反応はどうだ?
付箋に書いた『仲間』という文字が、朝の光の中で少しだけ浮いて見えた。
昨日、勢いで貼ったくせに、今朝になると急に恥ずかしい。
だが、剥がさない。
クリエイターなんて、これの繰り返しなのだから。
時計を見る。
いつの間にか、家を出る時間が近づいていることに気づく。
ゲーム業界は遅刻が多く、寛容な会社も多い。
「昔はよく、遅刻してたな……」
ひなたも、若いころはよく遅刻をしていた。
残業続きの中、どうしても体が着いていかないことがあった。
だが、今のポジションになってから自然とそれはなくなっていた。
働き方に大きな差はないはずなのだが、それは覚悟からなのか、
ブラックな仕事に慣れたのか、その理由は定かではない。
「よし、行くか」
スーツの袖を通して、玄関の鍵を回す。
外はまだ熱気を帯びる前で、徐々に意識がはっきりしてくる。
駅までの道で、頭の奥が少しずつ起きてくる。
眠い、というより、張り詰めていく感じだ。
自分の案はどう評価されるのか。
似た状況を何度経験しても、この緊張感だけは慣れない。
◆
会議室の扉の前で、ひなたは一度だけ深呼吸する。
大丈夫、やるだけのことはやったんだ。
そう自分に言い聞かせるように。
「……よしっ!」
意気込んで、会議室の扉を開ける。
自然と、今日という日への覚悟が出来ていた。
◆
ホワイトボードの前には、南雲りこが立っていた。
黒のマーカーがキャップの音を鳴らして、机に置かれる。
「おはようございますっ!
今日の議題、事前にまとめました!」
南雲の明るい声に、空気が一段軽くなる。
すでに会議室には、メンバーが揃っており、
ホワイトボードには、今日の議題が簡潔に書かれていた。
午前中の会議は制作が主導だ。
昨日までの“抽象”を、今日ここで“形”にする。
その核となるのは、ひなたのシナリオ案だ。
如月さやが、いつもの調子で言う。
「じゃ、まず最初に。制作班の案の読み合わせから」
「すでにデータでは送ってるから、目は通してると思うけど。
これが今日の“叩き台”。これを企画書に落とす」
ひなたは頷いた。
南雲がホワイトボードに書き写した文字の上から、如月が読み上げる。
「タイトルは、『誓約同調――澪の戦う意味』」
◆
私立・鍵守学園。
結界が軋み、校内放送が割れる。
“虚”の襲来――それは、倒しても終わらない、世界崩壊の兆候。
天音澪は前に出る。いつも通り、仲間の盾になるために。
けれど今回の敵は、いまの彼女たちでは止めきれない。
学園に残された、通常ではありえない数値を示す、未知の鍵片。
鍵片は失われた力を取り戻す“鍵”
――同時に、失われた記憶の欠片でもある。
用途不明の鍵片を使用することは大きなリスクを伴う。
許可できなかった。
学園の“鍵守システム”が、それを禁じていた。
“虚”により、多くの犠牲が生まれる。
選択する余裕は、無かった。
澪は守るもののために、指令を無視して鍵片を嵌める。
その瞬間、澪の瞳から“何か”が消えた。
「あなたは……誰――?」
力を得た澪は、戦いに出る。
守るものを忘れ、それでも前に出る。
その姿は強い。けれど同時に、怖い。
――彼女は今、何を守っている?
世界か、使命か、日常か。
答えは綺麗すぎるほど正しいのに、どこか足りない。
やがて、戦況は追い込まれていく。
仲間たちも、澪を支えるため、戦いに出る。
勝てない戦いと分かっていても。
戦況が崩れ、撤退命令が飛ぶ。
それでも仲間たちは退かなかった。
勝てないと分かっているのに、澪の前に立つ。
その選択は、澪が鍵片を嵌めた瞬間と同じだった――
“正しい命令”より、“失いたくない何か”を優先する選択。
澪の中で、欠けたはずのものが、形を持ち始めた。
「……仲間」
その瞬間、澪の体が光に包まれた。
光は澪から“仲間”へ渡る
――言葉じゃない、同じ怖さを抱いた想いが伝わる。
その力によって、“虚”を倒すことに成功した。
鍵片が持つ記憶、それは――誓約同調
想いを力に変える能力。
◆
読み上げ終わった直後、静けさが会議室を包む。
誰も喋らない、この瞬間が一番緊張する。
乙部が真っ先に声を上げる。
「うわぁ……いいじゃん~!
切なさと澪の優しさが伝わってくる~!」
南雲も、目を輝かせたまま頷く。
「はい! 皆さんからのお題も解決しながら、
とてもいい内容になっていると思います」
ひなたは、胸の奥の硬さが少しだけ溶けるのを感じる。
そして———
「……絵が見えます」
白石が、ぽつりと呟いた。
声は小さいのに、全員の視線が集まる。
「警報の赤、結界の亀裂、鍵片の冷たい光。
澪の目が、一瞬だけ“遠くなる”
澪が、澪じゃなくなる瞬間……」
「派手な爆発じゃないて、“変化の瞬間”が静かだから、
観てる側が勝手に怖くなる……」
如月が、ふっと笑った。
「企画書に添えるイラスト……ラフでいいから用意できる?」
「はい! やってみます」
ひなたにとって、その言葉は最大の賛辞に感じられた。
(後は……)
その一方で、三角は腕を組んだまま、ホワイトボードを睨んでいる。
昨日までなら、そこから“足りない”の矢が飛んできた。
でも今日は、違った。
三角は、ペンを取って言った。
「……内容、理解できました」
「昨日の段階で、“変わる”が演出で終わる危険がある、
そう言ったじゃないですか」
「でも今の叩き台、さっき白石くんが言ったように、
明確にそのシーンが浮かぶ」
「昨日の懸念、解消されている認識です。
俺も、この案でいけると思います!」
その声を聞いて、ひなたは肩をなでおろす。
三角の声が昨日とは違い、弾んでいた。
それが、言葉以上に案への賛同を表しているように感じられた。
「ここを“イベントの顔”にしましょう。
PVでも、バナーでも、最初にここを見せる。
澪が“欠けた”って、ユーザーに分からせる」
ひなたは、やっと口を開く。
「俺は、ここを“悲劇”にしたくはない。
澪の芯がむき出しになる瞬間として書く」
三角が頷く。
「それでいいと思います。
“可哀想”じゃなくて、“覚悟”が見える。
それだけ、守りたいものが強く感じられます」
白石が、間髪入れずに言う。
「欠けた瞬間に、澪の表情は泣かせないほうがいいかも。
泣かないから怖い、って方向で」
「……はい、そのイメージです」
物語のすべてを伝えることはできない。
それでも、こうやって読み解いてもらえると、
シナリオライター冥利に尽きる。
南雲が手を上げる。
「じゃあ、企画書の骨子に落としましょう!」
如月が頷いた。
「午前中で、制作側の企画書を完成させる。
午後は、プロデューサーと営業と制作進行を入れて通す」
乙部が両手を叩く。
「よーし、午前のうちに“勝てる形”にしちゃお~♪」
三角が、ひなたの方を見て言った。
「先輩、ここからは俺たちの仕事です!」
「ああ、任せた!」
如月が、軽く手を叩く。
「じゃ、いくわよ。
企画書に落として、“伝わる形”にする」
「はいっ!」
全員の声が重なり、その勢いのまま議論が始まった。
案をベースに、様々な施策が検討されていく。
話が弾む、ベースとなる案がいいと皆が感じている証拠だ。
(良かったぁ~~~!)
ここまでの疲れが一気に晴れていく。
この瞬間のために、この仕事をやっているといっても過言じゃない。
だが、ここはまだスタートラインだ。
ここでできることは、全部やる。
ひなたは、気持ちを引き締めなおす。
(これで良かったんだよな、澪――)
その問いかけに対して、澪が微笑んでいるように感じられた。
後は、午後の会議だ!




