敵は、誰だ
「……今日は、雰囲気が重いですね」
夏を目前の時期、ひなたはなぜか寒気を感じて歩みを止める。
緊急会議という名目の元、リーダーレイヤーが朝一に招集された。
会議室の前に居たのは、ディレクターの如月さやだった。
「先輩。今日の内容って、聞いてます?」
「いいえ。私も聞かされていないわ」
制作において、ディレクターが知らないなんてことは基本ありえない。
つまり、意図的に隠しているか……それとも。
「なーによ、神妙な顔しちゃって。ひなたらしくないじゃない!」
考え事をするひなたのほっぺたを、さやが顔をつねる。
思考外からの一撃に、ひなたは思わずのけぞる。
「もう、何するんですか」
「ふふっ……だってひなた、ひどい顔してるから!」
如月さやの表情は明るい。
元来、この人は隠し事なんてできるタイプじゃなかった。
そう思い返し、さや先輩の方へと向き直す。
「そういう事は、気にしなくていいの。さや先輩に、任せておきなさい!」
「……そう言われて、いつもひどい目に遭ってるんですが……」
「仕方ないでしょ。いいものを作るのは大変なんだから♪」
如月さやが、胸を張ってこちらに先輩アピールをしてくる。
「さや先輩の場合は、優柔不断なだけな気が……」
「う、うるさいわね! 大人には、色々事情があるのよ!」
小さな背を、精一杯に背伸びして張り合ってくる辺り、
大人とは何かを問いたくなるが……一応、頼りになるということ
だけは付け加えておく。
くだらない話をしているうちに、気づけば会議の時間が迫っていた。
「冗談はここまで。中ではちゃんと責任者の顔をしてね、ひなた」
「わ、分かってますよ……そのくらい」
如月さやの真剣な表情に、ひなたは一瞬たじろぐ。
「ひなた。これだけは覚えておいて」
「……何ですか?」
「この業界、いまはね――“面白い”より“安定”が勝つの」
「安定って……数字のことですか」
「そう。イベントでどんだけ跳ねても、毎月の売上が安定しないと、
そのタイトルは危険な状態と判断される」
「でも、それは現場とは別の論理だから。
理解する必要はない、でも、知っておいて」
「……はい。分かりました」
「よしっ! 私たちは、やれることをやっている。
自信を持って行きましょう!」
そう言って背中を叩く如月さやの手のひらは、少し湿っていた。
◆
会議室に入った瞬間、ひなたは空気の温度が一段低いと感じた。
冷房が強いというのとは違った、芯が冷えるような感覚。
その感覚には覚えがあった。
12名用の長いテーブル。
壁掛けのモニター、両壁はホワイトボードになっている。
ホワイトボードの端には、消しきれなかった線が残っていた。
誰かが昨夜ここで、消しては書き直し、消しては書き直した跡だ。
この案件の内容なのかは読み解けないが、苦悩の後は見て取れる。
席につくと、プロデューサーの神谷恒一が軽く咳払いをした。
いつもの始め方。だからこそ、余計に怖い。
「……おはよう。朝イチに集めて悪い」
神谷は一度、参加者を見回した。
ディレクターの如月さや。
プランナーリーダーの三角彰人、アートディレクターの白石真弓、
プログラマの矢野真二といった、いつもの制作メンバーだけではなく、
ユーザーサポートの南雲りこ、営業・広報の橋本隆志といった、
制作外のメンバー、そして、ひなたが知らない姿も見られた。
神谷は先に言った。
「最初に言っておく。今日は誰が悪いかを決める会議じゃない。
ゲームを否定する話でもない」
それだけで、会議室の空気がほんの少し緩んだ。
如月さやの肩が、わずかに落ちる。
ひなたは息を吐きかけて、飲み込んだ。
「今日の話は、正直、どう着地するか私自身も検討がついていない。
だからこそ、先に参加者の目線を揃えたい」
そう言いながら、神谷恒一は手元のPCを操作し、
プロジェクターに資料を表示する。
そこに映し出されているのは、厳しい現実だった。
「昨今のソーシャルゲーム業界は、間違いなくレッドオーシャンだ。
かつてのように、いいゲームを作れば売れる。
そう単純な世界ではなくなった」
「そして、クオリティとともに、開発期間や費用も高騰している。
お客様に興味を持ってもらう土台に立つためのハードルは、
年々高くなっている」
映し出された表では、この5年の間に開発費が数倍以上、
数十億から百億にも届く事例が列挙されている。
「そして、我々のゲームが多くの支えの上で成り立ったように、
我々もまた、次世代のゲームを支える存在でなければならない」
橋本隆志が小さく頷く。
南雲りこは、淡々と手元のメモを開いた。
如月さやはペンを持ち直し、責任者の顔に切り替える。
「昔は売上の山を作れれば評価された。周年とか大型イベントなど。
しかし今は、毎月の売上の安定が求められる」
次世代のゲームを支える存在であるため、その言葉が心に響く。
ゲーム会社のの人間なら当たり前の言葉。
しかし、ひなたにとっては、物語の熱を作る仕事と、
売上の安定をさせる仕事が、同じ線の上に並べられる感覚が
未だに馴染まなかった。
「要するに“面白い”と“安定”が両方求められる時代になっている」
神谷の声は淡々としていた。
淡々としているから、逃げ場がない。
「我々の『失くした記憶と学園の鍵』は。山は作れる。
ここは誇っていい、一周年の盛況ぶりを見れば誰もが認めるだろう。
「だが……ここ数ヶ月の売上についてもまた、直視しないといけない」
神谷がPCを操作し、モニターに別のグラフが映し出される。
MAU、DAU、平均プレイ時間、課金額。
ユーザーのプレイ状況を示す折れ線は、静かに右肩下がりを描いていた。
一周年の山があることによって、より顕著に見えてしまう。
「一周年は過去最高だった。これは事実だ。
だが……終わって二ヶ月。月商は3億程度。
「悪くない。けど、うちの中では“先に繋がらない数字”だ。
社内から伸び悩んでいると評価されても仕方ない」
「だから今日やりたいのは、二周年でもう一回当てる話じゃない。
現状をどうやって最大化するか、だ」
神谷の声は厳しくも、正しくひなたたちに向き合おうとしていた。
だからこそ、余計に感じる。
この議論に、異論を挟む余地はないのだと。
「そのために――運営の仕様を、少しだけ変える」
“仕様を変える”。
その言葉が、ひなたの喉の奥に残った。
仕様は便利な言葉だ。変えた瞬間から、それが当たり前になる。
神谷は最後に、念押しするように言う。
「もう一回言う、作品の核は守る。俺も守りたい。
その上で、守り方を変えないといけない段階に来てる。
……そういう話をしたい」
会議室の空気が、静かに揃った。
揃ってしまった、ひなたは、背中の奥が冷えるのを感じた。
神谷の視線が、横へ移る。
「この方は、美堂晃一郎さんだ。
データ戦略チームのリーダーを務めている」
その声に、美堂晃一郎が立ち上がった。
「データ戦略チームの美堂です。
本日は、今後の運用方針についての話をします」
美堂がPCを操作し、画面を切り替える。
先ほどとは違う、右肩上がりのグラフ。
大きく「+50%」の文字が踊り、その下に、売上とコストの棒グラフが並ぶ。
「リリース後三年、我々が運用を再設計したタイトルのグラフです。
このように、結果、売上が5割増で改善しています」
美堂の一言に、会議室の空気が、数字に引き寄せられていく。
「ここで重要なのは、特別な魔法を使ったわけではない点です。
打ち手は既存の枠内。違いは、選定と順番です」
美堂は続ける。
「運用は再現性が必要です。属人性はリスクです。
人の感覚に依存せず、成果が出る形に寄せる。
――それが今の市場での合理です」
属人性。
ひなたの中で、その言葉が“自分の名前”と結びつきかけて、ぞわりとした。
美堂はさらに画面を切り替えた。
細かい文字が、行儀よく並ぶ。
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物語の趣旨提示が遅い(早期に疑似回収)
分岐によるキャラクター変化の価値が伝わる前に離脱(早期体験型に)
物語の山が遠い(毎月の小さな驚きを重視)
キャラクターの魅力の早期提示(すぐ引きたくなる惹き)
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そこには、現在のタイトルが抱える問題点が……
何よりも冷徹に整理されていた。
そしてその内容は、ひなたが新人時代に言われてきたこと。
「理屈は分かる。でも、それって……」
「ユーザーに届く?」
そんなことは、誰よりも自分が分かっていた。
それを改善し、磨き上げてきた自負もあった。
だがその一方で、それは作風だと評価されてきた。
自分もそれが強みだと認識し、高めてきた。
それらすべてが、否定されたような気がした。
間違っているとは思わない。自分たちは、分かった上でこの作り方を選んできた。
それだけのはずだった。
如月が、ほとんど聞こえない声で呟く。
「……本当に……これを実行するの?」
美堂はその声を拾わない。拾う必要がない、という顔をしている。
「作品の骨子は理解しています。だからこそ言います。
骨子も、入口で誤解された時点で、存在しないのと同じです」
その言い方が、ひなたには宣戦布告に聞こえた。
守りたいものを守るために、削れと言われている。
美堂は最後に、視線をひなたに向けた。
「新規流入が見込みづらくなるこの先、
現状案が、もう一度うまくいく根拠はありますか?」
根拠、保証、再現性。
全てが正しく聞こえる。だからこそ答えに窮する。
だが、クリエイティブにおいて、そんなわかりやすい答えなんて、
あるのだろうか。
そんな制作の命題のような問いの答えが一瞬で見つかるはずがなかった。
悔しさと喪失感が、胸の底を冷やす。
自分の作品が、目の前で取り上げられていく。
なのに、奪っている顔をした人間がいない。
敵が見えない。
正しさだけが、そこにある。
――俺の守るべきものは、どこにあるのだ。




