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第4話 昨日より一歩だけ

 結局、この日もコテンパンに打ちのめされた。

 夕暮れの中庭。


 ガゼボの周囲には、踏み荒らされた芝と、ニコが何度も転がった跡が残っている。


「はぁっ……はぁっ……」


 ニコは肩で息をしながら、石畳に片膝をついていた。

 髪は汗で張り付き、腕は震え、握っている細剣も今にも落としそうだ。


 対照的に、アンリエッタは優雅に扇を閉じる。

 乱れたところなど一つも無い。


「馬鹿の一つ覚えのように突っかかってくるのは止めなさい。少しは頭を使うの。この頭は何のためについてるのっ」


 コツンッ。


「痛ったー」


 ニコは叩かれた額を押さえる。

 どうやって動いたのか、まるで見えなかった。


「ニコ。何度も言うけど、貴方の正直なところ、素直なところはとても素敵よ。でもね、少しは頭を使いなさい」

「……はい」


 アンリエッタはニコの構えを見ながら続ける。


「貴方は真っ直ぐ過ぎるの。考えている事が全部顔に出るわ」

「そんなに?」

「ええ。今も“次は突きます”って顔をしているもの」

「うっ……」


 図星だった。


「剣というものはね、相手を斬る前に、まず“騙す”のよ」


 アンリエッタが扇をひらりと回す。


「視線、呼吸、足運び、言葉。全部使うの」

「……難しいよ」

「だから学ぶのでしょう?」


 アンリエッタの声音は厳しいが、不思議と冷たくはなかった。


「今ならわかるでしょ。あのような場面になったら、どうすべきか」


 ニコの脳裏に、王宮の回廊が浮かぶ。

 顔を真っ赤にした近衛騎士。

 売り言葉に買い言葉。

 抜かれかけた剣。


 そして。

 ヴァスケスの怒声。


「……うん」


 もし今なら。

 もっと違うやり方があったと分かる。


 相手を怒らせず、距離を取り、周囲を使い、事を大きくしない方法が。


「ただ、実力が伴わない言葉には、説得力が無いわ」

「……」

「貴方がどれほど正しい事を言っても、弱ければ押し潰される。世の中とはそういうものよ」


 夕風が吹き抜ける。

 薔薇の香りが微かに漂った。


 ニコは細剣を握り直す。

 悔しかった。


 悔しいけれど。

 アンリエッタの言葉は、不思議なくらい胸に落ちた。


「今日はこの辺にしましょう……ノワールが待ちくたびれているわよ」

「……おばあさま」


 アンリエッタは優しく微笑む。

 さっきまで自分を叩きのめしていた人物とは思えないほど、穏やかな笑みだった。


「昨日よりは良くなったわよ。頑張りなさい」


 その一言で。

 胸の奥が、少しだけ熱くなる。


「はいっ」


 ニコは勢いよく返事をする。

 アンリエッタは満足そうに頷き、静かに中庭を後にした。


 その背中を見送りながら、ニコはそっと額を押さえる。

 まだ少し痛い。

 でも、その痛みが少しだけ誇らしかった。


 ■誇りを縫い込めて

 自宅謹慎最終日。


 今日も祖母のアンリエッタの訓練を受けているニコ。

 だが、最初の頃とは明らかに違っていた。


 撃ち込まれる回数。

 地面に転がる回数。

 額を扇で叩かれる回数。

 その全てが減っている。


 ニコ自身、それを実感していた。

 朝の中庭……風に揺れる木々の音だけが静かに響く。

 その中央で、細剣を構えるニコと、扇だけを持ったアンリエッタが向かい合っていた。


「そんな見え見えのフェイントに引っかかる訳が無いでしょ」


 アンリエッタはニコの間合いへ一気に踏み込む。

 クルリと一回転。

 その勢いのまま、扇がニコの膝裏を打つ。


「あうっ」


 思わず体勢が崩れる。


「(でも、これならっ!!)」


 ニコはあえて地面へ転がった。

 転倒の勢いを利用して、下から斬り上げる。


「ふんっ」


 アンリエッタは扇でその軌道を流す。

 金属同士が擦れる鋭い音。


 だが。


「(此処しかないっ!!)」


 ニコは流された剣を無理やり止めた。

 腕が軋む。


 それでも力任せに軌道を変え、そのまま横薙ぎに切り払う。


「っ!!」


 アンリエッタの身体がわずかに仰け反る。

 ニコの瞳が見開かれる。


「(とどけっ!!)」


 切っ先が、あと少しで届く。

 その瞬間。


 アンリエッタは扇を持ち替えた。

 ガキンッ

 鋭い音。


 ニコの剣先は、アンリエッタの喉元へ届く寸前で止められていた。


 そして。

 扇の先端が、逆にニコの喉元へ突き付けられている。


「ま、参りました」


 肩で息をしながら、ニコは剣を下ろした。


「……」


 アンリエッタは何も言わない。

 静かに扇を閉じる。

 だが、その目は少しだけ柔らかかった。


「マリア。例のものを」

「はい」


 控えていたメイド長マリアが、一歩前へ出る。

 両手には丸い銀盆。

 その上には、白く細長い布袋が置かれていた。


 アンリエッタはそれを受け取ると、ニコへ向き直る。


「自宅謹慎の間、よく訓練に臨みました」

「おばあさま……」

「これを貴女に贈るわ」


 そっと差し出される。

 白い布袋。


 しかし近くで見ると、それが上質なシルクで作られている事が分かる。

 陽光を受け、淡く光沢を放っていた。

 さらに全体には、銀糸と紅糸で複雑な刺繍が施されている。


 剣百合……翼……そして小さな花々。


「これは……」

「これはね、『懐剣袋』よ。貴女の『銀嶺』を剝き出しのままにしておく訳にはいかないでしょ」

「……えっ」

「その刺繍はね、屋敷のメイド達が協力して刺したものよ」


 思わずマリアを見る。

 マリアは静かに一礼した。


「わたくしたちは、毎日努力するお嬢様を見ておりました……その気持ちをお伝えしたくて」

「マリア……」


 ニコは懐剣袋を胸に抱きしめる。

 剣を貰った時とはまた違う温かさがあった。


 自分は一人じゃない。

 ちゃんと見ていてくれる人たちがいる。

 その事実が、胸にじんわりと沁み込んでいく。


 アンリエッタが静かに口を開く。


「アレクシアには私から連絡を入れておきます。今日はゆっくりと休みなさい」

「おばあさま……」


 気付けば、ニコの目から涙が零れていた。

 悔しくて泣いた日とは違う。

 胸の奥が熱くて、言葉にならなかった。


 アンリエッタはそんなニコを見つめ、小さく微笑む。


「泣く暇があるなら、もっと強くなりなさい」

「……はいっ」


 ニコは涙を拭いながら、力強く頷くのだった。



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