期限、迫る(後)
午後の執務室は、朝よりも少しだけ熱を帯びていた。
人が増えたわけじゃない、音が増えた。
キーボード、紙の擦れる音、椅子が引かれる音。
誰かが短く指示を出し、別の誰かが「了解」と返す。
昨夜の二人の音とは違う。今は、全員の音だ。
「――じゃあ、ここからは作業よ」
「どれだけアイデアが良くても、伝わらなければ意味ないわ。
ここからが本番だと思って、頑張りましょう!」
如月さやが、会議室ではなく執務室の共有スペースに立って言った。
机の上には、今朝の原稿と、企画書の骨子案、
そして白紙の「提出用フォーマット」が広げられている。
「時間、切るわ。いったん17時まで。
そこで一回、全員の成果物を統合して、
資料として“読める”状態にする」
南雲りこが、すでにノートPCを開いて頷いた。
「提出フォーマット、最新版に合わせて整形します。
皆さん、できた順に投げてください。
意図が伝わるレベルでも大丈夫です。私が整えます」
「……制作陣は体裁を気にしなくていいから、とにかく内容!
何を伝えるか、どう伝えるか、それだけに注力して」
「じゃ、各自作業開始!」
如月が手を叩く。
その音を合図に、フロアが一斉に動き出した。
◆
ひなたは、佐久間と並んで原稿データを開く。
画面の白が眩しい。
徹夜明けの目には痛いはずなのに、不思議と嫌じゃない。
「抜粋って、どこから取ります?」
佐久間が言う。声が少し乾いている。
「澪が“欠ける”瞬間は取る。でも、全部は出せない」
「じゃあ、“欠けた”って分かる一行だけ?」
「……いや、一行だけだと説明になる」
ひなたは指先でスクロールを止める。
澪の「間」。呼吸。言葉の前の一拍。
そこを削った瞬間、ただのイベント説明になる。
(削りたくない。だが、削らないと紙面にならない)
如月が横から覗き込む。
「“体験”の核だけ残す。
文章は、読ませるためにあるんじゃない。
引っかけるためにある」
「……分かってます」
ひなたは頷き、原稿の中から「一拍で刺さる部分」だけを拾う。
台詞をそのまま貼るのではなく、企画書としての言葉に変換する。
意図は残して、刺さる形にする、キャッチコピーの要領に近い。
佐久間が横でメモを取る。
「“温度が落ちる”って注釈、企画書に残します?」
「残す。そこは削ると死ぬ」
「了解。……じゃあ、台詞は短くします。
『あなたは……誰――?』は残す」
ひなたが小さく息を吐く。
昨夜、あの一行にどれだけ時間を使ったか。
それを“企画書の部品”にするのは、胸が痛い。
伝えたいことは決まっているのに、できているのに。
それを削らなければいけない。
新人の頃は、意味の分からない作業だと思っていた。
すでにモノがあるのだから、それで判断すればいいのではと。
だが、今になって分かる。
言いたいことを要約できないなら、まだ自分の中でも核を掴み切れていない。
これは、必要な工程なのだ。
広げては削り、削った先でもう一度広げる。
面倒でも、その往復を重ねなければ、自分が見ているものは他人へ渡せない。
少なくとも、ひなたはそうやって答えへ近づくしかなかった。
◆
一方、橋本は紙を広げていた。
企画書の一枚目。空白。そこに、三枚の枠。
「企画書って、読み手の時間の奪い合い――」
橋本が独り言のように言い、ペン先で枠の順番をなぞった。
「見出しがあると、人は安心して流す。
箇条書きがあると、分かった気でチェックを終える。
だから――先に“想像”を起こす」
乙部が横から覗いて笑う。
「橋本さんって意外と熱いんだねぇ〜」
そう言って、橋本の顔を覗き込む。
「乙部さん……急に何ですか!」
「いや〜営業なんて、結局のところ売ってナンボ。
そういう人が多かったからさ〜」
「意外とクリエイターの言い分、聞き入れるんだってね」
「……俺にだって、信念があります。
売るために作品を曲げるのは、本心ではない」
「今回は、イケると思ったから、乗っただけです」
「確かに〜」
「原稿を読んでるとき、ちょっと涙ぐんでたもんね」
「……なっ!」
「あははっ。やっぱそうだったんだ」
「そ、そんなことはないですよ!」
「ま、本人が言うなら、そういうことにしておこうか〜」
乙部に弄られながらも、作業は止めない。
「……もう、時間がないんですから。集中してください」
橋本なりの意地を感じる。
「熱い方が、好感持てるけどな〜」
「常に冷静じゃないと、守りたいものを守れないので」
「いいものが勝手に売れるほど、甘い世界じゃないからね〜」
「ええ。だから、売れる形まで俺が持っていくんです」
橋本は照れを隠すように紙へ視線を戻し、ペンを握り直した。
「三枚で“変化”を先に脳に打ち込む。
文章は、その後に追いつかせる」
「この作品の“核”を、惜しみなくアピールする」
三角が向こうの席から顔を上げる。
「それ、ゲーム側の導線にも使えます。
ログイン画面の告知、SNSの固定ポスト、
バナー差し替え……全部統一できる」
「ええ。統一できるのは強みです。コンテンツが溢れてる今は、
バラバラに打つと埋もれます」
橋本が即答する。
その言葉は、今朝までの“壁の外の声”じゃない。
同じ戦場に立っている人間の声だった。
◆
17時。
南雲の席に、資料が集まり始めた。
ファイル名が増えていく。更新履歴が積み重なる。
「……統合、入ります!」
南雲が言うと、如月が立った。
「一回、止める。できてるものから調整していく。
企画書として読める形にしていくわよ」
フロアの空気が、わずかに張り詰めた。
皆、バラバラに作業をしていたのだ。
調整だけでどうにかなるのか、その不安が付きまとう。
南雲が画面を見せる。
三枚の枠、短文、箇条書き、
そして「誓約同調」へと繋がる構造。
「……読み順、こんな感じです。
三枚→短文→箇条書き→最後に設定名」
橋本が頷く。
「悪くない。……ただ」
その言葉で、ひなたの背中が硬くなる。
橋本は、短文化された文章を指先で叩いた。
「ここ、もう一段“何が起きるか”が分かる一行が欲しい」
時間がない中でも、ギリギリまで粘って最適解を探す。
それができなければ、この世界では生きていけない。
「一行で説明した瞬間に装置になる、
って言ったのは橋本さんでしょ」
三角が苦笑いで言う。
「分かってます。
だから“説明”じゃなく“約束”にしたい」
橋本は目を細めた。
「この企画で、ユーザーが得られる体験の約束。
ネタバレにならない範囲で“戻れない”が分かる一行」
乙部が、楽しそうに言う。
「ほうほう。売りの一文、じゃなくて。
体験の約束の一文ねぇ〜」
「モノは言いようだけど、具体的にはどうしようか〜」
視線が、ひなたに向けられる。
そう……ここは、俺の、俺だけの領域だ。
「……“強くなる代わりに、何かが欠ける”は?」
橋本が首を振る。
「抽象が強すぎる。どの作品でも言える」
「じゃあ……“守るために、守る理由を失う”」
佐久間がぽつりと言う。
声は小さいのに、空気が一瞬止まった。
南雲が息を吸う。
「……それ、刺さります」
如月が目を細めた。
「確かに。言葉の矛盾が……想像を掻き立てるわね」
橋本が、そこで初めて笑うでもなく、肯定の表情をした。
「――それです。ネタバレじゃない。でも、戻れない」
三角が頷き、ゲーム側の言葉に落とす。
「それ、見出しにできます。
“守る理由を失っても、彼女は守る”。周年の重さが出る」
南雲が即座に打ち込む。
「一文、確定で入れます。
見出し位置は三枚の下、短文の頭に」
◆
18時を過ぎると、世界が加速する。
提出の時間が近づくと、全員の視界が狭くなる。
白石から、ラフが一枚届く。
背中の澪。警報灯。結界の亀裂。
“守る”が一発で分かる構図。
「……いい」
ひなたが言うと、白石は返事を返さず、次の線に潜っている。
その沈黙が、頼もしい。
二枚目、同じ構図。
目だけが遠い、泣かない。温度が落ちる。
説明してないのに、“欠けた”が分かる。
三枚目。
仲間の背中。澪の手が止まっている。
武器は握っているのに、出られない。矛盾が刺さる。
橋本が、紙面に貼った状態を確認して言う。
「これなら、企画書だけで勝負できます。
読む前に引っかかる」
如月が頷く。
「……よし。これで行きましょう」
◆
18時58分。
南雲の画面で、ファイル名が最後に更新される。
「提出用PDF、書き出しました!」
「送って」
如月が言う。
送信ボタンの上で、一瞬だけ指が止まる。
その一秒に、今日の全部が詰まっているように見えた。
――勝てる形にした。
だが、それでも不安は消えない。
これで足りるのか。もっと上はないのか。
思考を止めたら負けだ、と誰かが言っていた。
如月が、送信した。
「……提出、完了」
その言葉と同時に、フロアの音が一瞬だけ途切れる。
そして次の瞬間、誰かが小さく息を吐き、椅子にもたれた。
佐久間が、乾いた笑いを漏らす。
「……終わったぁ〜!」
三角が笑う。
「今日、長かったっすね」
乙部が両手を上げる。
「おつかれさま〜!」
橋本が、端末を見たまま言った。
「……データ班、もう提出済みたいですね」
その一言で、空気が少しだけ変わる。
見えない相手。見えない案。
週明けまで、互いに中身は見られない。
如月が短く言った。
「週明け、データの案を待ちましょう」
ひなたは、画面の一文を見つめた。
――“守るために、守る理由を失う”。
守った、形にした。
でも、勝てるかは分からない。
それでも。
やれることは、すべてやり切った。
フロアの照明が少しだけ落ちる。
金曜の夜が、会社の外で始まっている。
ひなたは、スマホの画面を一度だけ見た。
未読の通知。どうでもいいニュース。
それを、伏せる。
今は、見ない。
勝負の前に、心を散らしたくない。
「……疲れたぁ〜」
ここまでの張りつめた緊張が解け、
疲れが一気に襲ってきた。
週明け。
社内レビューで、どちらが選ばれるか。
ひなたは、紙の束の端を指で押さえた。
薄いのに、重い。
(……勝てる形にはした)
あとは、週明けだ。




