証明するしかない(後)
「戦闘シーン、完成しました」
一時間後、佐久間が淡々と報告する。
声の高さが変わらないのが逆に怖い。
「共有に置きました。key_1.5event_battle01_preです」
ひなたは視線だけで頷く。
画面には、澪の台詞がまだ出ていない。出せない。
台詞は、感情の結果だからだ。先に結果を書くと、嘘になる。
「柏木さん、冒頭の澪のシーン終わりました?」
「……終わった」
ひなたは、息を吐くように言った。
「じゃ、それを参考に書きます。
鍵片を嵌める前まで、つなぎます」
佐久間は椅子を引いて座る。
迷いがない。決めた通りに手足を動かすだけの速度。
「先輩は、次の肝だけ見てください。
澪が“欠ける”瞬間と、仲間が前に出るところ。
そこだけは、俺が触ると嘘になるんで」
ひなたは、返事の代わりに画面を切り替えた。
共有サーバーのファイル一覧。
佐久間のファイルが増えている。数字が増える。kbが増える。
◆
ひなたは、澪のシーンだけを開いた。
そこには、まだ「空白」がある。
警報の赤、結界の亀裂。
澪の目が、遠くなる。
“何か”が消える――その描写は、派手にできる。だが、しない。
派手にすると、ユーザーは理解した気になる。
理解した気になった瞬間、体験は死ぬ。
(静かに。静かに刺す)
指が動く。
一行書く。消す。
また一行。残す。
残した一行が、次の一行を呼ぶ。
時間の感覚が薄れていく。
空調の音が遠くなる。
フロアの灯りが、海の底のように揺れる。
ひなたは、闇の中で文字だけを見ていた。
文字の向こうに、澪がいる。
澪が呼吸している。息を吐く癖。言葉の前の一拍。
それが、感じられる。澪と感覚の一部を共有しているかのように。
今夜は、澪がひなたの心と同期しているようだった。
◆
「……柏木さん」
佐久間の声で、ひなたは一度だけ瞬きをした。
「鍵片を嵌める直前まで、つないだんですけど。
ここ、後半の展開が見えるまで、俺は一旦止めます。
なんだか、上辺だけのセリフしか書けなくて」
「すまない……分かった」
明らかに、常軌を逸した書き方だ。
隣にいるのが、佐久間じゃなければ成立しないだろう。
だが、ここまで共に物語を紡いできた佐久間にだからこそ、
任せられる。
ひなたは画面の端に、短く打つ。
この先の要旨をまとめる。
『欠ける瞬間:泣かない。温度が落ちる。視線が遠い。
“誰に言ったの?”で刺す』
それだけで、また意識が執筆に落ちていく。
佐久間は立ち上がり、コーヒーを取りに行った。
戻ってくると、ひなたの背中を見て、ほんの少しだけ足が止まった。
(……やばいな)
声に出さずに、思った。
背中が動かない、肩が上がらない。
なのに指だけが、狂ったように正確に動く。
ひなたの画面には、文字が増え続けている。
消しているのに、増えている。
削っているのに、濃くなっていく。
佐久間は、その場で一瞬たじろぎながら、共有サーバーを開いた。
先輩のファイルを探す。ファイル名は、いつも淡々としている。
key_1.5event_story01
クリックして、開く。
◆
――読んだ瞬間、喉の奥が乾いた。
澪が、欠ける。
欠けたのに、前に出る。
怖いのに、泣かない。
泣かないからこそ、怖い。
文章が、説明していない。
なのに、分かってしまう。
「分かってしまう」ことが、恐怖になって返ってくる。
佐久間は思った。
これ、資料じゃ伝わらない。
でも――これを読んだら、止められない。
(……勝てないなぁ)
佐久間は、そっとファイルを閉じた。
閉じたのに、胸の中に残っている。
残ってしまうものが、強い。
「……先輩」
ひなたは返事をしない。
返事がない、というより、返事をする余裕がない。
闇に落ちている。闇の奥で、澪と話している。
佐久間は椅子に座り直した。
そして、自分のファイルを開く。
「じゃあ……次、書きます」
ひなたが刺したところから、繋ぐ。
繋ぎは情報で組める。
移動、状況、会話の橋渡し。
ひなたが次の“刺す”場所へ戻れるように、地面を固める。
「僕は……僕のできることをやるだけだ」
キーボードを叩く音が、また二つになる。
夜は深くなる。
空調は変わらず、オフィスは静かで、世界は狭い。
それでも二人の画面の中でだけ、学園が軋み、結界が割れ、
澪が前へと進んでいった。
◆
午前三時。
共有サーバーのフォルダに、ファイルが増えていく。
key_1.5event_story01_pre01
key_1.5event_story01
key_1.5event_story01_pre02
key_1.5event_story02_pre01
key_1.5event_story02
key_1.5event_story02_pre02
……
佐久間は一度だけ画面を見上げた。
ひなたの横顔は、微笑んでいるように見えた。
(早死にするタイプ、って言ったけど……)
佐久間は、心の中で訂正した。
(これ、死なないやつだ)
(死なない代わりに、全部持っていくやつだ)
怖い。
けれど、頼もしい。
佐久間は、もう一度キーボードを叩いた。
勝てないなぁ、と思いながら。
二人の夜が、まだ続く。
◆
午前六時。
ブラインドの隙間から、薄い光が差し込んでくる。
夜のあいだ無限に続いていたはずの暗さから、
突然の終了宣言をされたみたいだった。
空調の風は変わらない。
変わったのは、指先の重さだけだ。
ひなたは、エンターキーを押してから、しばらく動けなかった。
画面の右下の時計が、現実の時間を主張している。
現実、という単語が、やけに遠い。
「最後のファイル……確認終わりましたぁ」
声がして、ひなたはようやく瞬きをする。
佐久間だった。
声のトーンは平坦なのに、目だけが死んでいる。
いや、目だけじゃない。
頬も、口角も、全部が疲労に引きずられている。
一方で、本人はそれに気づいていない顔をしていた。
ひなたは、椅子の背に頭を預けたまま、共有サーバーを開く。
key_1.5event_story01_fix
key_1.5event_story02_fix
key_1.5event_story03_fix
key_1.5event_story04_fix
key_1.5event_story05_fix
……
見慣れない数字が増えている。
増えたファイル数が、そのまま夜の長さだった。
「柏木さんの方の調整は……終わりそうですか?」
「ああ」
「よーし、終わったぁ……!」
佐久間の大声が、誰もいないフロア中に響き渡る。
そのまま、佐久間が机の上に突っ伏す。
「……お前、ひどい顔してるぞ」
ひなたが言うと、佐久間は一拍遅れて、自分の頬を指で触った。
「え? 僕、そんなヤバいです?」
「今にも死にそうな顔してる」
「それなら、柏木さんもですよ」
佐久間はそう言いながら、ひなたの顔を見て――笑った。
笑うというより、乾いた息が漏れたみたいな笑い方だった。
ひなたも、それにつられて口角が動いた。
鏡がないのに、自分が今どんな顔をしているか、分かる気がする。
「……ひどいな、俺ら」
「ひどいですね」
「……でも」
「でも?」
「……書いた」
それだけを言う。
それだけで十分だった。
佐久間は、椅子の背にもたれて、天井を見上げる。
目の焦点が合っていない。
それでも、どこか満足そうに息を吐いた。
「……マジで、書きましたね」
「お前もな」
「いや、俺は繋いだだけです」
「いや、そんなことない。結構、好き勝手書いてくれたな」
「あー、今はそういうのいいです! 聞きたくない!」
佐久間は、小さく笑う。
二人は、モニターの角を見た。
その視線の先には、1,5周年のファイル名が並んでいる。
「絶対、伝わりますよ。この熱量」
「ああ、そうだな」
「無謀さの方は、きっと伝わらないと思うと癪ですけど!」
「確かに……そうだな」
そういいながら、また二人は笑いあう。
ひなたはマウスを動かして、最後のファイルを開く。
スクロールの一番下。
ラストの行が、そこにある。
鍵片が持つ記憶、それは――誓約同調。
画面の文字が、朝の光に晒されても薄くならない。
むしろ、夜よりくっきりしている。
「先輩、早死にするタイプじゃなかったっすね」
「……じゃあ、何だよ」
「死なない代わりに、周りを巻き込んで生き延びるタイプ」
「最悪だな」
「最悪です」
佐久間が立ち上がって、伸びをする。
関節が鳴る音が、やけに大きい。
「僕は……始業まで寝ます!
柏木さんは、どうします?」
「俺は、もう少し見直しをしてるよ」
「ははっ、本当……敵わないなぁ」
佐久間が、こちらを真剣な目で見つめてくる。
「先輩――」
「……ん?」
「絶対に……通してくださいね」
「ああ、もちろんだ」
オフィスの朝が始まる気配が、少しずつ濃くなる。
ひなたは椅子に座り直して、画面をもう一度見た。
そこには澪がいて、静かに笑いかけているように見えた。




