第5話 帰還、そして離宮任務へ
「ただいま戻りましたー」
ニコは自宅謹慎を終え、ヴァルキュリア騎士団の兵舎へ戻ってきた。
門をくぐった瞬間、どこか胸が軽くなる。
訓練場から聞こえる掛け声。
剣の打ち合う音。
厨房から漂う焼き立てのパンの匂い。
全部が懐かしい。
「やっぱり、ここが今のあたしの居場所なんだな……」
ニコは小さく呟いた。
ノワールを馬房へ預け、鼻先を撫でる。
「ありがとね、ノワール。また後で来るから」
「ぶるるる」
ノワールは短く鳴き、ニコの肩を鼻先で軽く押した。
そしてニコは帰任報告のため、団長室へ向かう。
すると詰め所の入口で、腕を組んだヴァスケスが待ち構えていた。
「おっ、問題児が帰ってきやがった」
「えへへ……無事戻りました」
「なにが『無事戻りました』だよ。オレはお前のせいで俸給二割返納だぞ。二割」
ヴァスケスは二本指を立て、わざとらしく強調する。
「えー、あたしだって一割返納ですよ。それに暴れて事を大きくしたのはヴァスケスさんじゃないですか」
「てめえ、言うようになったじゃねえか」
「あっ」
ニコは慌てて両手で口を塞ぐ。
アンリエッタに散々叩き込まれたばかりだ。
“考えてから口を開け”
その教えを、帰って早々忘れかけた。
「……」
ニコは一歩下がると、静かに頭を下げた。
「……色々、すいませんでした。庇って頂き、ありがとうございました」
「お、おう……なんだよ急に」
ヴァスケスが妙に居心地悪そうに頭を掻く。
「いえ、団長への報告がまだなので行きますね。失礼します」
ニコは略式敬礼をすると、そのまま廊下を歩き出す。
ヴァスケスはその背中を見送りながら、小さく鼻を鳴らした。
「……少しは騎士らしくなったじゃねえか」
◆
団長室の前。
ニコは一度深呼吸する。
そして姿勢を正した。
「ニコレッタ。自宅謹慎期間終了に伴い、帰任の報告を――」
「それは中に入ってからにしなさい。ニコレッタ」
「は、はいっ」
扉越しに聞こえたアレクシアの声に、ニコは慌てて返事をする。
ドアを開けると、部屋の中にはアレクシアとヒルデガルドの姿があった。
二人とも書類仕事の途中らしい。
「失礼いたします」
「入りなさい」
ニコは部屋へ入り、背筋を伸ばして敬礼する。
アレクシアは穏やかな視線でニコを見つめた。
「アンリエッタ様に随分と扱かれたようね」
視線が、ニコの腕の包帯や、薄く残る打撲痕へ向く。
「はい。厳しく指導を受けてまいりました」
「詳細はアンリエッタ様から聞いているわ」
そこまで言って、アレクシアは小さく微笑んだ。
「……よく逃げ出さなかったわね」
「逃げたら、多分もっと酷い目に遭いますので……」
ヒルデガルドが思わず吹き出す。
「違いない」
アレクシアも肩を震わせた。
少しだけ、部屋の空気が和らぐ。
そしてアレクシアは表情を引き締めた。
「さっそく任務に復帰してもらうわ。離宮内警護よ」
「えっ」
「返事は『はい』でしょ」
「は、はいっ」
ニコの背筋が跳ねる。
「フロムと組んで離宮内の警護任務を経験してもらうわ。途中、晩餐会の警護もあるから、例のドレス姿になってもらうわよ」
「は、はい」
ニコの目が一気に輝いた。
アレクシアはその反応を見逃さない。
「……妙に嬉しそうね」
「い、いえっ、そんな事はっ」
完全に顔に出ていた。
ヒルデガルドが呆れたように息を吐く。
「分かりやすい奴だな」
「今回の任務の班長はジェシカよ。ジェシカの指示に従いなさい」
「はい。失礼いたします」
ニコは敬礼すると、勢いよく部屋を飛び出していく。
扉が閉まり、静寂が戻る。
ヒルデガルドが苦笑した。
「本当に現金な奴だ」
「でも、良い顔になったわ」
アレクシアは窓の外を見ながら、小さく呟く。
「アンリエッタ様には感謝しないといけないわね」
一方その頃。
廊下を歩くニコの頭の中は、既に別の事でいっぱいだった。
「離宮……晩餐会……ドレス警護……!」
胸が高鳴る。
ニコは思わず頬を緩めるのだった。
■淑女の仮面、騎士の刃
「ぐああああっ!!」
「どっから声出してんのよ」
「フ、フロム……食べたものが……でちゃう……」
「我慢しなさい」
今二人は、例のコルセットを締め合っていた。
「ただでさえ重いんだから、しっかり締めなきゃっ!!」
「ぎゃああああっ!!」
ニコの悲鳴が部屋に響く。
ヴァルキュリア騎士団の礼装用コルセットは、単なる装飾品ではない。
内部には薄い金属板と鎖帷子が仕込まれており、刺突や短剣程度ならある程度防げるよう設計されている。
当然、重い。
しかも締め付けも尋常ではない。
「……フロム。これ、本当に必要?」
「必要。倒れた令嬢は居ても、刺されて死んだ令嬢は困る」
「それ、慰めになってないよぉ……」
「うるさい。動くな」
グイッ
「ひゃあああっ!!」
さらに締め上げられる。
ニコの目に涙が浮かんだ。
「しかし、身体中青痣だらけじゃないの。自宅謹慎の間、何してたのよ」
「……ちょっとね……へへへ」
「笑う余裕があるなら、もう少し締めても大丈夫ね」
「やめ、やめてっ……ひゃああああっ!!」
そして格闘すること数分。
ようやく二人はコルセットの装着を終えた。
ニコは鏡の前でふらふらしている。
「うぅ……苦しい……」
「そのうち慣れる」
「慣れたくないよ、こんなの……」
フロムは肩を回して動作確認をしている。
コンコンッ
ニコがフロムのコルセットを軽く叩く。
「硬い……鉄板だね、これ」
「前の奴よりは薄い気がするけど、その分少しは動きやすいかな」
「へえ……あたしは全然違いが分かんないや」
「次はドレスだな」
二人はクローゼットへ視線を向ける。
そこには今回の任務用ドレスが並んでいた。
今回は離宮内のみの警護任務。
そのため王宮用より華美ではなく、全体的に落ち着いた色調になっている。
だが、生地そのものは一級品だった。
「でも、さすがに質感が違うわね」
ニコがそっと布地を撫でる。
指先が吸い付くような滑らかさだった。
「こっちにも細い鎖が編み込まれてる……これも重いのかな」
「そうね。見た目より重い。転ぶなよ」
「それ、先に言ってっ!?」
二人は慣れない手つきで着替え始める。
フロムは青色を基調としたドレス。
裾へ向かって深い群青へ変わるグラデーションが美しい。
対するニコは赤を基調としたドレス。
燃えるような赤から、裾に向かって黒へ沈んでいく色合いだった。
腰には細身の懐剣――『銀嶺』。
ドレスの下に隠れる位置へ丁寧に固定する。
「えへへ……ちょっとうれしい」
「仕事だぞ」
「分かってるけどさ……なんかヴァルキュリア騎士団に入団したんだなって思うじゃない」
ニコは鏡の中の自分を見る。
ほんの少し前まで、馬にもまともに乗れなかった。
王宮では失敗ばかり。
怒られて。
叩きのめされて。
泣いて。
それでも今、自分はここに立っている。
「まあな」
フロムも、まんざらではない表情だった。
そこへ。
コンコンッ
部屋の扉がノックされる。
「準備は出来ているか?」
入ってきたのは今回の班長、ジェシカだった。
女性としては長身。
無駄のない体躯。
黒を基調としたドレスが、その鋭い雰囲気を際立たせている。
髪はアップに纏められ、耳元と首元には銀色の装飾品。
派手ではない。
だが、一目で分かる。
――この人は強い。
「はうー……全然違う」
「何がだ?」
「いえ、ジェシカ班長とあたし、ほぼ同じ装備をしてるのに……こんなに印象違うんだなって……」
ジェシカは小さく笑った。
「皆が同じ印象では任務にならんだろう。それに今回は、お前たちの教育も兼ねている。まずは学べ」
「はい」
ジェシカは二人を順番に見ていく。
ニコの腰元で、一瞬視線が止まった。
「その懐剣か」
「はいっ。『銀嶺』って言います」
「……良い名だ」
短くそう言った後、ジェシカの表情が僅かに引き締まる。
「だが覚えておけ。離宮警護は、見た目ほど楽な任務じゃない」
「えっ?」
「帝国との関係悪化以降、離宮周辺でも不審者の報告が増えている」
室内の空気が少しだけ変わる。
フロムの表情も真面目になる。
「お前たちは新人だ。だからこそ狙われる可能性もある。気を抜くな」
「……はい」
ニコも真剣な顔で頷く。
華やかなドレスの下には、確かに武器があった。
「では、離宮へ向かうぞ」
三人は静かに部屋を後にする。
その足音は、もう少しだけ騎士らしくなっていた。




