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第2話 言葉もまた剣

「一週間の自宅謹慎か……」


 その日のうちにニコは兵舎を追い出されることになった。


 今は、何故かノワールの背中に乗っている。

 自宅までの移動にノワールの使用が許可されたからだ。


 夕暮れの街道を、ノワールは静かに歩いていく。

 夕陽に照らされた石畳が赤く染まり、遠くでは市場を片付ける人々の声が聞こえていた。


「はあ……」


 思わず深いため息が漏れる。

 王宮での一件を思い出すたびに、胃の辺りが重くなった。


「(あんなに大事になるなんて思わなかった……)」


 近衛騎士団……王宮……抜刀未遂。


 頭の中で単語だけがぐるぐると回る。

 しかも、一週間の自宅謹慎だ。


 ヴァスケスやアグネスたちにどう思われているのかも気になって仕方がない。

 ノワールが小さく鼻を鳴らした。


「……慰めてくれてるの?」


 ニコが首筋を撫でると、黒馬はゆっくり耳を揺らした。

 少しだけ気持ちが軽くなる。


 ◆


 屋敷に到着したので、ノワールから降りて手綱を握る。

 玄関の前に、メイド長のマリアが待ち構えていた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「ただいま……」


「アンリエッタ様がお呼びです」

「おばあさまが……」


 ニコは大きく目を見開き、息をのむ。

 背中を冷たいものが伝う。


 マリアはニコを憐れむような視線を投げかける。


「すぐにお伺いした方が良いかと……応接室でお待ちです」

「う、うん。すぐ行く。あ、ノワールの世話をお願い」

「かしこまりました」


 騎士団の訓練より、祖母との会話の方が怖い。

 ニコは挨拶もそこそこに屋敷の中へ駆け込むのだった。


 ◆


 応接室のドアをノックする。


「ニコレットです」

「入りなさい」


 部屋の中から祖母の声が聞こえた。

 ニコは静かにドアを開け、部屋の中へ入る。


 応接室のソファに祖母アンリエッタは優雅に腰かけていた。

 窓際には小さなティーテーブルが置かれ、紅茶の香りが漂っている。

 落ち着いた雰囲気なのに、ニコは妙に寒気を感じていた。


「お帰り、ニコ。座りなさい」

「……はい」


 アンリエッタの向かい側に座る。

 何となく怖くて、居心地が悪くて視線を合わせる事が出来ない。

 カップを置く小さな音が、やけに大きく聞こえた。


「王宮で騒ぎを起こしたそうね」


 その言葉で思わず顔を上げると、アンリエッタがじっと自分を見つめていた事に気付いた。

 逃げ場のない視線だった。


「……はい」

「近衛騎士団の若い騎士と口論になったとか」

「……はい」

「しかも、相手を挑発した」

「……はい」


 ニコの声がどんどん小さくなっていく。

 アンリエッタは小さくため息を吐いた。


「貴女の、思ったことを素直に口にする癖は、美徳でもあり、欠点でもあるわ……特に貴族としては落第ね」

「……」


 反論できない。

 自分でも分かっているからだ。


「アレクシア団長から色々頼まれているの……この意味が分かるかしら」

「いえ……わかりません」

「そうね。そう言うところよ」


 そう言ってアンリエッタは紅茶を口に含む。

 その仕草一つ一つが妙に綺麗で、隙が無かった。

 ニコは何故か背筋を伸ばしてしまう。


「貴女は騎士としては悪くないのでしょう……ですが、王宮で働く以上、“言葉”も武器になります」


「相手を怒らせれば剣を抜かせる事もある。逆に、言葉一つで争いを終わらせる事もあります」


「貴女はまだ、それを知らない」


 アンリエッタの声は静かだった。

 怒鳴り声ではない。

 なのに、胸へ深く刺さる。


 ニコは膝の上で拳を握り締める。


「……ごめんなさい」

「謝る相手は私ではないわ」

「はい……」


 しばらく沈黙が落ちる。

 やがてアンリエッタは、少しだけ表情を柔らかくした。


「“教育”は明日からにしましょう」

「えっ……」


 ニコの顔が引きつる。


「返事は?」

「……はい」

「あと、シドニアスが『例のものが出来た』と言っていたわ。あとで顔を出してきなさい」

「例のもの?」

「行けば分かるわ」


 アンリエッタは意味深に微笑む。

 その笑みに、ニコは嫌な予感しかしなかった。


「はい……」


 ◆


 応接室を出たニコは、大きく息を吐いた。


「つ、疲れた……」


 訓練後より疲れている気がする。

 廊下の窓から外を見ると、すっかり夜になっていた。

 屋敷の庭園には柔らかな灯りが並び、噴水の水音が静かに響いている。


「でも……」


 ニコは小さく呟く。


「おばあさま、ちょっとだけ嬉しそうだったな……」


 完全に見放された訳ではない。

 そう思うと、少しだけ胸が軽くなるのだった。


 ■銀嶺、誕生

 次の日の早朝、お婆様の教育が始まる前に、ニコは鍛冶職人シドニアスの工房へ向かうことにした。


 王都の外れにある工房は、まだ夜明け直後だというのに、すでに熱気を孕んでいた。


 奥からは金属を打つリズミカルな音が響き、炎の揺らめきが煙突の隙間から漏れている。


「すいません。どなたかいらっしゃいますか?」


 声を張って呼びかける。

 しかし返事はない。

 鍛冶場特有の轟音にかき消されているのか、それとも単に気づかれていないのか分からない。


「うーん。どうしようか……出直す訳にもいかないし……」


 ニコは工房の中を覗き込みながら、少し困った顔をした。

 そのとき、視線の端に大きなハンマーが置かれているのが見えた。


「(……ちょっとだけなら、いいよね)」


 悪戯心に小さな火が灯る。

 ニコはそれを手に取ると、作業台の上にあった金敷の側面を軽く叩いた。


 ガキーンッ!!


 工房の奥まで響くような金属音。


「これなら聞こえる筈」


 さらにもう一度。


 ガキーンッ!!

 ガキーンッ!!

 ガキーンッ!!


「うるせーっ!!誰だ店先でっ!!」


 奥から真っ赤な顔のシドニアスが飛び出してきた。


「こんにちは」

「こんにちはって、てめえっ!!」


 そこまで言いかけて、相手がニコだと気づく。

 一瞬で顔色が変わる。


「お、お嬢様……すいませんっ!!」

「いやいや、こっちも乱暴な事してごめんね。でも、いくら呼んでも誰も出てこないから……」

「へっ……誰も……出ませんでしたか?」

「うん。誰も」


 シドニアスの表情が、じわじわと険しくなる。


「それより、おばあさまにシドニアスの店に行くように言われたんだけど」

「ああ、そうだ。お嬢様のアレが出来たんですよ。言って頂ければお届けしたのに」

「ははは……ちょっと色々あってね……自由になる時間が今位しかないんだ」


「……何をやらかしたんです……」


「そこは乙女の秘密……ってことで。はははは」


 シドニアスは深くため息をつき、両肩をすくめた。


「今持ってきます。お待ちください」


 ◆


 しばらくして、シドニアスが白木の箱を抱えて戻ってくる。


「お嬢様。これでございます。ご確認ください」

「は、はい」


 ニコは箱を受け取り、そっと机の上に置いた。

 蓋を開けると、そこには白銀に輝く細身の鞘が収められていた。

 中央にはニコ家の家紋が、精緻な象嵌で刻まれている。


 それはまさに、ニコが思い描いていた“懐剣”そのものだった。


「わあっ、できたんだっ!!」


 思わず声が弾む。


「ぜひ、刀の方も見てくだせえ」

「う、うん」


 ニコは慎重に懐剣を手に取り、ゆっくりと鞘を払った。

 シャキ……。


 細身の片刃の刃が姿を現す。

 朝の光が差し込むと、刃はそれを受けて白く澄んだ輝きを返した。


 まるで雪解けの峰のように、静かで鋭い光だった。


「……綺麗……」


 ニコは息を呑む。

 そして、自然と口にしていた。


「そうだ……この子の名前は『銀嶺』にしよう!!」

「銀嶺……山々に朝日が当たり輝く様子ってことですか?」

「うん。この輝き……この子にピッタリじゃない」

「名前まで頂いて……鍛冶師冥利に尽きやすぜ」


 シドニアスも満足げに頷いた。

 ニコはしばらく刃を見つめたあと、静かに鞘へ戻す。

 象嵌の家紋が、まるで誇らしげに光って見えた。


「シドニアス親方。ありがとう。大切にするね」

「そいつをよろしくお願いいたします」


 深く頭を下げるシドニアス。

 ニコは懐剣『銀嶺』を胸に抱き、そっと撫でた。


 そして――

 彼女の中で、ひとつだけ確かなものが増えていた。


「(これは……ただの武器じゃない)」


 まだ使われていない刃が、静かにその存在を主張している。

 ニコはそれを鞘に収め、大切に抱え直した。

 こうして彼女は、新たな“相棒”を手に入れたのだった。



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