第37話 白いドレスと黒い衣装
「フロムー、逢いたかったよー」
「うざいから離れろっ」
「やだ……どこにもいかないで……」
「こいつは……お前が下手こいて勝手に営倉行きになったんだろっ!!」
フロムは抱き着いてくるニコを両手で押し返す。
「あー、フロムの匂いだ……」
「恥ずかしいこと言ってんじゃねえっ!! ニコの方こそ臭いぞっ!! 舞踏会場の警備まで時間がねえんだ……早く水浴びして来いっ!!」
「あー、フロムに怒られてる……えへへ」
プチン
「てめえ、いい加減にしろっ!!」
キレたフロムのげんこつがニコの頭にさく裂する。
「いったーい……痛いよフロム」
「お前がバカやってるからだ……良いから水浴びに行けよ……ドレスとか用意しておいてやるから」
「う、うん……ありがと」
ニコは渋々といった表情でフロムから離れる。
そして着替えを持つと、水浴びに向かおうとする。
そんなニコの背中に、フロムが語り掛ける。
「……お帰り、ニコ。同じ任務に復帰できて良かったな」
「……うん」
ニコは大きく頷くと、走る様に水浴び場に向かって行くのだった。
◆
ジェシカの元に伝令があってから暫くして、申し訳なさそうな顔をしたニコが現れたのは一時間ほど前の話だった。
ジェシカとしては言いたい事が山ほどあったが、ぐっと我慢して辞令だけを伝えた。
「ニコレット・フォン・アスターハイム。任務への復帰を許可する……励め。以上だ」
「ジェシカ班長……ううっ」
「泣くな、ばか。我々も暫くしたら王宮へ向かう。早く水浴びをして着替えてこい」
「は、はい」
「言いたい事は山ほどあるが、今は王女殿下の警護が最優先だ。分かっているな」
「はい」
ニコは涙でグチャグチャになった顔で騎士の礼をする。
ジェシカはそんなニコを見て苦笑しながら答礼する。
「(こんな奴でも、いないと寂しいからな……)」
ジェシカはニコに近づくと、思い切り背中を叩く。
「痛っ!!」
「早く行け。遅刻なんて、もっての外だぞ」
「はい、承知しました」
◆
「そんなやり取りがあったんだよ……その途中でフロムに逢っちゃったら……なんだか心の中がぐちゃぐちゃになって、気が付いたら頭を叩かれてた」
「お前が叩かれるようなことをするからだよ……こんにゃろ」
「し、締まるって……きついよ、フロム」
「コルセットは締める為にあるんだよ……ほら息を吐け」
「ギ、ギブ、ギブ」
ニコがフロムの手を叩く。
「何の呪いだよ……よし、そこで息を止めてろ」
フロムがニコのコルセットを締めあげる。
「よし、次はドレスだな……とはいえ、あたし達に用意されたのはこれだけだけどな」
フロムはハンガーに掛ったドレスを指さす。
「どれにする?」
「じゃあ、その白い奴」
「白か……姫様のドレスの色と被らないか?」
「被るかもだけど……デザインが全然違うからセーフだよ」
「せーふ? まあ、お前が良いっていうならそれにするか……悪目立ちすんなよ」
「しないって」
フロムがハンガーから真っ白なドレスをニコに手渡す。
「えへへ。ちょっと花嫁さんみたい」
「姫様と比べたら至高とチンチクリン位の差があるけどな」
「ひどっ……でもフラウに比べたら、そんなもんかも」
真顔でそう言うニコに、がっくりと肩を落とすフロム。
「お前なんでそんなに自己評価が低いんだろうな……」
「ん?」
ニコは訳が分からないという顔をする。
「まあいい、早いとこ着替えちまおうぜ。ほら、背中を向けろ」
「う、うん。ありがと」
そしてフロムはニコの着付けを手伝うのだった。
◆
王都の貴族街。
地方の貴族が王都に滞在する為に用意しているタウンハウス。
とある地方貴族のタウンハウスに、アグネスの姿があった。
アグネスは応接室に設えられたソファに深く背中を預け、じっと天井を見つめていた。
アグネスの向かい側には老齢の男性がソファに浅く腰掛けている。
屋敷で働くメイドが、お茶のセットを乗せたワゴンを運んできた。
アグネスはその方向に顔だけを向ける。
メイドは淡々とお茶の用意を行う。
暫くすると応接室にお茶の芳醇な香りが漂い始める。
メイドがティーカップにお茶を注ぎ、アグネスの前にソーサーに乗せて差し出す。
そしてシュガーポッドとミルクポッドを置いて、一礼してから立ち去っていく。
「……見事なものだ……作法も、お茶も……」
「アグネス様に褒めて頂けるとは……このフランツ、恐縮の極み」
アグネスはシュガーポッドから砂糖を一匙掬ってティーカップへ入れる。
ミルクも適量を注いで、スプーンでゆっくりかき回す。
一度香りを楽しんでから、お茶を口に含む。
「美味しい……何故だろう……懐かしい味がする」
「それは奥方様が好まれた茶葉でございます……あの日以来、長らく封印しておりましたが……アグネス様がいらしたのを機に、封印を解きました」
フランツはそう言って穏やかに笑う。
「フランツはわたしの母の思い出があるのだな……羨ましいものだ」
「アグネス様……」
「わたしはその頃赤子であったのでな……母の記憶が無い……もちろん父の記憶もだ」
「……」
「そんな顔をするな……わたしは皆に感謝しているのだ……わたしがこうして生きながらえているのも、皆のおかげなのだから」
アグネスはそう言って、一口紅茶を飲む。
「フランツこそ良いのか……わたしに加担することは、王家に弓を引く事と同じなのだぞ」
「何を仰います……我らフェアチャイルド家の家臣は皆、アグネス様と心を同じにしております」
そう答えるフランツの目は、アグネスの向こう側に、フェアチャイルド夫妻を見ているようだった。
アグネスはその視線から目を逸らす。
「(もう計画は止まらない……あの日から始まったフェアチャイルド家の復讐は……誰にも止められないのだ)」
そう呟くアグネスの脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がる。
屈託なく笑い、ご飯を頬が膨らむほど頬張り、人の悲しみを自分の悲しみのように感じられる一人の少女。
「わたしも、あんな風になれたのだろうか……」
アグネスの独り言にフランツが二度ほど瞬きをする。
「さて……そろそろ着替えるか……例のものは用意できているか?」
「はい……しかし、本当によろしいのですか……男性の衣装をお召しになるなど……」
「良いんだ……フランツの用意してくれた招待状は、本来フランツの息子用だろ……女のわたしがそれを使う訳にはいかないだろう?」
そう言ってアグネスが苦笑する。
「アグネス様……」
フランツは申し訳なさそうに頭を下げる。
「それに、この方が驚かしがいがあるしね……ちょっとした意趣返しさ」
アグネスはそう言ってソファから立ち上がる。
「サイは……投げられたのさ……ニコ」
アグネスはそう言うと、着替えの為に部屋を出て行くのだった。




