第11話 交渉決裂
王宮内にある小さな会談室。
部屋の大きさは小さいものの、配置されている調度類は最高級の品が置かれている。
窓際には細工の施された銀燭台。
壁には王国建国時代の風景画。
赤茶色の絨毯は足音すら吸い込み、室内には不気味なほど静かな空気が漂っていた。
中央に古木より削りだされた一枚板のテーブルがあり、その両側に無言で向き合う二人の男女がいた。
男は近衛騎士団団長、ゲルファルト・ドースン。
女はヴァルキュリア騎士団団長、アレクシア・バートレッド。
二人は穏やかそうな笑みを浮かべているが、互いに目が笑ってはいなかった。
室内に控える侍従たちも、息を潜めている。
「こうやって見つめ合っていても時間の無駄ですわ。結論を」
アレクシアが相手の言葉を促す。
「繰り返しになるが、ヴァルキュリア騎士団のヴァスケス騎士により、当方の若い騎士が負傷した。しかも王宮内で……だ」
「それが?」
アレクシアは紅茶にも口を付けない。
「ヴァルキュリア騎士団、およびヴァスケス騎士に謝罪を要求する。そして負傷した騎士への賠償もだ」
「話になりませんわ」
アレクシアは椅子に深く背中を預ける。
その仕草は優雅だったが、声音には一切の温度が無い。
「事の詳細をお聞きですか?」
「むろん、知っておる」
ゲルファルトは底で一旦言葉を切る。
そして、少し顎を上げながら言葉を続ける。
「すべては貴公の訓練中に発生した事案である。未熟な者を王宮に連れてくる危険性を十分に理解したのではないかね」
「では、私の方から」
アレクシアはゲルファルトの言葉を無視して話し始める。
「貴殿の配下の若い騎士が、王宮の回廊で激高し、剣を抜こうとした。我が配下のヴァスケスはそれを止めて差し上げたのですよ」
「剣は抜いておらぬ」
「そのような詭弁が通るとでも。証人が多数おります。こちらの新人騎士は武器など持っておりませんでした……たかが女一人、素手で拘束できないのですか、近衛騎士団は」
「なにをっ」
ゲルファルトの眉が吊り上がる。
室内の空気がぴたりと止まった。
「もう一度言いましょう。貴殿の配下の若い騎士が剣を抜こうとした。王宮内で。我が配下のヴァスケスはそれを止めた……感謝されこそすれ、謝罪などとんでもない」
アレクシアはわざとらしく大きく脚を組み替える。
白い脚がスリットから僅かに覗いた。
完全な挑発だった。
「どうしても謝罪を求めるというのであれば……事を公にするしかありませんね」
「……」
ゲルファルトがアレクシアを睨みつける。
対照的にアレクシアは涼しい顔だ。
「……あの騎士は公爵家の血を引く者だ……処分などできるかっ」
「分かりました。交渉は決裂という事ですね」
そう言ってアレクシアは立ち上がる。
椅子が静かに音を立てた。
その小さな音だけで、侍従たちの肩が跳ねる。
「悪い知らせは、早く報告せねばなりません」
「……どうするつもりだ」
「簡単な事ですわ。皇太后陛下に報告します」
その一言でゲルファルトの顔から表情が抜けた。
まるで喉元に刃を突き付けられたようだった。
「……国王を差し置いて……皇太后だと……」
「様を付けなさい、無礼者っ!!」
アレクシアは大声でゲルファルトを一喝する。
室内の空気が震える。
侍従たちが一斉に顔を伏せた。
そして落ち着いた声音で小さく続ける。
「今のは聞かなかったことにして差し上げますわ……感謝して欲しいですわね」
アレクシアがゲルファルトに背中を向けて部屋を出ていこうとする。
「ま、待てっ、待ってくれ」
先程までの威圧感は消えていた。
ゲルファルトの額には脂汗が浮かんでいる。
アレクシアは少しだけ首を振り向かせて静かに語る。
「交渉は既に決裂しておりますが」
「……謝罪する……賠償も求めない……」
「そうですか」
アレクシアは再び椅子の前に戻る。
そしてゆっくりと腰を下ろし、ゲルファルトに微笑む。
その笑みは美しかった。
そして、とても怖かった。
「では、お話を詰めましょう」
ゲルファルトは無言のまま頷くのだった。
■少しだけ騎士らしく
一方、別室に押し込められた者たちはというと。
ほとんど会話が無かった。
ヴァスケスはふてくされてソファーに寝転がっているし、近衛騎士団の残った二人は部屋の隅でぼそぼそと何かを話している。
ちなみに怪我をした騎士は治療のため、医務室に移動済みだ。
重苦しい沈黙だけが部屋の中を満たしていた。
窓の外からは、遠くを行き交う衛兵たちの足音が微かに聞こえる。
しかし、この部屋だけは別世界のように静まり返っていた。
後はニコとアグネスとフロムだが。
アグネスは椅子に座って額を押さえているし、フロムは無言で、無表情でニコを見つめている。
「……フロム……怖いからやめてくんない、その顔」
「この顔は生まれつきだ……疫病神」
「ひどっ……どう考えても被害者でしょ、あたし」
「黙れ。舌を抜くぞ」
フロムは怒ると無表情になるタイプらしい。
ニコは思わず肩をすくめる。
「ごめんよ……こんな騒ぎになるとは思わなかったんだよ」
「……本当に反省してるのか?」
「うん」
短い返事だった。
けれど、その声はいつもの軽い調子ではなかった。
フロムが立ち上がり、無言のままニコへ近づく。
「え、ちょ――」
そのまま、ぎゅっとニコを抱きしめた。
「本当に斬られるんじゃないかと思ったんだぞっ!! 心配させるなっ!!」
フロムの声は震えていた。
ニコは目を丸くする。
怒られているのに、不思議と胸の奥が温かかった。
「……ご、ごめんなさい」
「次からはもっと周囲を見ろ。お前は危なっかしすぎる」
「う、うん……」
その様子を見ていたアグネスが、小さく息を吐く。
「まあ、無事だったから良かったよ。本当に」
「アグネスまで……」
ニコは少しだけ困ったように笑った。
その様子を見ていたヴァスケスが鼻を鳴らす。
「けっ」
「何ですか、その反応」
「別に。ガキどもが騒いでるだけだろ」
そう言いながらも、ヴァスケスはどこか安心したようにソファへ寝転がり直す。
◆
暫くすると、ドアがノックされ、ダニエルが部屋に戻ってきた。
室内の空気がわずかに張り詰める。
ダニエルは全員を見回し――何故かニコに近づいてくる。
「……おい、お前」
「えっ?」
「馬にも乗れなかった新人」
ニコはちょっとムッとする。
しかし今度は反論した。
「今はちゃんと乗れます」
「そうか……」
ダニエルは一瞬だけニコを見る。
以前よりも真っ直ぐ立つようになった姿。
ドレス姿でも、もう完全な素人には見えない。
「で、何なんだ、この部屋の雰囲気は」
「あたしに聞かれても……」
「それもそうか……」
近衛騎士団の若い騎士たちは気まずそうに視線を逸らしている。
アグネスは疲れた顔で椅子に座ったままだ。
フロムだけは相変わらず無表情だった。
「で、貴方は何で此処に?」
「ああ、そうだ。そなた達に帰隊命令が出ている。速やかに帰隊せよとのことだ」
「帰れるの?」
「そう言っている」
その瞬間、室内の空気が一気に緩む。
ニコは目に見えて安堵した。
振り返ると、既にヴァスケスが部屋から出ていくところだった。
「おい、帰るぞ。急げっ」
「は、はい。ヴァスケス班長」
ニコたちは慌てて後を追う。
「おい、お前たちも戻るぞ。団長から話があるそうだ」
ダニエルの言葉に、近衛騎士たちも静かに頷いた。
そして全員が部屋から出る。
石造りの廊下に、複数の足音が響く。
ダニエルは一度だけ振り返る。
そこには、少しだけ騎士らしくなったあの少女の後ろ姿が見えた。
入団試験で見た時とは違う。
まだ未熟だ。
危なっかしくもある。
だが、それでも。
「……」
ダニエルは何も言わず、そのまま前を向く。
王宮の長い廊下に、夕暮れの光が静かに差し込んでいた。
第2部 おわり




