第8話 幸せを縫う針
■幸せを縫う針
離宮のフィッティングルーム。
大きな部屋の片隅で、エステルとニコが向かい合っている。
「ニコ……慎重にね……」
「う、うん」
そう答えるニコの指先には、絆創膏が沢山貼られていた。
ニコは慎重にウェディングドレスに刺繍を施しているのだった。
刺繍を始めた頃は、指に針を刺しまくっていたニコは、ドレスを汚してはいけないという理由で刺繍の特訓を受ける事になったのだ。
その特訓の成果が、絆創膏だらけの指先で、今日はやっとエステルの監視の元、ウェディングドレスに刺繍をすることが許されたのだった。
「うー、凄く緊張する……」
「大丈夫だよ、ニコ。練習どうりにやれば良いんだから」
「う、うん」
ニコは指先を見つめたまま返事をする。
ニコが選んだ図柄は『ソメイヨシノ』をモチーフとしたもの。
この世界には桜に似た木はあるが、『ソメイヨシノ』にあたる木は無かった。
だから、ニコは白い桜の図柄を刺繍してみたいと思ったのだ。
「……ニコの刺繍する図柄、綺麗だね」
エステルが微笑みながら呟く。
「ちょっとね……思い出のある花なんだ……咲くときは一斉に咲くんだよ……」
「へえ……ちょっと見てみたいね」
そしてニコは少しだけ視線を上げる。
「うん。あたしも見せてあげたい。エステルにも……フラウにも」
「……うん」
そして二人は再び、黙々と刺繍を刺していく。
一針ごとに、フラウの幸せを願って。
◆
第一騎士団が地下道の探索を始めて二週間が経過した。
王都全体に広がる下水道網の把握には、思いの外時間がかかった。
「まったく……此処も崩落している」
「これでは先に進めないな」
第一騎士団の騎士達は、崩落や漏水によってたびたび進行を妨げられていた。
「これで修復作業や補修作業を行っていると言えるのか?」
騎士達の間から不満の声が上がる。
「地下道や下水道の管理は、アンダーウォーター卿が行っているのだろう……こんなずさんな管理を行っている事を王家は知っているの?」
「おい、それ以上は言うな……誰に聞かれているか分からんぞ」
「うっ……」
王都で勇者の遺構に関する発言は、非常に難しい。
一歩間違えると、王家批判と判断されるからだ。
「しかし、この状況を放っておけば、下水道システムが破綻するぞ……現実に既に数か所が使用できない状態になっている」
騎士達の発言を、第一分隊長のスティーブは黙って聞いていた。
そして騎士達の発言が一段落したところで、スティーブが騎士達に声を掛ける。
「お前たちの意見は分かった……俺もそう思う……この件はオレが責任を持って上に報告する。いいな」
「「「「はい」」」」
スティーブを取り囲む騎士達が揃って返事をする。
「まずは、今日までの調査内容を報告書にまとめるぞ」
「えーっ、物書きは苦手なんですよ」
「俺も……だから騎士をやってんのに」
「勘弁してくださいよ」
騎士達の愚痴にスティーブが苦笑いする。
その時だった。
崩落した瓦礫の中から、身体中を鱗で覆われた大きな魔獣が現れた。
「くそっ、こんな時にっ!!」
騎士達は素早く戦闘態勢を整える。
「気を付けろ。アイツの顎は相当危険だぞっ!!」
「松明を前にっ!!」
「腹の方は柔らかい……まずはひっくり返せっ!!」
「「「おうっ!!」」」
第一騎士団の受難は、まだ当分続きそうだった。
■閑話
その地方都市は、勇者が存命中に下水道システムを導入した。
そのおかげで街の衛生状態は改善し、水質の向上は農産物の生産性向上にも繋がった。
そのおかげでその地方都市は随分と栄えていた。
しかし、今から二十年ほど前、その栄華は突如として奪われた。
「何? 王都から近衛騎士団が来ているだと?」
この地方都市の領主、フェアチャイルド子爵は、突然の報告に驚きを隠せなかった。
「何も聞いておらんが……抜き打ちの視察だろうか……」
しかし、近衛騎士団が来たとなれば、出迎えない訳にはいかなかった。
フェアチャイルド子爵が領主邸の玄関に向かうと、既に十数人の近衛騎士団と、一人の貴族の姿があった。
「おお、これはアンダーウォーター卿。お久しぶりです」
フェアチャイルド卿が、丁寧にあいさつをするが、アンダーウォーター卿は不機嫌そうに表情を歪めるだけだった。
フェアチャイルド卿はむっと来たが、表情には出さず、静かに尋ねる。
「……此度はどのような御用件で?」
「ふん。貴殿には重大な王家への反逆行為が認められる……」
そう言って、アンダーウォーター卿は懐から一通の巻紙を取り出す。
それをフェアチャイルド卿の目の前に突き付ける。
「先日、国王陛下より勇者遺構に関する発布があった事は存じているだろうな?」
「いえ、そのような法律がいつ発布されたのですか?」
「ふん。一週間ほど前よ……まあ、そなたが知っていても知らなくても結果は同じだがな」
その言葉にフェアチャイルド卿の眉間に皺が寄る。
「以前より、勇者の遺構に関するものは全て王国の秘宝、秘術であった」
「国王陛下より新たな勅令が出た」
「勇者の遺構を王家の許可なく模倣・運用した者は、王家への反逆者と見なす」
「そ、そんな……急に言われても」
「急と言われてもな……法律は既にこのように発布されておる……」
そこでアンダーウォーター卿は一度言葉を止める。
「フェアチャイルド卿よ、いや、フェアチャイルド。貴様は勇者の遺構を勝手に模倣し、己の私利私欲のためにこれを使用した。これは王家に対する重大な反逆行為であるっ!!」
アンダーウォーター卿の声が領主邸の内部に響く。
「この者を拘束しろっ!! 抵抗するものも全て拘束しろっ!!」
「アンダーウォーター卿っ!!」
「やかましいっ!! この反逆者がっ!!」
アンダーウォーター卿が乱暴に手を払う。
「やれっ!!」
その一言で近衛騎士団が一斉に剣を抜く。
「王家への反逆罪だっ!! 大人しく縛に付けっ!!」
近衛騎士団が領主邸に突入する。
「ま、待ってくれっ!! 何かの間違いではないのかっ!?」
足元に崩れ落ちているフェアチャイルドを冷たい目で見つめるアンダーウォーター卿。
「お前は、うまくやり過ぎたのだ……」
その呟きは、フェアチャイルドの耳には届かなかった。




