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第6話 静謐なる戦場

 離宮。

 王宮のさらに奥に存在する、女性王族の為の宮殿。

 元々は現役を退いた皇太后が静かに余生を過ごすために建てられた場所だった。


 だが現在では、その役割は少し変化している。

 王女。

 王妃。

 側妃。

 そして幼い姫君たち。

 女性王族の多くは、この離宮で生活を送っていた。


 また、元服前の王子たちも、幼少期は此処で教育を受けることが多い。

 もっとも最近では、近衛騎士団が、


『王子を女性王族と同じ離宮で育てるのはいかがなものか』

 と、何度か国王へ上申しているらしい。


 無論、その理由をニコが知る由もない。


 そんな女性王族たちを守護する為に存在するのが、ヴァルキュリア騎士団だ。

 彼女たちの任務は幅広い。


 日常生活に寄り添う近接護衛。

 離宮内巡回に夜間警備、来客対応……。

 そして、舞踏会や晩餐会のような公式行事での警護まで。


 華やかな外見とは裏腹に、その実態は王族直属の実戦部隊だった。


 離宮の正門前。

 そこには、正装に身を包んだヴァルキュリア騎士団の騎士が二人立っていた。


 背筋は真っ直ぐ、視線は鋭い。

 まるで彫像のように微動だにしない。


「お疲れ様です」


 ジェシカが静かに声を掛ける。


「今日は、この二人の実習です。これが命令書になります」

「確認いたします。少々お待ちください」


 騎士の一人が命令書を受け取る。

 そして、そのまま離宮内部へ消えていった。


 ニコはその様子を真剣な表情で見つめる。

 例え同じヴァルキュリア騎士団の仲間であっても、確認手順は省略されない。

 離宮とは、それほど重要な場所なのだ。


「どうした、ニコ」


 フロムが小声で問いかける。


「うん。あたしも離宮の任務を行えるようになったら、この場所に立つこともあるんだなって……その時、今の先輩みたいに上手くできるかなって思ったら……ちょっと不安になっちゃって」

「……わかるよ」


 フロムは笑わずに頷いた。


「私も緊張してる」

「えっ、フロムでも?」

「当たり前だ。離宮勤務は失敗が許されないからな」


 その時だった。

 離宮の奥から戻ってきた騎士が、ジェシカへ命令書を返却する。


「命令書を確認いたしました。お入りください」


 二人の騎士が左右へ避ける。

 三人はその中央を静かに歩き始めた。

 離宮の中へ。


 ◆


「うわああ……」


 思わずニコの口から感嘆の声が漏れる。

 まだ廊下だというのに、その光景は圧倒的だった。

 高い天井……等間隔に吊るされた巨大なシャンデリア。

 磨き上げられた白い壁面。


 床には深紅の絨毯が真っ直ぐ敷かれ、壁には銀細工の燭台が並んでいる。

 窓から差し込む柔らかな陽光が、大理石の床へ反射して幻想的な輝きを作っていた。


 王宮とはまた違う。

 豪奢でありながら、どこか静謐だった。


「ニコ、口を閉じろ。開きっぱなしだぞ」

「あう……」


 慌てて口を閉じる。


「……凄いね……王宮の豪華さとはまた違って……」

「驚くのもいいが、できればこの宮殿の構造に注意を払ってほしいものだがな」


 ジェシカが前を歩きながら言った。


「此処は直線で逃げ場がない。警護の場合は緊張を要する場所だ」

「はい」


 ニコは慌てて周囲を見回す。

 確かに、廊下は広い。

 だが、隠れる場所がほとんど無い。

 柱も少ない。

 曲がり角も遠い。


 もし此処で襲撃が起きれば、護衛対象は完全に敵の視界へ晒される。


「だから離宮警護では、“先に異変へ気付く事”が重要になる」


 ジェシカは窓際へ視線を向ける。


「不審者。視線。物音。空気の変化。そういった小さな違和感を見逃すな」

「……はい」


 ニコの表情も少しずつ引き締まっていく。

 ただ豪華なだけの場所ではない。


 ここは――守るべき戦場なのだ。


 ◆


 その時、廊下の向こう側の扉が開く。

 そして、二人の女性が姿を現す。


「お、お待ちくださいっ!! そちらへ行ってはなりません」

「いいじゃない。今日はヴァルキュリアの方々がいらっしゃるのでしょ」

「ですから、謁見の間で……」


 どうやら二人は主従のようで、若い女性を同い年くらいのメイドが諫めているようだ。

 そして二人はニコたちに気付かず、段々とその距離を縮めてきたのだった。


 ■離宮の姫君

 何かに気付いたジェシカが、二人に廊下の端へ移動するようにハンドサインで知らせてきた。

 フロムがそれに気づき、廊下の端で臣下の礼の姿勢を取る。

 続いてニコもそれに倣う。


 最後にジェシカが、ゆっくりと臣下の礼の姿勢を取る。


 ニコは頭を下げながら、視線だけを少し前へ向ける。


 白を基調としたドレス。

 胸元や裾には銀糸の刺繍が施されており、歩くたびに淡く光を反射していた。

 長い金髪は柔らかく波打ち、まるで絵画から抜け出してきたような美しさだった。


「(うわぁ……本当にお姫様だ……)」


 思わずそんな感想が浮かぶ。

 すぐ傍まで二人が近づき、三人に気付く。

 そして若い女性が立ち止まる。


「(うわ……立ち止まったよー。緊張するから早く行ってほしいんだけど……)」


 ニコは不敬にもそんな事を考えていた。


「(ニコ、頼むからドジを踏むなよ……俸給返納はごめんだぞ)」


 フロムもフロムだった。


 若い女性は立ち止まり、じっと三人を見る。

 その視線は、ゆっくりとニコへ向けられていく。

 そして、少しずつ、距離を詰めてくる。


「……やっ……あえ……」


 言葉にならない呟きが聞こえる。


「やっと……逢えた……やっと、逢えたよ」


 そう言って若い女性はニコに抱き着いた。


「おやめください、姫様っ!!」

「え、えーーーーっ!?」


 ニコの悲鳴が離宮の廊下に響き渡る。

 抱き着かれたまま、ニコは完全に硬直していた。


「えっ、な、なんでっ!? あたし何かしましたっ!?」

「会いたかったの……ずっと……」


 王女フラウセリア・アルデリオンは幸せそうにニコへ頬を寄せる。

 その様子を見ていたフロムは目を丸くしていた。


「……ニコ、お前、いつの間に王女様と知り合いになったんだ?」

「知らないっ!! あたしも今初めて会ったっ!!」

「嘘つけ。初対面でこうなる訳ないだろ」

「こっちが聞きたいよっ!!」


 一方、ジェシカは額に手を当てていた。


「……これはまずいな」

「班長、どうするんですか、これ」

「どうもこうもない。とりあえず、このまま廊下に放置する訳にはいかん」


 既に周囲では、離宮付きのメイド達が騒然となっていた。


「あれ、フラウセリア様よね?」

「ヴァルキュリアの新人に抱き着いて……?」

「ど、どういう関係なの……?」


 ひそひそ声が飛び交う。

 エステルが半泣きで頭を下げる。


「申し訳ありませんっ!! 本当に申し訳ありませんっ!!」


 しかし、当のフラウセリアは全く離れる気がない。


「やっと会えたんだもの……もう少しだけ……」

「ひ、姫様ぁ……」


 ニコは完全に涙目だった。


「た、助けてジェシカ班長ぉ……」


 ジェシカは深く溜息を吐く。


「……全員、待合室へ移動する。ここでは目立ちすぎる」

「「はい」」

 唯一返事だけは綺麗に揃ったのだった。


 ◆


「申し訳ありません。申し訳ありません」


 そっぽを向いている王女の横で、専属メイドのエステルが何度も頭を下げる。


 場所は廊下から移動して、ロビーの横に設えられた小さな待合室。

 しかし、待合室と言いながらも、調度品などは贅を尽くしたものが置かれている。


 流石に廊下での醜態を見られては拙いと、ぐずる姫様を宥めてこの部屋までやってきたのだった。


「フラウセリア様。よろしければ、事情をお話頂ければ幸いです」


 ジェシカが頭を下げたまま王女に尋ねる。


「……ずっと見ていたのよ。ヴァルキュリアの試験の時から……」

「……は?」


 ジェシカの気の抜けた声が漏れる。


「良いじゃない。テラスの端からヴァルキュリアの練兵場が見えるのよ。その時から気になってたの」

「あたし……が……ですか?」


 ニコが思わず顔を上げて聞いてしまう。

 すぐにフラウから肘鉄を食らう……が、コルセットのおかげで痛くない。


「そうよ。わたしと同い年くらいの女の子が必死になって試験を受ける姿を見て……凄いなって思ったの……そして、お友達になりたいなって思ったのよ」


 そう言う王女の顔は真っ赤だった。


「姫様……ですから、そのような話はもっと後で……正式に紹介を受けてから」

「だって、出逢っちゃったんだもの。体が動いたのよ」

「……姫様」

 エステルが額を押さえる。


 ジェシカは何とかこの場を切り抜けようと方策を考える。


「では、まず、正式な謁見の場を設けましょう。その後、プライベートな歓談の場で、先程のお話をしていただければ、波風も立ちませんでしょう」

「そ、そうですね。それが良いと思います」

 エステルも賛同する。


 ◆


「では、改めて……後ほど」

「はい。お任せください」


 ジェシカとエステルの両者間で話がまとまったようだ。

 ……何故か二人とも疲れ切っているが。


「では、我々は一旦失礼いたします」


 三人が恭しく頭を下げる。


「またね。ニコレッタ」


 空気を読まない王女が手を振っていた。


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