作班 4.1 / データ班 3.9
ひなたの喉が乾く。
ゾクッ――。
それは、作品の芯を刺す言葉だ。
感情の身体反応、ここは、自信があった。
そこが数字に出たことで、調査そのものへの疑いが一つ消えた。
三枚目。
Q3:キャラを「推したい」と思えたか(1〜5点)
制作班 3.6 / データ班 4.4
四枚目。
絵が印象に残っているか。
制作班 4.3 / データ班 4.1
その数字を見た瞬間だけ、ひなたの胸が一瞬浮く。
三枚絵は勝っている。
澪の背中。欠けた澪。仲間の背中。
あれは、残った、ちゃんと、残った。
――でも。
五枚目。
Q5:この作品を、プレイしたいと思えるか。
制作班 3.7 / データ班 4.3
総計。
制作班 19.3 / データ班 21.1
合計を見た瞬間、もう言い逃れはできないと分かった。
(……負けた、のか)
神谷は画面を見たまま言った。
「制作班案は“余韻”が強い。
だが――総合的に見ると、顧客の興味を引いたのは、
データ班の方だ」
神谷は責める響きを一切混ぜなかった。
そのせいで、結果だけが逃げ場なく残った。
橋本が、紙束の端を押さえた。
押さえた指が、わずかに強くなる。
「……数字、綺麗に出ましたね」
美堂は、淡々と頷く。
「はい。設問の方向性がいい。
分かりやすさではなく、衝動と身体反応と推し。
“面白さ”の本体が可視化されています」
美堂は勝ち誇らず、結果の意味だけを正確に切り分けていく。
露骨に喜ばれるより、その方がひなたには苦しかった。
◆
神谷が、自由記述を映す。
先に、制作班案。
「巻き戻りの切なさがいい。後半で泣けそう」
「“積み上げが消えない”に回収するの、最高にエモい」
「澪が泣かないのが怖い。後で効いてきそう」
「好きな人ほど刺さる内容だと感じた」
「面白そうだけど“何が始まるか”が想像しきれなかった」
…………。
どれも、悪くない、むしろ、誇らしい。
刺さっている。
届いている。
だけど――。
“何が始まるか”が想像しきれなかった。
その一行が、胸の奥に残る。
神谷が次に、データ班案の自由記述へ移る。
「最初の一言で掴まれた。『この子を育てたい』と思えた」
「“言葉で記憶を刻む”が直感的に面白い。色々な妄想が膨らむ」
「まっさらが変わるのが気持ちいい。5分で“戻れない”が分かった」
「既存ヒロインが“支える側”で格好いい。ヒロインの成長を感じる」
「新キャラ追加が、物語のテーマと一致してるのがズルすぎる」
「怖いのに前向き。周年の“派手さ”じゃなくて、
“成長の気持ちよさ”で殴ってくれそう」
…………。
読んでいるうちに、ひなたの背中が冷えていく。
怖いのに前向き、成長の気持ちよさ。
直感的に面白い、操作が想像できる。
それは、企画の勝ち筋として完璧だった。
物語の感情とUXが一致している。
商材追加とも一致している。
入口で掴んで、そのまま押し切れる。
そして何より――
コメントの先に、自分が想像するユーザーの姿がそのまま見えた。
(……この結果は、間違っていない)
面白さの設計、ユーザーが何をしたくなるか。
何で「推したい」に火がつくか。
どこで「戻れない」と思わせるか。
それを、ひなたはずっと考えてきた。
考えて、書いて、削って、残してきた。
なのに……。
(それを作ったのは、俺じゃない……)
ひなたの喉の奥が、ひりつく。
言葉が出ない、出したくない。
出した瞬間に、何かが壊れる気がした。
神谷が、会議を締める声を出す。
「……結論。今回は、データ班の案で進める」
会議室が静かになる。
静かすぎて、空調の風が聞こえる。
「進め方は、追って相談する。
俺としては、うまく――」
「いや……この点については、別途、会議で詰めよう」
その言葉をもって、会議は終了となった。
◆
執務室に戻ったひなたは、椅子に座り動けなかった。
言いようのない敗北感じゃない。
結果に納得できている自分に、自分が驚いていた。
「……柏木。顔、上げなさい」
「負けたのは、面白さのレビューよ。
人格を否定されたわけじゃない」
ひなたは、ゆっくり息を吸う。
息が、うまく入らない。
違う。
否定されたのは――俺の存在意義。
それは、人格にも等しいものだ。
面白いものを作る、面白さを立ち上げる。
続きを見たいと思わせる、ゾクッとさせる。
説明したくなる衝動を作る。
それが、仕事だったはずなのに。
(……俺の、仕事だったはずなのに)
会議室の机の上に、レポートがある。
それと向き合って、前に向かっていきたいのに、
どこかで本能がそれを否定していた。
◆
如月はひなたの机から離れると、いつもの仕事の声へ戻った。
「今日中の確認依頼は止めないわよ。急ぎじゃないものは私に回して」
周囲では椅子が引かれ、チャットの通知が鳴り、別の案件が動き続けている。
企画が一つ負けても、仕事は止まらない。
その声は遠い。それでも、内容だけは正確に耳へ入ってくる。
勝てる形にした。やれることはやった。
それでも、負けた。
面白さで。
入口で。
衝動で。
そして、キャラクターで。
ひなたは紙束の端を指で押さえた。
あれだけの時間を詰め込んだはずなのに、指先には厚みしか返ってこない。
(……俺は――)
喉の奥に、言葉が引っかかったまま落ちない。
まだ口には出せなかった。
出した瞬間、自分の中で何かが決まってしまいそうだった。
金曜の夕方、窓から差す光だけが妙に穏やかだった。
ひなたは暗い画面のままのスマホを見ていた。
見ているだけだった。




