第26話 最後の朝
ヴァスケスがマンホールの蓋の部分までたどり着く。
幸い蓋は石ではなく木製であったが、かたく固定されていた。
「くそっ、此処までか……」
ヴァスケスは思わず蓋に拳を叩きつける。
するとヴァスケスの拳が木製の蓋にめり込む。
「(なんだ……この蓋、腐ってやがるのか!!)」
ヴァスケスは穴の上部に留まり、ひたすら蓋を殴りつける。
殴る度にバラバラになった木片が穴の下に向かって落下していく。
「壊れろ、このっ、このっ!!」
蓋の数か所が崩れ落ち、外の明かりが漏れ始める。
そして下からも聞きたくない男達の怒声と足音が聞こえ始めた。
「あと、少しっ!!」
ヴァスケスは強引に手を突っ込むと、渾身の力で掴んだ木材をへし折る。
バギッ
鈍く湿った音を立てて蓋が半壊して下に落下していく。
「この大きさなら、抜けられる」
そして今の音を聞きつけた連中も穴の真下までやってきた。
「エイッ」
ヴァスケスは蓋に空いた穴に頭を突っ込む。
「(何とか、ぬけられるかっ!!)」
身体を揺すりながらヴァスケスは穴を潜り抜けようとあがく。
頭と右の肩が穴の外に出る。
「あと少しっ!!」
右手に渾身の力を込めて、身体を持ち上げる。
その甲斐もあって左肩も穴の外に出た。
「畜生っ!!あと少しっ!!」
両腕で身体を持ち上げる。
その時、ヴァスケスの足を掴むものが現れた。
「ひゃああああっ!!」
穴の下から無数の手が伸びてくる。
それは足を掴み、バタバタ動くヴァスケスを穴の中に引きずり込もうとする。
「てめえ、誰だか知らねえが、放せ、放しやがれっ!!」
足を掴んでくる手を、もう片方の足で蹴飛ばす。
すると今度は蹴飛ばした方の足を掴もうとしてくる。
「下が見えねえからっ!! 触るんじゃねえっ!!」
ヴァスケスが必死になって大声を上げていると、騒ぎを聞きつけた騎士団が駆け寄ってきた。
「何をしているっ!?」
「見りゃあ分かんだろっ!! 引きずり込まれそうになってんだよっ!! 助けろっ!!」
「引きずり込まれる? どういうことだっ!?」
駆けつけた騎士達は地面から上半身だけが出ているように見えるヴァスケスを、どう扱ってよいか分からなかったのだ。
「説明は後からするから引っ張ってくれよっ!!」
騎士達はもう一度顔を見合わせると、今度はヴァスケスに近づいてきて、ヴァスケスの両腕を掴む。
「引くぞっ!!」
「早くやれよっ!!」
騎士達が、渾身の力でヴァスケスを穴から引きずり出そうとするが、ヴァスケスの腰が引っかかって引き抜く事が出来ない。
「くそっ、尻が引っかかって抜けんぞっ!!」
「どんだけでかい尻してんだよ」
ヴァスケスが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「お前ら、助かったら絶対殺すっ!!」
「何だよ、助けてやってるのに」
「悪かったよ、引っ張ってくれよっ!!」
そして悪戦苦闘の果て、ヴァスケスの身体が地上に引きずり出された。
其処にコリーナたちが駆け寄ってきた。
「ヴァスケスっ!! 無事だったのかっ!?」
「あんまり無事じゃねえ……尻がひっかき傷だらけだ……」
「ヴァスケス……」
「って、そうじゃねえ、アレクシア団長は何処だっ!?」
ヴァスケスがコリーナに向かって叫ぶ。
「だ、団長ならお前を探しに地下道に入っていったぞ」
「そうか……じゃあ、こっちの指揮官はコリーナだな?」
「それは、そうだが……」
「地下でヤバい計画が動いているぞ。団長を呼び戻せっ!!」
ヴァスケスのいつにない剣幕に、コリーナは思わず頷いてしまう。
「あとな……アグネスが裏切った……」
その言葉に、ヴァルキュリア騎士団の騎士達が凍り付いたように動きを止める。
誰一人、すぐには返事ができなかった。
「だから、早く団長を呼び戻せ……」
コリーナは、素早く伝令を団長の元に向かわせる。
ヴァスケスはコリーナに静かに語りかける。
「オレが出てきた穴があるだろ……あれに似た奴が市中のそこかしこにある……警戒が必要だ……」
◆
翌朝。
フラウセリアが目を覚ますと、ベッドの脇にニコの姿が無かった。
ただ、ベッドの横には小さな椅子が置かれたままになっていたので、昨夜の出来事が本当だったことを物語っていた。
「(そうだ……昨日の夜……ニコに手を握ってもらって……そのまま眠っちゃったんだ……)」
フラウセリアがゆっくりと上半身を起こす。
ベッドサイドに置かれた小さな机の上のベルを鳴らす。
するとすぐに扉が開き、エステルと女性騎士が部屋に入ってきた。
「ニコ……ではないのですね……フロム」
「ニコは夜勤でしたので……」
フロムは無言で騎士の礼をとると、定位置である扉の横に移動する。
エステルがフラウセリアの横に傅き朝の挨拶をする。
「フラウセリア様、おはようございます。今、着替えの支度をいたしますね……」
そう言ってからエステルは立ち上がり、窓を覆っていたカーテンを開けていく。
朝の柔らかい日差しがベッドの上に緩やかな陰影を作り出す。
エステルが振り返り、フラウセリアに話し掛ける。
「フラウセリア様、本日は王宮に移動となります……」
エステルの言葉にフラウセリアがハッとした表情になる。
「(この部屋で過ごすのも……今日が最後なんだ……)」
フラウセリアは、今日からは王宮で過ごす事になる。
婚約披露舞踏会の後は、レオンハルトと共に帝国に向かう事になる。
「(最後の日の朝にニコがいないのはちょっと寂しいけど……後でまた会えるよね)」
フラウセリアは小さくこぶしを握ると、静かにベッドから立ち上がる。
そしてエステルが待つ鏡台の前に移動するのだった。
◆
ニコは詰所の仮眠用のベッドの上に居た。
夜中にフロムと任務を交代して、その後は詰め所で待機をしていたのだ。
「(結局、色々考えてたら、眠れなくなっちゃったよ……)」
今日は、フラウセリアが王宮に向かうので、その時に同伴するまでの間、少し時間があった。
「(……まだ早い時間だし……アグネスの事も気になるし……コリーナ小隊長の所に行ってみようかな……)」
ニコはそう考えると、ベッドから起き上がる。
ハンガーに掛けておいた制服に腕を通し、素早く身支度を整える。
そしてニコはヴァルキュリア騎士団の本部に向かって走り出すのだった。




